第七話 ああ弟よ君を泣く
 

B-Part

「ケンちゃん」
「おう、直美か」
「これ……」
 健の待つ外科の診療室にやって来た直美は、ある物を健に手渡した。冴に近づいて、直美が盗み出してきた物である。
「ありがとう。世話かけて済まなかったな」
「……」
「どうした? あんまり嬉しくないような顔だけど。そりゃ泥棒なんてさせて直美には悪かったよ」
「ううん、その……もしケンちゃんの思ってる事が本当だったとしても、きっと冴さんは怒るんじゃないかなって思って……」
「仕方ないよ。今の冴には何言っても無駄なんだし……そう云うとこって俺にもあるから分かるよ。この事は冴には俺からきちんと説明するさ。何を言われようともな。俺はそこまで覚悟した上でこうしようと思ったんだ。まして冴の命が危ないなら尚更だよ。何なら小野原先生もいるしな。あの先生、何やら冴とは顔馴染だったみてーだし」
「……」
「俺はこれから小野原先生に会って来る。直美は今日はそろそろバイトする時間だろ? 行っておいでよ」
 直美は頷いて、診療室を出ようとしたが、去り際に健の方を振り向いて一言。
「ケンちゃん」
「ん?」
「ね……無事に帰って来てね」
「何だよいきなり」
「私、心配なの。ケンちゃんも付喪神に殺されるんじゃないかって。これ以上好きな人がいなくなるのは嫌だから……ケンちゃんは私の所に戻って来てくれるよね?」
「それは心配ないよ。例え付喪神に襲われても俺は我武者羅に生きて、直美の側にいてやる。それが俺に直美にしてやれる精一杯の事だからな」
「本当に? じゃあ……はい」
 直美は健に小指を立てて差し出した。訳が分からず反応を返せない健に直美は更に言う。
「ケンちゃん、指切りして。今日は無事に帰って来るって」
「ああ……」
 健は自分の小指を直美の小指に絡めた。
「「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ーます!」」
 約束を交わして出て行く直美の後ろ姿を見ながら、健は心の中で直美に詫びた。
「(そうだな、俺が死んで誰よりも悲しむのは直美、お前だろうさ。ましてあいつらに殺されたなら余計悲しいだろう。俺はきっと……いや絶対お前の所に帰って来るよ。冴の誤解も解いてな)」
 健は意を決して、小野原女医を探して診療室を出た。外で起こっている火事の騒ぎと非常ベルの音すら耳に入らないまま。

 健が小野原女医を探して外科病棟の階上の病室に着いたのは、患者の避難は終わって冴も高烏帽子の祭文の督を追って屋上へ上がったその直後の事だった。足音に振り向いて、意外な人物の登場に目を丸くして驚く小野原女医。
「健はん、こんなとこ出て来んと早よ逃げなはれ」
「いや、俺は先生にどうしても渡したい物があったんで」
「これは……」
「三日前、冴に俺が買ってあげたペンダントです。先生の話を聞いて、ひょっとしたらこれが偽の刀十郎を出したアイテムじゃないかって思って、直美に持って来てもらったんですが……」
 小野原女医は健から手渡されたペンダントを暫くじっと眺めていたが、真剣な顔つきで健の顔を見て話した。
「うん、あの刀十郎はんと同じ匂いと気を感じますわ。恐らく健はんの考えは正解ですやろ。うちはこれから助太刀に行きます。健はんは病院の外へ……」
「いえ、俺も連れて行ってください」
「てんご(冗談)言いなはんな。付喪神が出てますねんで。健はんまで危ない目に遭わせられません」
「いえ、知らなかったとは言え冴の身に危険が及ぶ原因を作ったのは俺です。俺が蒔いた災いの種を俺の手で摘み取りたいんです……まだ怪我の治ってない冴のために、俺がまた大怪我することになろうとも」
「……よろし、そこまでの覚悟がほんまに健はんにあるなら一緒に行きましょ。うちもできるだけの事はしたげます。でも戦いに関しては素人の健はんが容易く付喪神に勝てるやなんてゆめ思わんと絶対手ぇ出さんように。よろしおすな?」
「ええ、少しでも役に立てれば……」
「さあ、早よ行きましょ!」
 消火活動も大した効果がなく、一行に収まらない火の手がこっちに来る前にと小野原女医と健は大急ぎで屋上へ続く階段を上って行った。

「要はそう云うことで、先生と俺の登場と相成った訳さ」
「何じゃと?」
 事実に気付いて顔を蒼くする冴。
「冴はんには気の毒ですけど、この首飾りは壊さなしようがおへん。この魔境が偽の刀十郎はんに力を供給する元になってますさけ」
「楓……」
「まあ結果としてこの通り俺は冴には悪い事しちまった。それは謝るよ。そこで少しでもこいつを倒すための協力はさせてもらう」
 健はペンダントを床に叩きつけようとしたが、その前に何とか札を剥がして自由の身になった祭文の督が一筋の光をペンダント目掛けて投げつけた。ペンダントがスーッと宙に浮いて、太陽光の反射した光で冴達を照らした。
「危のっせ、避けて!」
 冴はポンと飛んで、小野原女医こと楓は健を抱き止めて光をかわす。彼らのいた所から火の手が上がった。
「うぬ、じゃが次はこうは行かぬぞ。魔鏡よ、船岡の巫とその仲間を追って焼き払え!」
 ペンダントが冴の動きを追い掛け、照らし出された場所から次々と火の手が上がる。そこここに逃げ惑う冴達。逃げながら健は祭文の督に近づこうとしていた。
「(奴の気を反らせれば、あのペンダントのコントロールは利かなくなるはず。そこを冴と楓さんに突いてもらえばきっと……!)」
「おっと、そうはさせませんよ」
 祭文の督に近づこうとする健の前に偽刀十郎が立ちはだかり、持っていた刀を抜いて振り下ろす。だが健は間一髪で刀を手で受け止めた。
「困った人ですね、貴方も。どの道貴方はこの刀の錆になる運命なのにそこでまだ悪足掻きをなさるのですか」
「うるせえ。俺は約束したんだよ、直美を置いて死にゃしないって」
「馬鹿々々しい。貴方が死ねば次は直美さんの番かもしれないのに」
「そう思うならそれでもいいさ。お前には関係の無いことなんだし。だけど俺は御免だぜ、京都で勝手なことばっかりしやがるお前らにむざむざ殺されるなんて」
 口では強気な事を言っていても刀十郎の力を持つ妖怪を相手にして、戦いでは素人の健では頑張りにも限度がある。刀を受けている腕がだんだん痺れて力が緩んで来た。
「ほらそろそろ限界じゃないですか? さっさと観念して斬られておしまいなさい」
 偽刀十郎が改めて刀を振り上げ、健を斬ってしまおうとしたその時である。健の両手が眩しいばかりに光って、同時に祭文の督と偽刀十郎は驚いて健から飛び退いた。宙を浮いていたペンダントも床に落ちた。
「ぐわっ」
「何じゃこの恐ろしいばかりの気は」
 祭文の督の顔は蒼ざめていた。余程強大な気合のような物を感じたらしい。冴と楓も突然の出来事に驚いている。
「楓、何じゃ今の健殿の放った光は」
「さあ……でも今健はんの体から刀十郎はんのそれとよう似た気を感じたように思います」
「健殿、大丈夫か。一体どうしたと言うのじゃ?」
「俺にも分からない。ただ……あいつを許せねえって強く思ってたらああなってよ」
「突然の事に気が昂ぶっておるようじゃな。楓、暫く健殿を頼む」
「はい……さあ、今日はもう健はんは帰ったほうがよろしおす。お風呂でも入ってさっぱりしなはれ」
 楓は健を帰して、もう一度冴の傍らに戻って来た。祭文の督の前に進み出る冴。
「お主、王手王手でいい気になっておったようじゃが、それもここで終わりじゃのう。もはや一手透きは無くなったも同然。妾の必至じゃ」
 冴は祭文の督に笑いかけて、一蓮を手に掛けて念じた。
「妖討の巫覡、船岡が族の名に於て畏み畏み申す。古に付喪調伏せし護法童子よ、我に力を与え給う!」
 一蓮から生まれた光は空に上り、それは大きな雨雲に姿を変えて病院に雨を降らせた。雨と共に病院の火事は次第に鎮まり、外に避難していた患者や医師、看護婦から安堵の息が漏れた。雨に打たれたペンダントは鏡面が錆び付いて、同時にその魔鏡から魔力を得ていた偽の刀十郎もその姿が薄くなっている。
「まだ……まだ消える訳にはいかぬ。船岡の巫、お前を殺して……がっ」
 ガシィッ
 偽刀十郎の頭を楓の手が掴んだ。
「無駄な足掻きはやめなはれ。刀十郎はんの姿を借りての悪行、うちは許しまへんえ」
 冴に目配せする楓。冴は札を取り出し、高々と掲げた。
「お主の在るべき物に還るが良い……はっ」
「ぎゃああああああああああああああああああああ」
 札を貼られた偽刀十郎は断末魔の悲鳴と共に消滅した。
「おのれ……じゃが勝負はまだ決した訳ではないぞ。覚えておれ」
 濡れた地面に足を取られそうになりながらも退却する祭文の督。
「よくも妾の刀十郎を思う気持ちを踏み躙ったの……この恨み、妾は忘れはせぬ」
 祭文の督の後ろ姿に怒りをぶつけた冴だったが、弟との再会を果たせなかった悲しみから涙が込み上げて、降りしきる雨と共に冴の頬を濡らしていた。
「冴はん……」
 それだけ言って、そっと冴の体を抱く楓。冴は声を殺し、歯を食いしばって楓の胸の中で泣いていた。折角再会を果たしたと思えば実は罠に嵌められる所で、その罠を見抜けなかった自分の甘さも悔しく思うかのように。

「ふう……」
 その後元吉に帰った健は、ずぶ濡れの健を案じて直美が沸かしてくれた風呂で一息ついていた。
「(あの光……冴がいつも一蓮を使ってる時に出る光も丁度あんな感じだよな。俺って、ひょっとして船岡の一族とやらと何か関係があるんだろうか? それでなくても俺は昔船岡の一族とどこかで会って、強くなりたいって思ってた俺に力を授けて……なーんて、まさかそんな訳ねえよな、あはは。でも俺は改めて思い返してみて、ガキの頃の記憶がほとんどねえんだよな。病弱でよく寝てた事、小学校に上がってから少し元気になって、剣道も覚えて直美とよく遊んだ。でもそれだけだ。直美とは何して遊んでたっけな? おままごともすればボール遊びもしたような気もするけど……)」
 健が記憶を掘り起こそうとしていると、浴室のガラスに女性の影が映った。
「健殿、入るぞ」
「わ、ちょっと待てよ冴」
 健の制止も聞かずに入って来た冴は体にバスタオルを巻いて防御していた。
「冴、まだ退院してないのに何で此処にいるんだ」
「外出許可を取って帰らせてもらったに決まっておろう。雨でずぶ濡れになった事で風呂にはどうしても入りたかったからの。楓は問題なく許可を出してくれたわ」
「……(またピント外れの答えが来た)いや、俺がいるのにいいのかよって話だ。俺に裸見られたらいつも怒るのに」
「構わぬ。この通り肌は隠しておるのじゃから。ましてお主の事じゃからせくはらされる心配もない」
 健殿は晩熟、とお決まりの揶揄を投げかけて笑う冴。健はよっぽどバスタオルを剥ぎ取ってやりたかったが後が怖くてできるはずもない。
「どれ、健殿に迷惑をかけたせめてもの詫びじゃ。背中を流してやろう」
「え、それこそ冴に悪いよ。まだギブス取れてないんだし」
「遠慮するでない、これくらいどうと云うこともないわ。ほれこっちへ来ぬか」
「いや、俺もそれくらい大丈夫だって」
「おかしな所で強情を張るでない。上せたらどうする」
「お邪魔しますえ」
 冴と健が押し問答している所へ更なる来客があった。小さなタオルで前だけを隠して、楽しげに狐の耳と尻尾を振っている楓である。冴と競争し得るほどの豊満な乳房とキュッと引き締まった腰回りが薄ぼんやりとは言え健の目に映った。
「……」
 突然の事に思考が停止し、言葉を失う健。対するに楓は
「どないしやはりましたん?」
 と言いたそうに、裸を見られているのを気にする素振りもなく静かに笑っている。
「うわああああああああああああああああああああああああああ」
 恐慌を引き起こして叫ぶ健。その中でつかえ、つかえ楓に問い掛ける。
「か、か、かかかかか、楓さんまでまた、いいいいい一体どうして」
「今日はもう非番ですよって、冴はんのお見舞いに上がりましてん。冴はんも健はんも風邪召されてへんか心配でしたけど、元気そうでよろしおしたわぁ」
「いやそうじゃなくて……あーもう!」
 健と楓の間に冴が割って入った。
「楓、どうでも良いが胸も隠せ。健殿もおるのじゃぞ」
「ええやおへんか。殿方が婦人の裸好きなんは当たり前ですねんし、うちは別に健はんに見られたかて構しまへんえ、おほほほ」
「(そう言えばこう云う女、いや女神じゃったな楓は。千二百年も生きておるせいかどうかは分からぬが、女の恥じらいがないと言うより達観し過ぎておると言うか……)おほほほではない。そもそも此処はお主や妾の家ではないぞ、他人の家じゃ。少しは慎んで……」
「冴はんかて折角綺麗な体してはるのに隠すやなんて勿体無い。これ取ってしまいなはれ」
「何をする、やめろ楓」
 楓にバスタオルを引っ張られて慌てて抵抗する冴。楓は冴を後ろから抱き寄せて、冴の乳房をバスタオル越しに優しく揉みながら耳の後ろをペロリと一舐め。
「ん、くっ、やめ、そこは……ひゃううっ」
 色っぽい声と共に脱力して、冴は浴室の床にペタンと座り込んだ。楓はその隙に冴のバスタオルを剥ぎ取ろうとする。
「ちょ、やめてください、やめてくださいよ楓さん」
「あら、健はんはこう云うのはお嫌いですやろか?」
「嫌いも何も、冴は嫌がってるし俺も無理に見たい訳じゃ……」
 健が楓に皆まで心境を話さないうちに浴室の扉が開いた。
「ケンちゃんどうした、の……え?」
 騒がしさに様子を見に来た直美である。目に入ったのは健と一緒に浴室にいる素っ裸の女性二人。直美もまた眼前の予想もしなかった光景にしばし言葉を失い、やっとの思いで、
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
 真っ赤になった顔を覆って悲鳴を上げつつ走り去って行った。
「おい待ってくれよ直美!」
 慌ててその後を追い掛ける健。パンツすら穿いておらず、その後更なる拙い事態が待っている事など考えもせずに。


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