第九話 野球狂の付喪神の詩
B-Part
「ああら、そうもいかなければどうすると言うのかしらね?」
八乙女は怯む事なく冴の言葉を受け流し、手に提げていたセカンドバッグから鈴を取り出した。
「貴方が出しゃばり坊主さんを持ってるように、私もこれをいつも持ってるのよ。こう云う時のためにね。ちょっとそこの野球選手さんに協力してもらおうかしら」
シャンシャンシャンシャンシャンシャン……
「危ない、逃げろ!」
八乙女が鈴を振ると同時に健が叫んだ。状況を把握できていない映研チームは何事かとオロオロしていたが、
「お前らも早く逃げるんだ!」
健に促されてやっと逃げようとしたものの時既に遅し。彼らは八乙女の術にかかって催眠状態になってしまった。
「さあ、貴方達のバットとグローブとボールで船岡の巫を可愛がっておあげなさい」
「八乙女、俺も一暴れしたいのだが良いかな?」
「どうぞどうぞ。私は木の陰から貴方達の勝利を見届けてあげるから」
「罪無き民を操って妾に刃向かうか。ならば愈々お主らを許してはおけぬな」
冴は一蓮を手に掛けて念じた。
「妖討の巫覡、船岡が族の名に於て畏み畏み申す。古に付喪調伏せし護法童子よ、我に力を与え給う!」
一蓮から発せられた光は冴の全身を包んだ。光の中に浮かぶ冴の裸体のシルエット。光が消えた時、冴の着ている服は巫女装束から野球のユニフォームに替わっていた。下半身は短パンで、右手には不世出のエース、大慈彌康宏のグローブが付いている。
「さあ締まって参ろうか。どこからでも参るが良い」
「良かろう。俺のノックを受けてみろ」
冴の挑発に乗って、荒太郎や催眠状態の映研チームのメンバーがバットでボールを打ち、冴目掛けて飛ばして来た。
「おっと、よっ、そりゃ」
ボールの行方を読み切っているかのように荒太郎の打球を悉く受け止める冴。
「これしきの球、受け止めるなど造作もない。今度は妾から行くぞ、それっ!」
渾身の力を込めて、冴は受け止めたボールを荒太郎に投げ返した。
ドスッ、ドスドスドスッ
冴のボールは全て狙いを過たず荒太郎に命中し、荒太郎は膝をついてしまった。
「おのれ船岡の巫……貴方達、こうなったらチームの皆でなりふり構わず痛めつけてあげなさい」
木の陰から見守っていた八乙女がもう一度鈴を振った。
シャンシャンシャンシャンシャン……
鈴の音と共に映研チームが立ち上がり、冴に襲い掛かる。
「(妾をばっとで袋叩きにするつもりか。なれど刀や手棒なら妾が上手じゃ。一本でも奪い取って反撃できたなら……!)」
冴は余裕の笑みで対峙し、姿勢を低くしてバットを振り上げてきた選手の懐に飛び込もうとした。だが横からスライディングしてきた別の選手のスパイクが冴のユニフォームをかすめて……
ザシュッ
冴のユニフォームが破けてノーブラの胸からお腹が出てしまった。
「うぬ、おのれ!」
「やったわ。これで体を隠す分貴女は不利になる。今がチャンスよ! やっておしまいなさい。何なら好きなようにセクハラしちゃってもいいわよ」
八乙女のその言葉に映研チームが色めきたった。
「な、何をする、やめぬか」
冴は後ろから羽交い絞めにされ、更に両脇からも逃げられないように押さえつけられたまま襤褸布のようになったユニフォームを剥ぎ取られて、あわや短パンも脱がされようとしていた。冴は必死にもがいて抵抗するが引きちぎって逃れようとしてもまた捕まってしまう。相手は複数人でゴキブリのようにすぐ復活してくるのだから。その様を八乙女は楽しそうに眺めていた。
「さあ、このまま一気にやっちゃいなさい。私が許すわ」
そろそろ止めをさせようとばかりに八乙女が鈴を振り上げようとしたその時である。
「いい加減に……しやがれ!」
健が八乙女の手首目掛けてボールを投げつけた。ボールは狙い通りに八乙女の手に当たって、鈴が地に落ちた。
「しまった!」
映研チームは催眠が解け、冴から手を離してバタバタとその場にくず折れる。すかさず冴は一蓮を手に掛けて念じ、元の巫女服姿に戻ると八乙女に迫った。その顔は笑みを湛えていたが、決して上機嫌ではない事は凄まじい闘気が証明していた。
「さあて、妾を辱めてくれた礼、どうさせてもらおうかのう」
冴は袴をめくって、常携している短刀を取り出した。
「な、何をするの?」
「殺しはせぬ。妾の屈辱を思い知ってもらえればそれで十分じゃて、ふふふふふ」
冴は短刀を持った手首を軽く振った。忽ち八乙女の衣服が裂けて冴に勝るとも劣らぬ裸身が晒された。
「きゃあああああああああああ、何よこれー」
八乙女は座り込んで、胸を腕で隠して恥ずかしさに震えていた。
「あっとひっとり! あっとひっとり!」
そして本番の球技大会。光画部対映研のソフトボールの試合は九回の裏を迎えて得点は六対四で光画部リード。ツーアウトランナー一、二塁。ここでもう一つアウトを取れば光画部の勝ちと云う所まで来ていた。ピッチャーは九回まで好投を続ける山口健。
「ケンー、頑張ってー!」
「山口先輩ファイトですー」
「難なく二つあうとを取ったではないか。その調子で抑えるが良い」
西陣歌劇団の三人、に冴と彩乃を加えたチアリーディングも健に声援を送る。ゲストの二人は恥ずかしがるかと思いきや存外乗り気で応援していた。キャッチャーの昌彦が準備OKのサインを送る。頷いてミットを狙って投げる健。
「(どうだっ!)」
ズバッ
「ストライク!」
「キャー!」
感激して叫ぶ女性陣。続く第二球も空振りのストライクが決まり、声援は
「あっと一球! あっと一球!」
に変わってボルテージは一段と上がった。
「(変に力むなよ。打たれてもちゃんと守備がフォローしてくれるからこれまでと同じ気持ちで来い)」
昌彦が目で健に語ってミットを構える。健はそれに無言で頷いて三球目を投げた。
カンッ
バッターのバットが健のボールを捕え、ボールは高々と上がる。
「(しまった、逆転サヨナラホームランか?)」
焦る健。だがセンターの有二が落下点目指して必死に走り、ボールを受け止めてフライアウトに仕留めた。
「スリーアウト、ゲームセット!」
「やったー!」
ゲームが決まった瞬間、歓声と共にダイヤモンドの中央に集まる光画部員。そして始まる昌彦の胴上げ。続いて健も宙に舞う。一頻りイベントが終わった後で女性陣が健を出迎えた。
「ケンおめでとう」
「ケン君、名ピッチャーぶりかっこよかったわよ」
「ケンさんってこんな隠れた才能もあったのね」
「山口先輩素敵でしたよ」
「決める時はどうしてやるではないか健殿。妾は益々お主が気に入ったぞ」
冴は満面の笑みを健に向けていた。
「いやいや、俺は約束してたからさ、精一杯頑張るって」
「約束? 誰と?」
「昔の素敵な選手さ、ね?」
奈々香の問いに健はそれだけ言って、冴と顔を見合わせて笑った。
「ちょっとそれって誰よ、気になるじゃない。教えてよ」
「さあ、話して分かるだろうかな……じゃあ俺はこの後祝勝会に行くんで失礼するよ」
「ちょっとケン水臭いじゃない、一体誰なのか教えてよ」
「おい山口何やってんだ。行くぞ」
「あ、はーい」
奈々香をスルーして、健は右手にグローブを嵌めたまま他の光画部員の方に歩いていった。その途中、一人の教授が健の前に立った。
「いやいや、君の素晴らしい投球、見事だったよ」
「先生……?」
健の顔馴染で、一般教養を教えている年配の教授である。
「まるで往年の大慈彌を見ているようだった。直向に勝とうと頑張って投げるその姿がね……おや」
教授はふと健のグローブに気づいて言った。
「これは大慈彌の遺品ではないか。どこに行ってたと思ったが……懐かしいな」
「先生はひょっとして大慈彌さんをご存知だったんですか?」
「知るも知らぬもない。私は大慈彌とは同期だったんだよ。彼が野球部で私は新聞部で、個人的にも親しくしてたさ。今ではその名前を知る人々も殆どいなくなったが、君を見ていて、まるで彼が帰って来たみたいに思えてね……」
教授の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
数日後、野球部の神棚に古びたグローブが安置された。傍らには一枚の白黒写真が添えられている。大学の野球部のユニフォームを着て投球モーションを取っているエース、大慈彌康宏の写真だった。健が彼と同期だった教授に頼んでネガを借り受け、プリントした写真である。写真の裏には
「どうか不世出のエースをお偲びください 山口健」
とサインペンで書かれていた。
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