【 帰 郷 】
chapter.1

青い青いエーゲ海をきらめかせ、さんさんと日が降り注ぐ午後。
彼は息を弾ませて小高い丘を上り、かつて戦によって焼かれたという、古い神殿跡へとやって来ていた。
そこは、切り立った崖の上にあった。
海から吹き上げる風が、彼の柔らかな金色の髪を撫でる。
その横顔は、いっぱしの青年と呼ぶにはまだ早く、しかし少年の域はすでに卒業していて、危うげな世代特有の中性的な雰囲気が微妙なところで保たれていた。
彼は小脇に抱えてきた木刀を手にとると、おもむろに剣の練習を始めた。
厳しい顔つきで意識を集中させ、目の前に敵をシュミレートする。
頭に描く相手は、いつもギリシャ最高の戦士と呼ばれるアキレス。
自分と同じ、金の髪と蒼い瞳を持つ、年上のいとこ。
アキレスが一歩踏み込んでくる。
彼は素早くよけ、相手に向かって剣を突き出す。
もちろんアキレスはそれを軽くかわして、今度は低い位置から彼の喉元を狙ってくる。
間一髪でよける。そして、アキレスの背後に回ろうとするが、なかなか背後は取らせてくれない。
剣を突き出す。
よけられる。
切り込まれる。
逃げる。
足元を狙う。
ひらりとかわされる。
頭上からの一撃が来る。
ぎりぎりでかわして懐へ飛び込む。
そしてその胸に剣を―――。
そこで彼の動きが止まった。
ぴんと緊張の糸を張り詰めていたからこそわかる、誰かが来ている。
かすかな気配がこちらに近づいてくる。
「誰だっ」
振り返った彼が見たものは、なんと脳内に描いていたまさにその人であった。
「へぇ!お前、オレの気配がわかるようになったのか!やるじゃねぇ」
彼の人は背に太陽を連れて腕を組み、ひゅうっとおどけて口笛を吹いた。
「アキレスっ!いつ帰ってきたの!?」
先ほどまでの張り詰めた雰囲気はどこへやら、パトロクロスは満面に笑みを浮かべてアキレスに駆け寄る。
「今、だよ。先にこっちにきた。お前いるかな、って思って」
そもそもこの場所は、アキレスの練習場だった。
アキレスがまだ戦場へ出向くようになる前から、そしてギリシャ一の戦士として名をとどろかせるようになった今に至っても、母親の住むこの小さな町へ戻ってくると、アキレスはここで剣を振るっていた。
パトロクロスは物心ついた頃から、この年上のいとこがここで黙々と剣の練習をしているのを見るのが好きだった。最強の戦士の、誰にも見せない努力している姿を見ることができるのは自分だけだという、ひそかな自負があった。
そしていつしか当然のように、彼もこの場所でアキレスに稽古をつけてもらうようになっていた。
ここは、いつでもアキレスとパトロクロスの二人だけの場所だった。
「見てた!?ねぇ、今のどうだった、アキレス?」
パトロクロスは目をきらきらと輝かせてアキレスに向き合った。
彼とアキレスは、年が12離れていたが、いまや背丈は同じくらいになっていた。
―――背ばっかりでかくなって、まるでまだまだ子犬のようだな。
アキレスはいとこのその姿に、思わず苦笑した。
「あぁ、よく練習してるな。前に見たときより、動きがずいぶん素早くなってる。例えば、ほら―――」
そういうが早いか、腰に挿していた剣をパトロクロスに向かって突き出した。突如のことにも慌てず、パトロクロスはひらりとそれをかわし、素早く反撃を加える。アキレスはそれを剣で止めた。
「―――こんなふうに。やるじゃん」
アキレスは口の端を上げてにやっと笑い、剣をしまうとパトロクロスの頭をくしゃっと撫でた。

帰郷挿絵1


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