人間は存外頭の悪い生き物だ。
ディアはため息をつきつつ、昨日アスランがくれた新しい寝床の小さなふかふかのクッションの上で
羽をつくろった。
ちなみに昨日までの古い寝床は家の中で鬼ごっこをしている時に、追いかけっこに興奮したイザークに
ズタボロに引き裂かれ、中の綿毛を引き出されてしまった。
ちなみにイザークがディアの寝床のクッションを壊滅させたのはこれが二回目である。
学習しないイザークには、その日のうちにアスランから大きな雷が落とされた。ついでに
イザークのその日の夕御飯はいつものネコ缶ではなく、イザークの大嫌いなヘルシーキャットフードになった。
きっと、これが体罰というものなのだろう。
人間とは見かけ以上に酷薄な生き物でもあるようだ。
と、話がそれてしまった。
とにかく、人間はあんなに大きな身体を持っているのに、危険な人物とそうでない人物の
見分けすらできないらしい。そんなことでどうやって生きていくつもりなのか。
まったく情けない。
やはりご町内の平和のためには自分がやらなければ。
ディアは、ふるると羽を振るわせ、柔らかい寝床に後ろ髪を引かれながらもぴょんと飛び出した。
今日も大切な任務が始まる。
「ディア〜!!」
しょっぱなからイヤなヤツに会ってしまった。同じマンションの201号室に住んでいる能天気男。
アーサー・トラインとかいうらしい。ぼけっとしているクセに、国際線のチーフパーサーなんかを
やっているようだが、この男の搭乗する飛行機にだけは乗りたくないものだ。
コイツにブラディマリーを頼んだら、きっとタダのトマトジュースが出てくるに違いない。
「今日もふっかふかだね。あったかいね。かーわいいねぇ」
くるり180度反転全力疾走をものともせず、ひょいと背後から抱き上げられた。
おまけにすりすりと頬擦りまでしてくる。
うっとうしい。
思いっきり足を振り上げ、能天気男の顔面中央に渾身のハイキックをお見舞いした。
「うわぁ、小さいあんよの感触がかわいいなぁ〜」
……喜ばれてしまった。
蹴り倒されて喜ぶなんて、コイツはマゾなのだろうか。
それにしても図体がでかいだけあって人間は丈夫だ。普通だったら骨折間違い無しの
必殺ハイキックなのに、ケガのひとつも負ってない。
それどころか一層かわいい、かわいいと繰り返している。
大体、このスットコドッコイの目は腐っている。自分のどこがかわいいというのだろう。
この凛々しい嘴! 精悍な翼! どれをとっても「カッコイイ」じゃないか!
とにかく、この脳みそお花畑男の手から逃げ出さねば。
「ぴーっ!!」
雄叫び一発。スットコドッコイの鼻の頭を突っ付いた。
同時に両足で顔をがしがし蹴り上げ、翼でぱしぱしと頬を叩く。三点同時攻撃。奥義「スペシャルローリングサンダー」だ。
「いたっ! いたいよ、ディア〜」
情けない悲鳴と同時に両手が離される。支えを失い、ディアはくるりと空中で回転し、しゅたっと床に降り立った。
泣き声をあげるアーサーをちらり一瞥し、ディアはぱたぱたと走り出した。
こんなところで無駄な時間を過ごしているヒマはない。
早く行かなければ間に合わない。
廊下をひた走り、階段を一段一段飛び降りる。
エレベーターが使えればいいのだが、アレは利用者の利便性を全く考えていない不親切な乗り物だ。ボタンがあんなに高い場所にあっては届かない。所詮人間が作るものは、その程度、ということなのだろう。
延々と続いた階段を降りきり、マンション1Fのエントランスへと走り出そうとした時、ぞわって嫌な予感が背筋を駆け抜けた。後頭部の冠羽が逆立ち、第六感が危険信号を鳴らしている。
第六感をバカにしてはいけない。この勘のおかげで、自分は何度も一歩間違えば死に至るような危険を回避しているのだ。隣町のノラネコが入り込んで来た時も、大きな黒い鳥が飛んで来た時も、この勘のおかげで自分は命を救われた。
ディアは今回も第六感の危険信号に従い、壁に沿ってそろそろとエントランスに近付いた。もちろん周囲への注意は怠らない。
「いやー、マリューさん。昨日のラタトゥイユも美味しかったですよ」
「お口にあいましたかしら。つい作りすぎちゃって。もらっていただけてこちらも助かりましたわ」
「男二人だといつも外食で、味気ない食事ばかりですよ。家庭料理はやはりいいもんです。マリューさんのような美人で料理上手な方を奥さんにする男は幸せ者でしょうな」
「いやですわ。おだてないでください」
いた! やっぱりアイツらだ。
町内の平和を脅かす危険人物、アンドリュー・バルトフェルドとムウ・ラ・フラガだ。
この二人はマンションの向かいで建築設計事務所を開いているらしい。1Fが事務所、2Fが住居の建物は、どこが何なのかよくわからないややこしい造りをしている。アスランに言わせると、それが「個性的」で「おしゃれ」ということらしいが、あまり機能的ではなさそうだ。
あんなややこしい建物に住んでるってだけでも、既に危険人物だと証明しているようなものなのに、何故かマンションの住人は誰もあの2人を危険視していない。それどころか、402号室のマリューさんは頻繁に料理を差し入れしているようだし、アスランもクラスメイトのキラやイザーク、ディアッカと何度か遊びに行っているようだ。
呑気にも程がある!
あの抜け目のない目配り、無駄のない身のこなし、タダの設計士ではありえない、ということが何故わからないのだろう。
全く、人間は警戒心が薄くて困ったものだ。
ディアはこっそりと壁の影に隠れてエントラスの様子を窺った。もしあの2人がマリューさんに危害を加えるようなら、すぐに助けに行かねばならない。
マリューさんは優しい人なのだ。一人暮らしのアスランを心配して、なにくれとなく気を配ってくれている。美味しい料理を差し入れしてくれる時もあれば、「売れ残りでごめんなさいね」と言いながらキレイな花を持ってきてくれることもある。アスランによると、彼女は1ブロック先でお花屋さんを経営しているらしい。
とにかく、とてもイイ人なのだ。
「あら、もうこんな時間。バイトの子が待ってますので、これで失礼しますわ」
「あぁ、お引止めしてすいません」
「いってらっしゃ〜い」
マリューさんが2人に軽く会釈をして外に出て行った。
とりあえず当面の危険は回避できたようだ。あとはアイツらがとっとと出て行けばいいのだが、何をくずくずしているのか、にやけた顔で話し込んでいる。
もしかしたら何か悪辣な計画でも立てているのだろうか。
しかし、ここからでは遠すぎて何を話しているのか聞えない。もっと近付いて、会話を盗み聞きすべきか。それともこのまま監視を続けるべきか。難しい選択だ。
むむっと眉間に力を入れて2人を睨み付けていたら、金頭の方がへらへらと笑いながらポケットから何かを取り出した。
まさか銃か? ディアは咄嗟に壁の内側に身を隠した。
如何な自分でも素手で銃を持った男に立ち向かう程、無鉄砲ではない。気配を殺し、ヤツラの出方をじっと待った。
1分。
…2分。
……3分。
心臓が喉元までせり上がってきたかのように、耳元でどくどくと鼓動の音が聞える。張り詰めた空気に、羽の間を冷たい汗が流れる。
緊張で翼の先端が痺れ始めたあたりでディアは恐る恐る壁の内側から顔を覗かせた。
誰もいない。
人の気配もない。
どうやら上手くやり過ごしたようだ。
ほっと安堵の溜め息をついた時、アイツらが立っていたあたり、床の上に何かが落ちていることに気が付いた。
もしかしたら爆弾、だろうか。
ディアは最大級の警戒を怠ることなく、落し物に向かって歩を進めた。3歩進んでは、壁に張り付き、周囲に目を配る。臆病なのではない。無謀と勇敢を履き違えた似非ハードボイルドとは違うのだ。深慮はいつでも最大の防御であり、攻撃になりうることを、真の男なら本能で知っている。
通常であれば数分で着く距離を、ディアは10分以上かけてようやく辿り着いた。
なんだろう、これは。
直径5cm前後のキツネ色した円形のもの。どこかで見たことがあるような気がする。
恐る恐る顔を近づけてみる。
ほんのり甘く、香ばしい匂いがする。
ちょっとだけ、嘴で突っついてみた。
……おいしい。
これは極上の「クッキー」じゃないか! 甘くて、とても美味しいのに、「食べすぎは身体に良くないからね」とアスランはホントにたまにしかくれないが、言わせてもらえるなら、バーボンにしろシガーにしろ、身体がどうこう気にしていては、美味なるものはその真髄を味わうことなど出来ないと思うのだが。
ディアは周囲をくるくると見回し、暫し考えた。
とりあえず、危険はなさそうだ。それに、たまには昼間からクッキーの甘さに酔いしれる日があっても良いかもしれない。
ディアは羽を膨らませ、つんつんとクッキーを啄んだ。
<オマケ>
「おい、フラガ。気が付いてるか?」
「ひよこちゃんだろ? さっきからずっとこっちを覗いてるな」
「あれでも隠れてるつもりなのかね。黄色い羽がひょこひょこ見えてるんだけどねぇ」
「かわいいじゃないか。どこかの坊主みたいでさ」
「おまえのお気に入りのあの坊主か? 確かにいっつも警戒心で毛を逆立ててるあたり、そっくりかもしれないな」
「そうなんだよねぇ。たまには大人しく抱かれてくれてもいいと思うんだけどさー、ちょっと触っただけで噛み付かれんだよね」
「やだやだ。不純なオジサンは」
「だーれーがオジサンだ! おまえだって同類のクセに!」
「僕はタイミングを計ってるんだよ」
「きたねー策略家だな」
「知略家と言ってほしいね。と、何してるんだ?」
「んー? ひよこちゃんにプレゼント」
「餌付け、か」
「いつか頭くらい撫でさせてくれるかな?」
「そうなってほしいもんだねぇ」
END
Illustrated by みゃおさん(
myaon)
menu
Top