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GOLDFINGER 2009


「む?」
ツヤツヤと黒光りする漆塗りの椀に口をつけ、ルキアが眉を顰めた。
かたりと椀を膳に置き、正面に座る一護を冷たい視線で見据える。

「この吸い物は何から出汁を取った?」
「えっと、昆布から」
「たわけぇぇぇぇっ!!!」

般若の如き形相でルキアが椀を投げつけた。吸い物椀から飛び出したハマグリがころころと畳の上を転がって行く。

「朽木家では魚介の吸い物は鯛の頭から出汁を取ると決まっているであろうが!!」
「そんな決まり、今初めて聞いてっ。でも、その昆布も利尻産の高級品でっ」
「黙れ! 朽木家の嫁ならば知らない筈が無い!」
「でも、ほんとに知らなくてっ」
「口答えするかっ、嫁の分際で!」

肩を怒らせて立ち上がり、膳を蹴り上げた。膳の脚が一護の肩に当たり、一護はよよと畳に倒れ伏した。

「すみません、ルキアお義姉さま」

ほんとにまー、もー、なんつーか、ノリノリだな、ルキア。
顔を伏せたまま、一護は苦々しげに奥歯を噛み締めた。
だが、元はと言えば自分のせいなんだけど。

あれは昨日の午後のことだった。
一日の鍛錬も終り、庭に咲く花を愛でつつ茶なんぞ飲んでいる時に、ついぽろりと零してしまった一言じゃから始まった。

「白哉って、ほんとに俺のこと愛してんのかな?」

現世から拉致当然に連れてきて強引に結婚式まで持ち込んだクセに、朽木家流にお上品に言うところの「後朝の別れ」の後は、至って平穏な日々が続いていた。
いや、平穏が嫌いなわけじゃない。平和が一番、Love is Peace、We are the world。
しかし、しかしだ。
曲がりなりにも結婚したってーのに、次の日にはやれ鍛錬だ、虚退治だ、まるっきり「隊長」と「隊子」みたいな生活しかないって、ありえなくね?
初夜を迎えた翌朝、夫から妻(って女じゃないけど)への第一声が、

「朝の鍛錬の時間だ。私が直々に稽古を付けてやろう」

朴念仁を地で行く男に気の利いたセリフを期待しちゃいねえ。
努力せずとも相手が寄ってくるような男は、その手の努力は無用だったろうしな。
でも、でもだ。
「鍛錬」って何? 「稽古」って何?
それが夫婦の契りを交わした後で最初に出てくるってどういうこと?
つか、てめぇ、昨日の夜どんだけ俺に無茶させたかわかってねぇだろ! こっちは布団に起き上がるのもやっとだってぇのに、何、その「さっぱりしましたー」みたいな爽やかな顔。やらしいことなんて全然考えてません、みたいな取り澄ました態度。
言いたいことは山ほどあるのに、どれから言えばいいのか、あ、とか、う、とか唸っている間に、服を着替えさせられ、朽木家専用鍛錬場に連れて行かれ、とりあえず形ばかりは稽古らしきことはしたけれど、

「何だ、不甲斐ない! それでも死神かっ! それで破面に勝てると思うのかっ!」

愛しい夫からは厳しい叱咤。
それもこれも、無駄に体力はあるご当主様に明け方まで寝かせてもらえなかったせいなのに!
そしてそれが毎日。
毎日毎日毎日。
新婚夫婦らしい甘い生活なんて望むべくもなく、日々「上司と部下」の味気ない、乾ききった生活が続いていて。

なんてことを言ってるうちに、段々話に勢いが付いてきて、

「俺、ほんとに白哉に愛されてるのかな……」

と呟いた頃には、なんとなく目に涙なんか浮かんでたりして。
ぽろりと一粒涙が頬に零れた時には、がしっとルキアに抱き締められていた。

「一護、すまぬ。そんなに悩んでいたとは…… 兄様の妻となったからには、貴様も私の可愛い妹。妹のためならば、私も協力は惜しまぬ!」

兄嫁なんだから「姉」じゃね? とツッコミたいけれど、程よく保護欲が刺激されているルキアに指摘するのは野暮ってもんだろう。

「ありがとう、ルキア」

うるるっと両目を潤ませ、一護はルキアと手を握り合った。



で、今日。

「良いことを思いついたぞ!」

ルキアが満面の笑みで紙の束を差し出してきた。
どこぞのホームページの記事を印刷してきたものらしい。

「現世では『嫁姑問題』というものがあるらしい。姑、つまり夫の母が嫁をいびりたおすようだな。
 昨夜、そのサイトを徹夜で読んでみたのだが、気骨のある夫は実の母である姑ではなく嫁の味方となり、そういう夫婦は更に愛が深まる、と書いてあった」

なんちゅうもんを読んでんだ。しかも徹夜してまで。
確かに現世では「嫁いびり」という言葉があるくらい、嫁姑問題は普遍のものらしいが、物心ついたころから祖父母の存在が身近に無かった一護には、「嫁いびり」もドラマの中で見たことがある程度のものだ。
それに第一、朽木家には「姑」がいない。白哉の両親はとうに亡くなっている。

「姑はいなくとも、小姑がいるではないか」

にぃと唇を上げ、ルキアが自分で自分を指す。

「時には姑ではなく小姑が嫁いびりをすることもあるらしい。私が立派に嫁いびりをしてみせよう!」

ふんとルキアが胸を張った。やたら自信満々だ。

「でも、そんなことしたら、オマエが白哉に叱られるんじゃ?」
「兄様は馬鹿ではない。理由を説明すればきっとわかってくださる! それに」

ルキアが更に胸を張った。

「緋真姉様の妹である私を、白哉兄様が無碍に扱う筈などないではないか!」

なんかちょっとカチーンときた。
でも、ここはルキアの助力無しではどうにもならない。

「……とりあえずよろしく頼むぜ。ルキアお姉様」
「まかせておけ!」

ちょっとだけ一護は我慢することにした。


で、嫁いびりの最初の一歩は、まず「料理」からだろうと、最初に戻る。

「貴様は朽木家に嫁いでどれだけ経ったと思っているのだ! まだ朽木家の味が覚えられぬのか!」
「……すみません」
「野蛮な現世の人間には朽木家の敷居は高すぎるのか? それとも、朽木家の嫁となった自覚が無いのか?」
「そんなっ、これでも精一杯努力してっ!」
「やかましいっ! 成果の出ない努力など無意味だ! わかったらさっさと作り直して来るのだ!
 こんな不味いものを兄様の膳に並べることなど許さぬ!」
「……そんな…」

一護は大仰に畳に倒れこんだ。倒れた背にルキアの箸が飛ぶ。
いくら何でもやりすぎじゃね? しかし、ここでキレては折角のお膳立てが無駄になる。
白哉の帰宅に合わせて折角準備したんだから。
ここまでの遣り取りも、玄関から続く長い廊下を歩いている間も聞こえているはず。

「すみません、ルキアお義姉さま」

子供の頃に見た「小公女セーラ」を必死に思い出し「可哀相な俺」を演出する。
ついでに「フランダースの犬」の最終回と「ハチ公物語」のエンディングも思い出して、ぽろぽろ涙を流してみる。
あの二つは思い出しただけで、いつでも泣ける。

「泣けば済むとでも思っているのか!」

震える肩にルキアの容赦ない罵声が飛ぶ。どっから見ても、立派な「いじわる小姑」だ。
今のルキアなら素顔で「シンデレラ」の継母と継姉を一人で演じられるに違いない。
くすんくすんとうそ臭く泣く一護と、仁王立ちで一護を睨み付けるルキア。名優と名女優に静かな声がかけられた。

「どうした?」

白哉のご帰還だ。

「白哉!」
「兄様!」

ここからが本番だ。

「何かあったのか?」

白哉が座敷を見渡し、ゆっくり呟いた。
ひっくりかえった膳に、中身がこぼれた椀。何かあったか、なんて今更聞くか?ってくらいの惨状だ。

「兄様が気にされることなどありません。一護に朽木家の掟を教えているところです」

ぴくりと白哉の眉が動いた。

「掟?」
「そうです。一護は現世の下賎な出自。朽木家の嫁として相応しい品格を持ってもらわねばなりません。
 まずは朽木家の味をと料理を教えたのですが、相も変らぬ下品な料理で」

チッと忌々しげにルキアが舌打ちをする。
演技って言ってたけど、結構本気が入ってるような気がするのは気のせいだろうか。

「ごめんなさい、白哉。俺、がんばってるんだけど、至らなくて……」

唇を震わせて一護は顔を伏せた。こっそり涙を拭く仕草なんかもして、気分は「北島マヤ」。
ここでルキアの肩を持つか、それとも一護を庇うか。
人生の転機が待っている。
だが、白哉はルキアと一護を交互に見ると、顎に手をやり、じっと考え込んでいる。
どっちだよ、と問い詰めたい気持ちを押し殺し、ルキアと一護は白哉の出方を待った。
そして、

「わかった」

白哉はくるりと背を向け、座敷から出て行こうとした。

「待て、ちょっと待て!」

一護は白哉の脚に取り縋った。

「オマエ、この状況を見て何とも思わねぇの?」
「何をだ? ルキアから料理の手ほどきを受けているのだろう?」
「そうだけどよ…… そうだけど、俺がこんな目に合わされてんのに、何とも思わねぇの?
 出した料理を引っくり返されてんだぞ? 料理だけじゃなくって、俺の人間性まで否定されてんだぞ?」
「可哀相だとは思うが、ルキアが何の理由もなく兄(けい)を貶めるとは思えぬ。
 正当な理由があってのことであろう。ならば私が口を出すことではあるまい」

あぁ、これは嫁姑問題劇化のパターン? 離婚まで一直線? 新婚なのに?
一護が今度は本気の涙を零しかけた傍で、白哉は畳に転がった椀を手に取った。
椀の底に僅かに吸い物の汁が残っている。

「兄様、そんなものを口に!」

ルキアの制止を聞き流し、白哉がずずっと残り汁をすすった。

「冷めてはいるが、味は良い。今度は熱いうちに食したいものだ」

白哉は懐紙で口元を拭き、起こした膳に椀を置いた。
ぽかーんと見詰める一護に、ふっと一瞬微笑みかけ、白哉は立ち上がった。

「ルキアも朽木家の一員としての自覚が出て来たようだな。これからも一護の指導を頼む。だが」

いつもの厳しい顔に戻った白哉が、座敷に背を向けた。すっと音もなく開いた障子から廊下へ脚を踏み出す。

「緋真は良い妻であったが、料理だけは最後まで馴染めなかった」

思わせぶりなセリフを残し、白哉は静かに立ち去って行った。


「どういう…… 意味だろうか?」
「さぁ…… 何だろ?」
「貴様、兄様の妻であろう! 妻ならば夫の考えていることくらいわからぬかっ!」
「無茶言うなよ! そんなこと言うならルキアだって妹だろっ! 妹なら兄の考えくらい理解してろよ!」
むきーっといつもの口喧嘩が始るかというところで、ふっと二人は肩の力を抜いた。

「やめておこう」
「俺たちが喧嘩しても意味がねえ」

無言で散らかった座敷を片付け始める。

「とりあえず、料理がんばれってことかなあ」
「それ以外の何だというのだ?」
「どっちの味方になったんだろう?」
「……わからぬ。わからんが……」
「なんか、有耶無耶って感じ、だよなぁ」

誤魔化されたような気もするが、とりあえず朽木白哉を理解するには一筋縄では行かないと再認識したことが、今日の成果かもしれない。





END