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ゴールドカードには特典が付き物っていうけど


-----兄に年玉をやろう

袱紗の敷かれた三宝に載せられた大振りのポチ袋から出て来たのは、一枚の手形。
派手な花柄に麗々しく「桜紋朽木總通証」の7文字が書かれたその手形は、朽木家が運営する全ての店舗で、全ての商品が無料になる幻の逸品らしい。
しかも、尸魂界でも屈指の財閥朽木家が運営する店舗はあらゆる業界に存在している、ときた。つまり、これ一枚あれば尸魂界にいる限り一生食いっ逸れることはないらしい。
やたらルキアが興奮して「よかったな」と繰り返すものだから、ありがとうと頭を下げて受け取ることにしたのだけれど。
甘かった。





浦原の使いで久し振りに足を踏み入れた尸魂界は、冷たい風が冬枯れの枝を揺らし、冴え冴えとした青空が広がっていた。
乾いた空気の中、きらきらと粉雪が舞っている。凍て付く冬風に首を竦め、一護は浦原から渡されたメモを片手に指定された店に向かった。
表向き尸魂界には立ち入りできない浦原だが、浦原商店で扱っている品々は現世に駐在する死神には欠かせない。急な品切れが出たときには、一護が頼まれて買い物に来ることがあった。
買い物客で賑わう目抜き通りの一本裏手に、浦原から指定された店はあった。重厚な門構え、喧騒が嘘のような静かな佇まい。これまでお遣いを頼まれた商家とは段違いの格式を感じる。厳つい店構えに気後れしつつ、一護は藍色の暖簾をくぐった。

「すいませーん」

それほど広くもない店先はしんと静まり返り、物音一つしない。留守なのだろうか。一護はもう一度声を張り上げた。

「誰かいませんかー、すいませーん」
「はいはい、少々お待ちくださいませ」

店の奥からパタパタと足音が聞こえ、ひょっこり白髪頭の老人が顔を出した。

「今ちょうど番頭が、使いに出ておりまして。大変失礼いたしました」

ぺこりと頭を下げた老人は気品が漂い、時代劇に出てくる大店の主人そのままだ。着る物にはあまり詳しくない一護にすら、老人が身につけている着物が決して安物ではないことがわかる。

「もしかして、ご主人?」
「左様でございます。お客様は、こちらは初めてでございましょう?」

こくりと頷き、一護は老人に浦原から預かった書付を渡した。

「頼まれて来たんだけど」
「浦原様の所の方でしたか。浦原様には毎度ご贔屓にさせて頂いております。すぐに準備いたしますよ。暫くお待ちくださいまし」

書付を片手に老人が手際よく商品をそろえていく。店の壁一面を埋め尽くした飴色の棚が開けられる度に、煎じた薬のような苦い香りが漂ってくる。やがて山と詰まれた品々を風呂敷に包み、老人は愛想良く一護に微笑んだ。

「これで全部でございますよ。〆て二十五万環になります」

いつもは浦原が先に連絡してあるせいか、代金の支払いを求められたことなどなかった。だから当然今回もそうだろうと思い込んでいたけれど、にこにこ笑う老人にそんな様子はない。
どうしよう。むーと眉を顰め、差し出された包みを睨みつけている内に、ふと一護は気が付いた。

「爺さん、もしかしてこの店って、朽木家が経営してんの?」

風呂敷に描かれた桜の紋。どこかで見たことがあるような気がしたが、桜紋朽木總通証に描かれた花模様とそっくりだ。

「左様でございますよ。朽木のお殿様のお店(たな)でございます」

いきなりの爺さん呼ばわりに一瞬表情を強張らせたものの、いかにも商人らしい強かさで老人は慇懃無礼に頷いた。
やっぱり。にまりと唇を上げ、一護はごそごそと懐を探った。

「じゃ、これ、使えるよな」

差し出したのは桜紋朽木總通証。
ルキアの言うとおり朽木家が運営する全ての店舗で無料になるのなら、きっとここでも使えるはずだ。

「これはこれは、なんとまぁ」

老人が急にあたふたと慌て出した。心なしか顔が蒼褪めてもいるようだ。

「大変失礼をいたしました。お客様がそうとは気付かず、誠に申し訳ございません」

畳に頭をこすり付けんばかりの勢いで、老人が何度も一護に頭を下げた。
老人のあまりの変わりように、呆気に取られる。なんだか嫌な予感がする。

「いや、そんな気にすることねぇから。使えたらいいなぁって思っただけで」
「いえいえ、滅相もございません。全く至りませんで、お恥ずかしい限りでございます」

コメツキバッタの如くぺこぺこと頭を下げ続ける老人の様子に、一護は慌てて風呂敷包みを胸に抱えた。

「あの、俺、行くとこあるから」

暇乞いもそこそこに、急いで店から駆け出した。

「またお立ち寄りくださいまし。ご主人様によろしくお伝えくださいませ」

背後から聞こえる老人の声を振り切るように、一護は全速力で走り去った。





一体あれは何だったんだ。
息切れで乱れた呼吸を整えつつ、一護は呟いた。
桜紋朽木總通証が一般では入手不可能なレア物であることはわかっていたけれど、まさかあんなに露骨に態度が変わるほどすごいものだとは思わなかった。
もしかして、もしかすると、この手形、水戸黄門の葵の印籠並にものすごいものなのではなかろうか。
むむと手形を睨みつけ、やがて一護は表情を緩めた。

「やめだ、やめ。考えたって意味ねぇし。タダになるなら、それに越したことないもんな」

第一、尸魂界の通貨を持たない一護にとって、この手形が無ければ水の一杯も買うことができないのだ。
さっきの店は親父が大げさだったんだろう。きっとそうだ。絶対そう。

「とりあえどっかで茶でも飲めねぇかな。走ったら喉渇いた」

くるくると周りを見渡していると、二軒先に見覚えのある桜紋が染め抜かれた暖簾のかかった店が見えた。
看板には「茶店」と書いてある。
何だか若い女の子が大勢出入りしているけれど、背に腹は変えられない。
一護は手形をぐっと握り締め、桜紋の暖簾をくぐった。

「いらっしゃいませ〜」

甲高い女性の声が幾重にも重なって一護を出迎えた。揃いの黄八丈を来た若い女性たちが作り笑顔を浮かべて立っていた。

「お客様、お一人でいらっしゃいますか?」
「そう、だけど」
「では、こちらにどーぞ〜」
「ちょ、ちょっと待って。その前に」

すたすたと案内に立つ店員を引きとめ、一護は手の中の手形を印籠よろしく突き出した。

「この手形、ここで使えるかな?」

桜紋朽木總通証。きっとお得意様優待券か無料ご招待券の筈、なのに。
店員の口がぽかんと開き、何度も手形と一護を見比べる。やがて頬がかっと紅潮したかと思うと、一瞬で蒼褪め、更に両目からぽろぽろと涙を零し始めた。

「え、えぇっ? なに、なんでっ!?」

あたふたと慌てる一護を振り払い、店員は袖を翻し店の奥へと駆け込んだ。
何だこれは。何が起こった。
呆然と立ち尽くしているうちに、さっきの店員より幾許か年上らしき女性が店の奥から出て来た。揃いの黄八丈ではなく、びしっと小紋を着ているあたり店の責任者なのかもしれない。

「お客様、うちの店員に何か?」

寄せられた眉間が厳しい。
一護はしどろもどろになりながら、手の中の手形を差し出した。

「別に何もしちゃいねぇよ。俺はコレが使えるかって聞いただけだ」

もごもごと口ごもる一護に女性が不審な目を向ける。警戒心を隠しもせず、一護が差し出した手形を受け取った。

「これは桜紋朽木總通証っ?!」
「そうだよ。これがあれば朽木の店はどこでも無料なんだろ? だからここが朽木の店なら使えると思って出したんだけど」

一護の説明を聞いているのかいないのか、食い入るように手形を見詰めている。心ここに有らずといった様子に、一護は恐る恐る声をかけた。

「これ、ここじゃ使えねぇの? だったら他に行くから」

だから返して、と女性の手から手形をそっと引き抜いた。途端に女性がわっと泣き出した。

「白哉さま、白哉さまぁっ!」

一転した修羅場の如き光景に店内の視線が一斉に一護に集まる。
号泣する女性に、他のスタッフがわらわらと集まってきた。

「ごめん、でも俺、何もしてねぇし!」

咎めるような視線が突き刺さる。一護は一歩また一歩、ゆっくりと出口に向かって後退った。首筋に暖簾が触れたところで、ばっと背を向け一気に駆け出す。
背後から裏返った悲鳴が上がり、次いで号泣が聞こえてきた。
何だこれは。俺が一体何をしたってんだ。理不尽だ。
一護はやり場の無い怒りをふつふつと滾らせ、ひたすら走り続けた。





「白哉はいるかっ!」

この一連の出来事はどれもこれも桜紋朽木總通証のせい。
ならば朽木家当主で、一護にこの手形を渡した当人である白哉を問い詰めれば、きっと理由がわかるに違いない。
というか、何故自分があんな目に合わねばならんのか。元凶を問い質さねば気が済まない。
一護は鬼の形相で六番隊隊舎の門を叩いた。
案内に出た隊員を片手で制し、勝手知ったるで隊長室に扉を蹴破ってみれば、白哉は不在。代わりに恋次とルキアが、鯛焼き片手にぽかんと口を開けていた。

「白哉をどこに隠した。とっとと出さねぇと、テメェらも……斬る」

一護は斬魄刀を二人に突きつけた。瞳孔が開いている。ぶち切れた一護は見慣れたものだが、こんなに静かに怒っている一護を見るのは初めてだ。
恋次とルキアの背筋に冷たい汗が一筋流れる。紛れも無く一護から漂っているのは、本気の殺気だ。

「物騒なモン、出すんじゃねぇよ。隊長は総隊長に呼ばれて出かけてるが」

もうすぐ戻ってくる、と言い終える前に、一護がくるりと背を向けた。

「一護、オマエどこ行くんだ」
「山本の爺さんとこにいるんだろ。だったら一番隊隊舎に決まってんじゃねぇか」

にぃっと口元だけの笑みを浮かべる一護に、ぞわっと首の後ろの毛が逆立った。
一護が一護ではないようだ。今の一護ならば、山本総隊長にも軽く圧勝して、尸魂界ごと破壊できそうな気がする。

「落ち着けよ、一体何があったんだ。俺たちで出来ることなら手助けするから、なっ!」

恋次はルキアを振り返り、同意を求めた。ぶんぶんとルキアが頷いている。

「ほら、ルキアもそう言ってるし。ま、とりあえず茶でも飲んで、話してみろよ」

恋次が一護の手をとり、卓の前に座らせる。さり気なく斬魄刀を取り上げ、ルキアに渡した。
ルキアが斬魄刀を隣室に隠しに行ったのを見計らい、恋次は一護の前に置いた湯飲みに茶を注いだ。

「で、何があったんだ?」

いつもの一護が相手ならば度突き合い一発でどんなことでもわかりあえる自信があるが、今日の一護は勝手が違う。引き攣った愛想笑いで恋次は一護に尋ねた。

「……何が、じゃねぇんだよ!」

沈黙を破り、一護が口火を切った。
滔々と語られる話に、恋次はところどころ相槌をうち、たまに聞き返したりもして、話が終る頃にはなんとか一護も落ち着いたようだ。

「つまり、行く先々で不思議な対応されちまうってことなんだな?」
「俺、何にもしてねぇのに」

一護が口を尖らせ、憮然と頷いた。悄然と肩を落としている姿は哀れを誘う。理不尽な目にあったことには同情するが、とりあえずここは適当に宥めて現世に送り返そうと、恋次が一護の肩へ手を置いたまさにその時。

「そんなこと、当たり前ではないか」

空気読めない子が、空気読めない発言を繰り出した。

「桜紋朽木總通証は簡単に手に入れられるものではない。朽木家当主が、つまり兄様が特別に認めた者だけが持てる限定品なのだぞ」
「それがなんだっつんだよ」
「この、たわけ!」

落ち着きを取り戻した一護に、ルキアの容赦ない罵声が飛ぶ。
またキレたらどうするんだ、という恋次の心の叫びはルキアには届かない。

「兄様が特別に認めた者だけだと言っただろう!」
「それが何だっつんだよ! オマエも恋次も持ってんだろうが、お年玉だっつって俺に渡すくらいなんだし!」
「持たぬ」

ふんっと腕を組んでルキアが力強く言い放った。

「私も、恋次も、桜紋朽木總通証は持っておらぬ」

ぽかんと口を開けたまま、ぎこちなく一護は恋次を振り返った。
救いを求めるかのように潤んだ瞳には同情するが、嘘は吐けない。恋次はぶんぶんと頷きを返し、ルキアへの同意を示した。

「朽木家の人間が朽木の店で手形を使って買い物などする訳なかろう。使用人ならば、顔を見るだけで私が朽木の家の者だとわかって当然だからな」

お嬢様は顔パスということか。さすがセレブ。
だが、恋次は。あれでも副隊長。白哉の片腕であり、側近でもある。一応は。

「所詮上司と部下。その程度の縁で手形を配っていては商いが成り立たぬではないか」
「じゃあ、他にどんなヤツが持ってんだよっ!」
「誰も」

え?と首を傾げる一護に、ルキアは言い聞かせるようにゆっくり、一語一語区切るように答えた。

「他の誰も持っておらぬ。一護、桜紋朽木總通証はオマエしか持たぬのだ」

桜紋朽木總通証は、持っている限り朽木家が経営する全ての店舗で全ての商品が無料になる。つまりは朽木グループ専用の永年無料優待券。
しかも朽木グループには、目の飛び出るほど高価な品々を扱う店舗も少なくない。白哉が常に首に巻いている「屋敷三軒分と同等」と評された白絹も、朽木グループの取り扱い商品のひとつだが、それすら桜紋朽木總通証さえあれば無料で手に入れることができる。
つまり「食い逸れる」どころか、その手形一枚で一財産築くことも不可能ではない。否、桜紋朽木總通証自体が財産と言っても過言ではない。
そんな打ち出の小槌を、白哉が誰彼と無く渡す訳がない。桜紋朽木總通証とは、真に朽木家にとって重要と認められた者だけが持てるゴールドカード、プラチナカードなのだ。

「他に、誰も持ってねぇの?」

震える声で一護が尋ねる。

「今はな」
「今は? じゃあ、昔は?」

縋りつく一護に、ルキアは厳かに答えた。

「緋真姉様だ。朽木家に輿入れする前のことだがな。輿入れの仕度用にと兄様から渡されたと聞いている」

緋真はルキアの姉であり、白哉の前妻でもあった女性だ。身分の差を越えた二人の結婚は、世紀の恋として今でも尸魂界で語り草になっている。
だが、その緋真が持っていたのだとしたら。

「そりゃ、見せられた方はたまったもんじゃねぇな」

恋次が訳知り顔にうんうんと何度も頷いている。腕を組み、顎に手を当て、思わせぶりな含み笑い付きで。

「何を言いてぇんだよっ」

噛み付く一護に、にやりと恋次は口の端を上げて見せた。

「まだわかんねぇのか? 緋真さんしか持ってなかった手形を持ってるってことは、一護、テメェが朽木隊長にとって緋真さん並に大事な人間だってことじゃねぇか」

最初に訪れた店で店主が大慌てしたのは、主である白哉の未来の伴侶がお忍びでやってきたと誤解して驚いたため。
次に入った茶店で店員の女性たちが泣き出したのは、「憧れの白哉様」への淡い恋心が儚く散ったと嘆き悲しんだため。
結局は、白哉が一護に「白哉の特別な存在」だというお墨付きを与えたことが原因なのだ、と。

「……バカなこと言ってんじゃねぇ」

ぐらりと視界が揺れ、ニタァと笑う恋次の顔が歪んで見える。一護は額に手をやり眩暈を堪えて、強張る唇を無理矢理開いた。

「アレはお年玉つってもらったんだ。んな深い意味がある訳ねぇだろ」
「バカは貴様だ」

ふぅとルキアは大きく溜息を吐いた。一護の物分りの悪さに呆れたと言わんばかりの、うんざり感も漂っている。

「桜紋朽木總通証を渡されて、ただの年玉だと思う貴様はバカか。兄様の照れ隠しだと、何故わからんのだっ!」
「んなもん、わかるかっ!」

大体、自分と白哉はそんな関係ではない。
確かに死神としての実力とか、己を律する厳しさとか、厳しさの裏の優しさとか。尊敬できる人物であることは間違いない。
だが、それはそれ。これはこれ。
大体、男である自分を白哉が緋真と同じ意味合いで手形を渡す筈がないではないか。
それなのに何故。一護は勢い余ってどもりながら、力一杯言い返した。
だが。

「黙れ! 往生際が悪いぞ、一護!」

ルキアの一喝で切り捨てられた。

「貴様が何を言おうと、兄様がそうしたのだから、そうなのだ! 大体、兄様のどこに不満があると言うのだ!
 兄様はここ数年『結婚したい死神』で不動のNo.1なのだぞ。その兄様に見初められるなど、この上ない幸運ではないか!」

反論は許さぬ。断固たる意思も露にルキアが言い切った。
若干ブラコン気味だとは思っていたが、まさかここまでとは。

「でも、俺、男だぞ! 白哉も男なんだぞ!」
「やかましいっ! 貴様はそんな些細なことを気にする程、器の小さい男なのかっ!」

器の大きい、小さいの問題なんだろうか。いや、絶対に違う。
ルキアの強引な決め付けに、ひくひくとこめかみが痙攣を始めた頃、ぽんと肩を叩かれた。

「ま、あきらめろや。大人しく玉の輿に乗っとけ。テメェを奥様扱いしなきゃなんねぇのは癪だがな。幸せを祈ってるぜ」

恋次が芝居がかった仕草で一護の両手を握った。

「あ、一護、早速恋次と浮気か。兄様に言いつけるぞ!」

やたら浮れたルキアが恋次に調子を合わせる。
完全に面白がっている。

「もう、コレ、返すーっ!」

一護の涙声が隊舎に響き渡った。





END