Top >> Gallery(to menu)

虜囚の見る夢


虚夜宮には、温度が無い。虚夜宮に限らず、虚圏には温度が無い。
生命が生まれ出で、育まれる暖かさが無い。
虚といっても、元は人の魂であったものが数多生息している世界であることを思うと、どこか不可解ではあるが、輪廻を外れた魂が行く着く先は所詮この程度ということなのかもしれない。
暗く、冷たい、虚圏。
だが、そんな常夜の虚圏にも、今は暖かな炎が灯っている。
藍染は虚夜宮の奥の間、破面すら立ち入ることが許されない一画へと足を踏み入れた。

「一護」

一護が部屋の隅で震えている。寝台から剥ぎ取ったのか、薄汚れた白布を頭から被っている。
藍染は微かに口元を綻ばせ、静かに一護に近付いた。
藍染の靴音だけが響く静寂の中、引き攣った息遣いが聞こえてくる。
白布の前で藍染は膝を床に付き、少年の頭からゆっくりと白布を下ろした。

「寒いのか?」

一護が焦ったように頭を振る。視線を彷徨わせ、唇を慄かせている。

「やっ……来る、な」
「私が居ない間に何か不満なことでもあったのか?」
「いやッ!」

白布を下ろした手を肩から背へ滑らせると、がたがたと一護が震えだした。両手で己を抱き締め、身を縮ませる。
両瞳に涙を浮かべ、頭を振りながら何度も「イヤ」と呟いている。まるで傷付いた小動物が肉食獣を前にしたかのような怯えようだ。

「来るな…… やぁ、来るなぁ…ッ!」

嗚咽を漏らし始めた一護に、藍染は小さく首を傾げた。

「何が怖い? ここには怖いものなど何もない。誰も君を傷つけない。怯える必要などないだろう? ……それはそうと」

藍染は静かに微笑み、一護の頭を両掌で掴んだ。視線を捉え、ゆっくり口を開く。

「オマエは誰だ? 一護をどこへやった?」

射抜くような藍染の視線に一護がびくりと肩を震わせた。逃れるように視線を逸らし、顔を俯かせる。
カタカタと肩の震えが徐々に大きくなり、やがて一護の口から堪えきれない嘲笑が溢れ出した。

「どこで判った?」

再び顔を上げた時には怯えた少年の面影は消え失せ、代わりにあったのは高慢に唇を吊り上げた若い男の顔。
日に焼けた肌は蒼褪め、暖かな萱草色の髪からは色が抜け。そこにいるのは一護と同じ姿形を持ちながら、しかし全く別の人物だった。

「バレねぇ自信はあったんだけどなぁ」

一護の顔を持った少年は、藍染の掌を払い落とし立ち上がった。白布を床に落とし、両手を頭上で組んで身体を伸ばしている。
つい先刻までの怯えた様子は、微塵も感じられない。

「目の光が違ったからね」

ゆっくりと立ち上がり、藍染は苦笑交じりに呟いた。「一護」が訝しげに眉を顰めている。

「目の奥に、私を出し抜き、誑かそうという意思を秘めた力があった。本物の一護には決して持ち得ない、ね」
「んだぁ、そんなことかよ」

「一護」が忌々しげに吐き捨てた。

「アイツは弱虫だ。守りてぇ、強くなりてぇ、って思ってるクセに、当の本人はいつまで経っても甘っちょろくて、逃げることばっかり考えてやがる。
 ここに連れてこられてからは特に酷ぇ。逃げ出したいクセに逃げようともしねぇ。誰か助けてくれ、ってそればっかりだ」
「随分と一護のことに詳しいんだね」
「そりゃしょうがねぇだろ」

「一護」がきょろきょろとあたりを見回し、壁の反対側に設えられたクローゼットに視線を止めた。
すたすたと部屋を横切り、クローゼットの中を漁る。

「結構いろいろ揃ってんじゃん」

クローゼットには一護のために用意された衣服が納められていた。これまで一護がその衣服に袖を通したことは無かったけれど。
一枚取り出しては床に放り出し、それを何度か繰り返した後、漸く気に入ったものが見つかったのか、「一護」は徐にそれまで着ていた襦袢を脱ぎ捨てた。

「アイツ、こんな汚ぇ襦袢は嫌だって思ってたクセによ、アンタが用意した服に着替えたらもう戻れなくなるんじゃないかって、くっだらねぇこと怖がって、我慢してコレ着てたんだぜ。信じらんねぇよ」

脱いだ襦袢を忌々しげに睨みつけ、「一護」が吐き捨てた。
それまで「一護」が身につけていた襦袢は、もともと一護が死覇装の下に着ていたものだ。白かった襦袢は男の精に汚れ、乾いた一護の血に所々茶に染まっていた。

「健気でいいと思うがね」

惜しみなく裸身を晒す「一護」に藍染は目を細めた。所々に残る紅の痣が、この身体が間違いなく一護であることを物語っている。
一護ならば藍染が傍らにいて裸身を晒すことなど出来はしまい。身体の奥底に教え込んだ「男」が、恐怖や羞恥となって現れてくる筈だ。意地や強がりで取り繕えるような教え方はしていない。
やはり、この「一護」は一護ではない。
姿見の前で着替えた服を矯めつ眇めつ眺める「一護」の腕を取り、藍染は「一護」を引き寄せた。

「二重人格なのか?」
「そうじゃねぇけど、そう思いたかったらそれでいいさ」

低く喉の奥で笑う「一護」に、藍染は溜め息を吐いた。

「それなりに世の真理を理解したと自負していたが、まさかこんな身近に謎を抱える破目になるとは思わなかったよ」
「いいじゃねぇか。わかんねぇことが多いほど毎日が楽しいだろ」

クツクツと一護が肩を揺らした。藍染を翻弄し、手玉に取ることが楽しくてたまらない、とでもいった風情だ。

「一護はどこにいる? いつ戻ってくる?」
「さぁねぇ」

顎を突き出し「一護」が嘲った。

「アイツはアイツの世界で膝抱えて丸くなってる。ココは怖い、アンタが怖い、誰か助けてくれ、って泣き言ばっかり零してる。相当アンタとのアレに衝撃受けてるみたいだぜぇ。アンタに組み敷かれて、アンタのアレを突っ込まれて…… アンアン声上げて感じてた自分によぉ!」

けらけらと「一護」が笑い出した。隠し切れない悪意が言葉の端々に顔を出している。
藍染は指先でついと「一護」の顎を上げた。

「もう一度聞くよ。あの子は…… 一護はいつ戻って来る?」
「知らねぇって言ってんじゃん」

藍染の手を払い退け、綻んだ花のような笑顔を浮かべ藍染に抱きついてきた。

「アイツなんてどうでもいいだろ? 俺、知ってるぜ。アイツ、ここに来てから毎日ベソベソ泣いて、アンタに心配かけてばっかりなんだろ? 
 俺だったら、んな無駄なことはしねぇ。ここで大人しくアンタが来るのを待っててやる」

「一護」が藍染の足の間に足を入れ、下肢を擦り付けてくる。娼婦のような媚態に、藍染の喉に苦いモノが込み上げてきた。

「私が欲しいのは、一護であって君ではない」

一瞬、傷付いたように「一護」の表情が強張った。ぎりと唇を噛み締め、ぎこちない笑みを浮かべる。

「虚圏ってのは最高だよ。ここなら俺もアイツの身体を借りて外に出られる。やっと外に出られたってのに、アイツが先にへばっちまったら元も子もねぇ。
 アンタもそうだろ? アイツがくたばっちまったら、折角のお楽しみがパァだ。だから…… 協力してやんよ。
 アイツがくたばらないように、アイツの代わりに俺が健康的な生活ってのを送ってやる。アンタがヤリてぇ時には、俺がアンタに抱かれてやる。アンタが望むことは何だってやってやるよ。
 身体は同じなんだ。悪ぃ話じゃねぇだろ?」

媚びるような「一護」の視線に、藍染は気がついた。
何故、こうも「一護」は自分が表に出ることに拘るのか。

「昔、多重人格障害の症例を見たことがある。多重人格は、主人格が耐えられないような辛い経験をした時に、その辛さを肩代わりさせるために生み出すケースが多いようだね。君も、そうなのかな?」
「そんなこと知らねぇよ!」

藍染の襟を両手で握り締め「一護」が叫んだ。瞳が凶悪に煌いている。

「俺は、いつまでもアイツに押し込められてんのがイヤなだけだ! アイツがどうなろうと関係ねぇ!
 アイツの身体は俺のモンなんだ。俺が俺の身体を労わって何が悪いッ」

一息に言い募り、「一護」が息を乱す。心なしか瞳が潤んでいる。

「なぁ……」

「一護」が藍染の首に両腕を回し、縋りついてきた。これまでと一変した無垢な仕草に、藍染は面食らい、そして息を呑んだ。

「アンタがアイツの方がいいってんなら、アンタはこれまでどおりアイツを好きにしたらいいさ。俺はアンタがいねぇ間だけ、アイツの代わりにココで大人しくしてる。でも、よ」

「一護」が吐息混じりに囁いた。触れるか触れないかで、藍染の首筋に唇を寄せる。

「たまには俺ともヤんねぇ? アイツがアンタに抱かれてる間、アイツが感じてる痛いコトとか気持ちいいコトとか、全部じゃねぇけど俺にも伝わってくんだよ…… 俺だって、アイツと同じくらい気持ちよくなりてぇ、って思ってもいいだろ?」

「一護」の唇から、赤い舌先が覗く。蒼褪めた肌との対比に、藍染はごくりと喉を鳴らした。
処女のような潔癖さで、抗い、泣きながら喘ぐ一護の妖艶さは、何者にも変えがたい。何度抱いても飽きることなく、藍染の欲を誘い、煽られる。
だが、抱いて欲しいと素直に快楽への欲望を口にする「一護」の媚態も興味深い。

「いいだろう」

悪くはない。元より他人から誉められるような、お固い生活を送っていた訳でもない。
藍染は「一護」を抱き上げ、乱れた寝台へと誘った。

「今夜はオマエに楽しませてもらおう」

腕の中で「一護」が小さく震えた。




END