Cheshire Cat
小さな窓から見える細い月。黒い空が裂けたかのように、細く、細く黄金色に輝いていた。
プラントから月は見えない。
プラントは地球ではないから。
プラントに空は無いから。
それを不自然だとか、不思議だとか思ったことはなかった。
月は宇宙に出て見るものだと思っていたから。
プラントで生まれ育ったディアッカにとって、月とは単なる地球の衛星でしかなく、イオやエウロパといった木星の衛星たちと何ら変わりはない。暗黒の宇宙に浮かぶ岩石と砂塵でできた無骨な球体。
殊更興味を引かれるようなものではなかった。
『チェシャムーン?』
『あれ?おまえ、アリス、知らない?不思議の国のアリス』
『それくらい知ってるけど、それがどういう関係があるの?俺はあの月のことを聞いたんだけど』
『だからだよ』
『……訳、わかんね』
宇宙から見る月と地上から見る月は、全く別の存在で。クレーターだらけの無骨な小さな星、自ら輝くこともできない岩石の塊は、日によって形を変え、暗い地上に優しい黄金色の光を注いでいた。
『アリスにさ、チェシャ猫って出てくるだろう?どこにでも変幻自在に出没しては、にやにや笑いだけを空中に残して消えていく不思議な猫。あの月の形って、にぃっと笑った口元だけが真っ暗闇の中に浮かんでるみたいに見えない?』
『へぇ。チェシャ猫の月でチェシャムーンって訳?でも、それってあんたのオリジナルじゃないだろ?
』
『何故そう思う?』
『かっこよすぎるもん』
『ま、絵画や歌詞、小説のタイトルに使われてたりもするけどね。でもさ、わざわざそういう呼び方をする俺って、かっこよくない?』
新月。上弦の月。朔。
いろんな呼び名があるのに、あいつはそのどれでもなく、それをチェシャムーンと呼んでいた。
チェシャムーン。
チェシャムーン。
チェシャムーン。
今夜も空ではチェシャ猫が笑ってる。
ディアッカは今日もひとり夜空を仰ぐ。
END