小さな幸福(GIANT KILLING:赤崎×ジーノ)
「一体どういうつもりだい?」
クラブハウス裏手の駐車場、赤崎の愛車の前でジーノが不機嫌さも露に立っていた。
眉を寄せ、僅かに唇を尖らせ、ツンと顎を突き出している。
練習後のシャワーで湿った髪が額にかかって、なんだか良い香りもする。オーデコロンだろうか。
きっと有名ブランドの高級品なんだろうな。ボディソープの匂いがせいぜいな自分とは大違いだ。
「聞いてるの?」
見惚れてぼうっとしていると、ジーノが焦れたように近づいてきた。
大きな歩幅で、ずかずかと。赤崎のすぐ前に立つと、ジーノはびしっと赤崎の鼻先に人差し指を突き出した。
「言っておくけど、ボクをヤリ捨てするなんて許さないからね」
「……はぁ?」
ヤリ捨て、って。そんな下品な言葉をどこで覚えてきたんだ。大体似合わない。
「女の子に車を囲まれちゃって」とか「女の子に追いかけられちゃって」とか、いつだって女性人気の高さが自慢のETUの王子が「ヤリ捨て」って。
しかも「ボクをヤリ捨て」って。
どちらかと言えば、ヤリ捨てされるんじゃなくて、する方だろう、ジーノは。
しかも至って優雅に。相手に「ヤリ捨てされた」と気付かせないくらい粋に紳士的に。
仮に気付かれたとしても「ステキなアバンチュールだったよ」とにっこり笑顔でかわすだろう。
そのジーノが「ヤリ捨てするな」って。
「聞いてるの?」
「聞いてますけど、なんスか『ヤリ捨て』って?」
ぽけっと言い返したら、目の前で王子がきゅうっと唇を噛み締めたのが見えた。
言い返したいのに言葉が見つからない。なんて言えばいいのかわからない。
そんなジーノの心情がびんびん伝わってくる。
剣呑な状況だけど、怒っているジーノはどこか可愛い。
「わからないんなら、もういいよっ!」
ぷいっと視線を逸らし、足早に立ち去ろうとするジーノの右手を赤崎は咄嗟に掴んだ。
驚いて振り返るジーノを前に、赤崎はしどろもどろに口ごもり、思わず顔を逸らし空いた片手で自分の口元を覆った。
「すいません。でもアンタが何言ってんのかわかんないっス」
ジーノが怒ってるってのはわかる。
これだけはっきり「怒ってるんだぞー」とアピールされれば、いかに鈍い自分でもはっきりわかる。
でも理由がわからない。
いや、どっちかと言えばあまり周囲に気が回らない方だし、自己中だし、だから気が付いていないだけでジーノを怒らせてしまう失敗をしたのかもしれないけど、「ヤリ捨て」って。
言葉の意味はわかるけど、どうしてジーノが「ヤリ捨て」と自分を詰ってくるのか、それがわからない。
「……わからないフリしてんの? それとも本当にわからないの?」
「アンタを相手に、そんなことできる訳ないでしょう」
「そうだね…… ザッキーにそんな器用な演技ができる訳ないか」
ふぅとため息を吐き、ジーノが赤崎に正面から向き直った。
わずかに顎を上げ、目を眇める。
「あのね、前回会ってから何日経ってる?」
「前回? えっと、昨日もココで会ってますよね?」
「それは練習で、だろ! 練習以外で会ったのはいつかって聞いてるんだよ!」
「練習……以外で?」
練習じゃないとすると、試合か? いや、ジーノの言いたいのはそんなんじゃない気がする。
じゃあ何だ?と考えていると、いきなりフラッシュバックのようにジーノの笑顔が脳裏に浮かんだ。
白いマグカップを口元に運び、ジーノが優雅に微笑んでいる。クラブハウスでもなく、どこかのカフェでもなく、ジーノの部屋のリビングで。
そこに思い至った瞬間、赤崎の頬に一気に血が登った。
「そ、れは…… えっと、その2週間くらい前だったような……」
「2週間くらい? 『くらい』って何? 覚えてないの?」
「いや、そうじゃなくって。ちゃんと覚えてますけど」
「ちゃんと覚えてるなら『くらい』なんて言わないでよね。正確には19日前! 殆ど3週間前だよ!」
そんなに経ったのか。つい昨日のことのようなのに。
実際、赤崎は毎日のようにあの幸運な出来事を思い出しては幸せを噛み締めていたし、そのせいでそんなに前の出来事だと言われても、「そうなの?」って感じで、どこか実感が沸かない。
記憶の中のジーノは鮮明で、まだ掌に肌の感触が残っているくらいなのに。
「その19日前に何があった? まさかそれも忘れた?」
「そんなことっ! 忘れる訳ないっスよ!」
「じゃあ、なんでっ?!」
ぐっと両拳を握り締め、ジーノが叫んだ。いつも冷静で、達観した態度を崩さないジーノが取り乱している。
驚いて呆然としている赤崎にジーノは詰め寄った。
「どうして電話の1本、メールの1通もくれないんだい? 練習でも試合でも、終わったらハイ、サヨウナラでさっさと帰って行く。
サッカー以外のことは全然話しかけてもこないし。
何で? ザッキーにとってボクってその程度なの? ボクが勝手に勘違いしてただけ?」
「違いますっ! そんなんじゃなくて」
赤崎は表情を隠すように俯いた。視線の先にあるのは自分のシューズ。爪先に少しだけ泥が付いている。
帰ったら手入れしないと、と関係ないことを考えながら、赤崎はその泥の小さな塊を睨みつけた。
「忘れてくれって言われたらイヤだったから」
情けないなぁとは思うけど、一旦出した言葉はもう飲み込めない。
それにジーノが、あのジーノが、ETUの王子がわざわざ自分を待ち伏せしてまで聞きだしたかったことなのだ。
小手先で誤魔化すなんてしたくない。
赤崎は時々言葉に詰まりながら、しかし正直にぽつりぽつりと話しだした。
「アンタとああいうことになって、俺はすごく嬉しかったけど、でもアンタが俺と同じかどうかなんてわかんないじゃないっスか。
だって、俺、今シーズンで3年間アンタと同じトップチームにいるのに、アンタ、俺の名前も知らなかったでしょ?
やっと目に留まったと思ったら『番犬』だし。
だから、こないだのこともアンタにしてみたら気まぐれに番犬にエサをやったくらいのものなのかな、って。
本気にしたら、『馴れ馴れしい』って振り払われるか、『無かったことにして。忘れて』って言われるかもしれないって思ったら、怖くて話しかけるなんてできなかったし。
前と同じようにしてるしか、それ以外にどうしたらいいのかわかんなかったから」
なんだ、この情けなさ。まるっきりイケてない。カッコワルイ。
こんなんじゃジーノに呆れ返られてもしょうがない。
嫌われたくなくて右往左往してたけど、結局意味は無かったのかもしれない。
赤崎は自嘲気味に唇を歪めた。
「……ザッキー、何言ってんの?」
ジーノのため息が聞こえた。
「確かにボクは犬好きだけど、無闇矢鱈と犬にエサを与えることはないよ。ましてや自分を御褒美代わりにするなんて。
それにこれまでボクは自分の寝室に誰かを入れたことは無い。ザッキーが初めて。たぶん最初で最後。
……ここまで言えば、如何に鈍いザッキーでもわかるよね?」
ものすごい勢いで顔を上げ、赤崎はジーノの顔を食い入るように見つめた。
自分の都合良く誤解していないか、探るようにジーノの目を覗き込んだ。
「ザッキー……ザッキーはボクのこと、好き?」
微笑むジーノに赤崎はぶんぶんと何度も頷いた。
「そっか、良かった。ボクもザッキーが好きだよ」
ジーノの顔が段々と近づいてくる。唇に吐息がかかり、ゆっくりと唇が重ねられた。
薄い唇は柔らかく、少しだけかさついていた。
「俺、アンタのこと、すっげー好きです」
赤崎はジーノの背に手を回し、力一杯抱き締めた。
腕の中でジーノが笑っている気がした。
END