フラガは怒っていた。
静かに、深く怒っていた。
忙しい中、やっとディアッカと同じ日に休みが取れて、折角だからどこか遠出でもしようかと何週間も前から計画していた。
一緒にガイドブックを見ながら、どこに行こうか、何をしようか、二人一緒に計画を立てた。
その日の勤務が終わったらフラガの部屋で一緒に一晩過ごして、翌日の朝から一緒に出かけよう、とも言っていた。
しかし、その約束は何の連絡も無しにすっぽかされた。
ディアッカがフラガのフラットにやってきたのは翌日の、もう昼になろうかという時刻だった。
二人で立てた計画も全て水の泡。今から出かけたって予定の半分も果たせない。
ディアッカの気まぐれは今に始まったことではない。
慣れている。
慣れたくはないけれど、慣れてしまった。
いや、慣らされてしまった、と言った方が正しいのかもしれない。
「TVゲームのラスボスが中々倒せなかったから」
「イザークが美味しいプリンを買ってきてくれたから」
「飼い犬のサウザーにフリスビーを買ってあげたから」
どうでもいいような理由で、ディアッカはフラガとの約束をすっぽかす。
これまでは大人の余裕で許していたけれど、そろそろ一回くらいぴしーっと言わなければいけないのかもしれない。そう考えていた矢先だった。
ディアッカは何の連絡もなく約束をすっぽかし、悪びれた風もなくフラガの元にやってきた。
「ディアッカ。昨日はどうして来なかったの? 勤務が終わったらウチに来るって約束してたよね?!」
フラガのフラットにやって来るなり玄関でバッグを投げ出すディアッカを、しかめっ面でフラガは出迎えた。
不機嫌さも露なフラガに、ディアッカは不思議そうに首を傾げている。
「だってバルトフェルド隊長が、ウチに来たらおいしいコーヒーを飲ませてあげるって言ったんだもん」
「コーヒーならウチにもあるでしょ。ディアッカの好きなハワイ・コナが」
「だっておいしいケーキもあるって言ったんだもん」
「ケーキならディアッカが来る日には必ず俺も用意してあるでしょ。っていうか、コーヒー飲んでケーキ食べるのにそんなに時間はかかんないでしょ。どうしてその後に来なかったの?」
「だって食べ終わったらおなかいっぱいになって、すごく眠くなったんだもん」
「……まさか、昨日はバルトフェルドのところに泊まったの?」
「だって眠くてウチに帰るのがめんどくさかったんだもん」
「ディアッカ……」
バルトフェルドが隙あらばディアッカを、と考えていることは周知の事実で、フラガにとって目下最大の天敵でもある。
常日頃から口が酸っぱくなるほど「バルトフェルドには近付くな」と言ってあるのに、当のディアッカは警戒心のカケラもない無邪気さでバルトフェルドが近付いてくるに任せている。
理由は簡単。
バルトフェルドがディアッカに甘いからだ。
ディアッカは自分を甘やかす人間は、それが誰であっても無条件で受け入れる。
甘やかしてくれる理由が何かなんて関係ない。甘やかしてくれるか、くれないか。それだけがディアッカにとって大切で、全ての判断基準なのだ。
一度くらい痛い目に会えばいいのに、とも思うのだが、運が良いのか、それとも野生の勘ですり抜けるのか、未だかつてディアッカは一度もイヤな目にはあっていない。
しかし。
もう限界。
いくら大人でも怒ったっていいと思う。
「いい加減にしろーっ!」
「バーカ。バーカ。ムゥ・ラ・フラガのホモ野郎ー!!」
たった今飛び出してきたフラガの部屋の窓に向かって、ディアッカはベーッと舌を出し、中指を突き立てた。
約束をドタキャンしたのなんて、これまでだって何回もあったのに。
今まで一度も怒らなかったのに。
今日に限って10才も年下の自分にあんなに本気で怒鳴るなんて。
「大人のクセに大人気ないんだよ。マジになってんじゃねぇよ」
本気で怒鳴ったフラガへの怒りをめらめらと燃やし、ふくれっ面でディアッカは足を踏み鳴らした。世間一般ではそれを逆ギレと呼ぶのだが、ディアッカにとっては至極正当で真っ当なご立腹である。
頭ごなしに怒鳴りつけるなんて。
自分だって楽しみにしてたのだ。いつもお互い休みは合わなくて、久しぶりに二人でゆっくり過ごせると思ったのに。
目一杯甘えてやろうと思ってたのに。
「あんなに怒ることないじゃんよ……」
ぽろり、と涙が零れてきた。
「……バカヤロー」
「ウソ?! マジ?! ほんとに出てった?」
ドアを開けて外を見ても、ディアッカの姿が見えない。
いつもだったらプンスカふくれっ面で、文句を言い続けるか、そこらにあるものをフラガに投げつけてウサ晴らしをするか。ドアから飛び出して行っても、せいぜいぶすくれた表情でドアの前に立っているのに、今日はどこにも姿が見えない。
沸点を超えていた怒りが一気に下がり、同時に胸騒ぎが大きくなってきた。
「まさか、またバルトフェルドのとこへ? いや、まさか……でも……」
ドアが閉まる直前、ちらっと見えた横顔は今にも泣き出しそうに歪んでいて。もし、あんな泣きそうな顔のままディアッカがバルトフェルドのところに行ってしまったとしたら……。
「まずい。絶対に喰われる! っていうか、マジでヤバイ!!」
玄関に飛び出し、靴を半分履いたところで、フラガはジャケットを取りに室内へ戻った。窓際に置いてあるジャケットに手を伸ばし、ふと上げた視線の先。
「ディアッカ……」
フラットの窓の下、エントランスの植え込みの陰にしゃがみこんでいるディアッカがいた。膝の間に顔を埋めて、小さく身体を丸めている。
「やっぱ、怒るってのは俺に向いてないのかもしれないなぁ」
フラガはがしがしと頭を掻き、ジャケットを羽織った。ドアの鍵はかけずにディアッカを迎えに行く。
折角の休日。
ちょっとトラブルはあったけれど、二人ならばきっと楽しい一日になる。
END