戦艦アークエンジェル。
連邦軍を単身離脱し、オーブのクサナギ、ザフトから脱走したエターナルとともに、どういう立場なのかと問われるといまいち上手く説明はできないけれど、とりあえず宇宙と地球の平和のため戦う勇者たちの母艦である。
しかし、今そこに不穏な影が、2つ。
一人は「おじゃまします」と堂々と、もう一人は物陰に隠れるようにこそこそと歩いていた。
「あぁ、マイ・スウィート・エンジェル……今日もまた一段と美しい…」
「……あの……隊長……」
「まさに掃き溜めに鶴、馬糞に蓮。こんな下賎な場所に落されているというのに、きみの清純さはカケラも損なわれていない……」
「ですから…隊長……」
「待っているがいい。今すぐ私がこの粗暴な環境から救い出してあげよう。マイスウィートハート」
「クルーゼ隊長っ!聞こえてるんですかっ?!」
「……うるせぇっ!!」
ばちこーんと軽やかな音を立てて、どこから取り出したのかハリセンが空を舞った。
「ア〜デ〜ス〜……おまえは勝手に付いてきたクセに、至福の時間を邪魔すんじゃねぇっ!!」
クルーゼはハリセンを放り出すと、懐から拳銃を取り出しアデスの額に銃口を押し付けた。
「雑音を増やして私の邪魔をするのなら、ここで死ね!今すぐ死ね!!」
「た、隊長〜!!」
あぁ、何故こんな所に来てしまったのか。
昼食後のシェスタを楽しもうとしていた時に、通路をスキップしていくクルーゼを見かけて、好奇心に勝てず後をついてきたのが悪かったのか。
しかし! 「クルーゼのスキップ」という世にも珍しく、恐ろしいものを見て、どこの誰が好奇心に勝てようか。
ガチリと重い撃鉄が上がる音に、アデスが死の予感に神への祈りを唱え始めた時、背後から穏やかな声が割って入ってきた。
「おまえら、ここで何してんの?」
「むっ……ムゥ・ラ・フラガか……」
地獄に仏、仲裁は時の氏神。アデスは安堵の涙を拭いながら、今までフラガの乗機に艦砲を浴びせたことを心から悔い、フラガの足に縋りついた。
「フ、フラガさん!隊長に早く帰るよう説得してくださいよ〜。ご家族なんでしょう」
「家族って言うな!偶然共通したDNAを持ってるだけの他人だ!」
「もう細かいことはいいですから〜。説得しないと、隊長はこのままこの艦に居ついちゃいますよ?!それでもいいんですか?」
戦場で遭遇するだけも業腹なのに、同じ艦内に住みつかれるなんて…考えるだけでもおぞましい。フラガは舌打ちをすると、クルーゼに向き直った。
振り返った先では、クルーゼがこの喧騒をものともせず、バンビーノだのハニービーだの脳みそ腐ってんじゃねぇの、と言いたくなるようなセリフをぶつぶつ呟きながら、物陰に隠れて通路の奥に怪しげな視線を送っていた。
「クルーゼ。おまえ、何してんだ?」
「見てわからんか?あぁ、物の哀れを理解できぬおまえには、この私の雅な心境は理解できまいな」
にやりと唇の端を上げると、クルーゼは肩越しに通路の向こうを指差した。
その先には、格納庫。
メカニックが先の戦闘で傷付いたMSの修理や、弾薬の補給に走り回っている。
「格納庫じゃねぇか。なんだぁ、おまえMSフェチなの?! ZAFT艦にもMSくらいごろごろ転がってっだろ? わざわざAAに来なくてもいいじゃん」
「違うっ!アレだ、アレ!!見てわからんのか!!」
ぐいと襟首を掴まれ、視線を向けさせられた先には、メカニックの間をくるくると動き回って整備の手伝いをしている一人の少年がいた。
「ディアッカ、か」
やっとわかったか、と言わんばかりにクルーゼは鷹揚に肯くと、フラガを放り出し、また物陰からディアッカ・ウォッチングを始めた。
「あぁ、そんな無骨な服を着せられて。しかし粗末な服装すら、ハニー、君の清純さをより一層引き立てている……すぐにこの荒れ果てたスラムから助け出してあげるよ、まい・らぶぁー」
「ちょっと待て。変態仮面」
あぁ、何てことをっ。フラガの暴言にアデスは仰け反り、クルーゼはゆうるりと振り返った。
「……私の耳の調子が悪いのだろうか。何だかとてつもなく侮辱的な言葉が聞こえたような気がするのだが」
「聞こえなかったか。んじゃもう一回言ってやる。『ちょっと待て。変態仮面』。どうだ、聞こえたか? 年を取ると耳の調子も悪くなるからなぁ。しょうがないよ。同じ事を繰り返して言ってやる俺って親切だなぁ。これが敬老精神ってやつ?」
なんで?どうしてこのヒトってば急にケンカ腰になっちゃってんの?とアデスが恐慌を来たしているのを知ってか知らずか、フラガは更に言葉を続けた。
「だぁれぇを助け出すって?あの坊主は自分からこの艦に残るって決めたの!坊主の意思なの!!ここから連れ出したら拉致誘拐になるんだからな」
「だぁれぇがそんなことを決めた?どうせ粗暴なナチュラルの拷問で、無理矢理言わされたに決まっている。バンビーノは育ちが良いから逆らえなかったのだろう。かわいそうに……その傷付いた心も身体も私が癒してあげよう……マイ・スウィートネス」
「坊主は、ふえるわかめちゃんをズラ代わりに頭に乗せてるような変態野郎のところにいるよりも、俺みたいな頼りがいがあって包容力抜群の大人の男の下に居たいんだとさ」
あぁ、微妙に「下に居る」とか事態をややこしくする言葉を使ってるし。アデスがハラハラしながらクルーゼを振り返ると、表情を隠している筈の仮面に青筋がぴくぴくと浮かんでいるように見えた。
「……七三分けで、軍服を腕まくりするようなだっさい男に『ふえるわかめちゃん』などと言われる筋合いはないな……無理矢理カジュアルさを演出しようとしても無理があるんだよ!おまえは村役場の戸籍係かっつーの!!」
「あぁん。誠実さと包容力を一度に表現するこの微妙なバランスがわからないのは、お前くらいだっ!どうせお前だって私室に戻れば、その仮面もパピヨン仮面に変えてマニアな世界に没頭してんだろ!そんな変態パピヨンを可愛いディアッカに近づける訳にはいかんっ!」
「だれがマニアだっ!そいうお前こそ、私服じゃ未だにポロシャツの襟立てて、ヴィトンのセカンドバッグを脇に抱えてるクセに!ファッションセンスが20年前で止まってんだよ!」
なんで?どうしてこうなっちゃったの?あんた隊長を止めに出てきたんじゃなかったの?と、アデスがどちらを止めるべきかおろおろしている間も、二人の口論は続いている。
やがてそれは本格的などつきあいに変わり、もうどうにでもしてっ!とアデスがへたり込んでさめざめと涙を流していると、コツコツと床をつく音が聞こえてきた。
「アデスじゃないか。どうしてこんなところに居るんだ?遅まきながらの和平交渉か?」
「あぁっ、バルトフェルド隊長!!」
今度こそ地獄に仏であってくれ。アデスはかくかくしかじか状況を説明した。
「ふむ。つまりディアッカを争ってケンカになった、という訳だな」
「そうなんです〜。お願いですから二人を止めてください。もういい加減戻らないとまずいんですよぉ。あのひとには『隊長』っていう自覚はあるんでしょうか?! あのひとが情けないと、マザコンのおきゃっぱクソガキに私が嫌味タラタラ言われるんですよ〜!!」
本人は至って常識派のつもりかもしれないが、微妙に口が悪いのはクルーゼの世話を焼いているうちにうつってしまったのだろうか。
バルトフェルドはふぅとこれ見よがしに溜息を付くと、団子状態でくんずほぐれずどつきあっている二人に近付いていった。
「僕のものを取り合ってケンカとは、勝手なことをしているものだ」
今、何て言った?もしかしたら、ひょっとして、仲裁を頼むにしても最悪の人選だった?!とアデスが、ちょっと待ってぇ〜と手を伸ばしたのも間に合わず、バルトフェルドはごんずい玉になっている二人の間に割って入っていった。
「フラガ。クルーゼ。もういい加減に無駄な争いはやめたらどうだ。こんなところでお前たちが『僕の』ディアッカを争っていては周りに迷惑だろう」
「うっせぇ、おっさんは黙ってろ!」
「大体、誰が『僕の』だ!アレは『私の』だ! ジジイは縁側で冷めたコーヒーすすってりゃいいんだよ!!」
「………おっさん?…ジジイ?……おまえたち、言ってはならんことを……」
宇宙に浮かぶ戦艦の中にいるというのに、なんだか地の底から響くような地鳴りと殺気がバルトフェルドの背後から漂ってきた。
「……後悔という字はどう書くのか、その身体に教えてやらぁっ!」
バルトフェルド、参戦。
「あ、てめぇ、杖を振り回すんじゃねぇっ!武器を使うなんて卑怯だぞ!!」
「やかましぃわっ!!」
バルトフェルドが年齢よりも老けて見えるのを気にしてることくらい、隊長あんた知ってるでしょうが。どうして敢えて地雷を踏むのか。いっそここで自分がこの3人の息の根を止めることが宇宙平和のためなのか。
最初にAAへお出かけする、と言ったクルーゼを素直に見送っていればよかった。後悔という言葉をアデスは心の底から噛み締めていた。
「あれぇ、アデス艦長じゃないですか?こんなところで会うなんて奇遇ですねぇ」
今度は誰だよ。もうこれ以上事態をどう悪くしようっていうんじゃ、と恨みがましさいっぱいでアデスは顔を
上げた。
「ディ、ディアッカ〜?!」
喧々囂々くんずほぐれつ争っていた一団の動きがピタリと止まった。床に座り込むアデスを通路の隅へと蹴り飛ばし、シュタッとディアッカの両脇に寄り添った。
「ディアッカ……久しぶりだな。変わりはないか?慣れぬナチュラルの中に居て不自由を感じていないか、心配していたのだよ」
「大丈夫だよな、ディアッカ。俺がちゃーんと、いろいろ、ありとあらゆるところで、誠心誠意、面倒見てるもんな?!」
「これまでは寂しい思いを色々していたようだが、僕が来てからは明るさを取り戻したようだ」
さっきまで殴り合いのどつきあいをしていたとは思えない変わり身の早さは、さすがというか、まさかというか。殴り合いで乱れた服装は一部の隙も無いほどあっという間に整えられていた。
しかし、よーく見れば3人とも笑顔を湛えているのに、視線はびしばしと火花を散らし、ディアッカに見えないところで小突きあいを続けている。ただし、その火花に気が付いているのは蹴り倒されて壁に張り付いているアデスだけだったが。
「大丈夫ですよ。ぼちぼち元気にやってます。親切な方も多いですから」
にっこりと笑って答えるディアッカに、3人の心臓はずっきゅーんと鷲掴みにされた。3人の澱んだフィルター越しには、微笑を浮かべるディアッカが「地上に舞い降りた天使」に見えているのだ。
実際はただの愛想笑い以上でも以下でもないのだが。
「あぁ、なんて悲しげな微笑なんだ……ナチュラルどもに苛められているのではないのか? 今からでも遅くない。ZAFTに戻ってはどうだ? バスターなんぞ、ナチュラルにくれてやればいい。きみは薔薇の花を携えて私の傍に居てくれるだけでよっ…!」
言い終わる前に、クルーゼの後頭部はバルトフェルドとフラガの2人に押さえ込まれた。
「それよりも整備の手伝いは終わったのか? それなら休憩がてら僕の部屋でコーヒーは如何かな?」
「ディアッカはコーヒーよりもダイナーでレモネードの方がスキだよな?」
さりげなく肩を抱こうとするバルトフェルドの手を、フラガが叩き落す。
「えっと、お誘いは嬉しいんですけど、俺、これからノイマンさんとお茶する約束が」
困ったように首を傾げるディアッカは凶悪な程に可憐だったが、告げられた言葉は3人へのクリティカルな攻撃であった。
「ノイマンッ?!」
「まさかっ?!」
「おい、フラガ、バルトフェルド。ノイマンって誰だっ?!私のディアッカをお茶に誘うなんて、何と不埒な!」
ノイマンって誰?とクルーゼが、フラガとバルトフェルドの襟を揺さぶって詰問しても、二人とも唖然、呆然と言わんばかりに口を開けている。
「ノイマンは僕ですよ。初めまして、クルーゼさん。ディアッカがZAFTに居た頃はお世話になったそうで」
いつの間に近付いていたのか、一見大人しそうな好青年といった風情のノイマンが穏やかな笑みを浮かべて背後に立っていた。
「ディアッカ、仕事が終わったんだったら行こうか。ミリィが焼いたスコーンをもらったんだ。お茶と一緒に頂こう」
「それって、アフタヌーン・ティーってやつ?すごぉい!早く行こうよ〜」
甘えたようにディアッカはノイマンの手を取り、引っ張る。
「わかった、わかった。じゃあ、お三方様。お先にシ・ツ・レ・イ」
ニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべてノイマンは3人を振り返ると、ディアッカの肩を抱いて通路の先へ消えていった。
「迂闊だった……」
「まさかノイマンまでディアッカを狙っていたとは……」
「だからっ!ノイマンってなにもんなんだよっ?!」
がっくりと床に膝を付く二人に、しつこくノイマンって何者?と聞きながらクルーゼが蹴りを入れる。
暫くクルーゼに蹴られるままになっていたが、先に衝撃から立ち直ったバルトフェルドががばっと立ち上がり、ついでに蹴られた仕返しとばかりに杖の先をクルーゼの鳩尾に叩き込んだ。
「フラガ、クルーゼ。ここは一時休戦だ。まずはディアッカをノイマンから取り戻さねば!」
「そうだな……細目坊ちゃん刈りにこのままディアッカを取られるわけにはいかん!」
「だから…ノイマンって……だれ?」
鳩尾を押さえ、苦しげに言葉を搾り出しながら、しつこく「ノイマンって誰?」を繰り返すクルーゼを往なし、3人は一時休戦とディアッカ奪還の協定を結んだ。
「とりあえず今日は解散だ。お互いあまり長い間持ち場を離れる訳にもいかんだろう。何かあれば即時連絡することとしよう」
「わかった」
「了解した。私はヴェサリウスに戻ることとしよう。では、な」
片手を上げてその場を立ち去ろうとするクルーゼに、フラガが声をかけた。
「おい、その隅っこに転がってるの、ちゃんと持って帰れよ」
「……あぁん?……アデスか…おい、とっとと起きろ。置いていくぞ」
蹴り飛ばされたままの体勢で通路の隅に転がるアデスの背中を、クルーゼはげしげしと爪先で蹴った。
神様、これほどまでの苦労を背負わなければならない程、私は前世で業が深かったのでしょうか?
アデスは己の身の不幸を嘆きつつ、これからは何があってもAAにお出かけするクルーゼには付いて行かない、と固く心に誓っていた。
END