「…一護?」
「つかテメエ、そういう奴じゃなかっただろ」
「…だから何が」

いい加減イラついてきた恋次が、それでも語気を抑えつつ訊くと、

「だから…、何でそんななんだよ?
 何で俺がイヤなこと言っても、何にも言わねえんだよ、 前みてえに怒んねえんだよッ?!」

と一護は枕に顔を埋めたまま、怒鳴った。
くぐもった声は、心なしか震えているようだった。

「怒る…?」

恋次はぼんやりと、本当にぼんやりとこの頃の遣り取りを思い出した。
確かに、怒ってはいない。
むしろ此方の出方を見透かしたような無邪気を、
増長してきたと感じつつ、その場限りと流してきてた気がする。
この喧嘩のきっかけとなった一護の暴言も、言及することなく流そうとしてたのだ。

「そうだよッ! テメエ、全ッ然…ッ、」

一護の言葉が切れた。
肩が少し震えていた。
もしかして、この子供には分かっていたのだろうかと恋次は小さくため息をついた。

ずっと、手を出してしまった罪悪感を感じていた。
同意の上ではあったけど、一護は所詮、子供だと、
この、一護に利することのない不毛な関係の発端は自分だと、ずっと責任を感じていた。
やがて一護が離れていくときのことが念頭にあった。
いつもいつも、この子供を泣かせるたびに、その先に待つ孤独のことばかり考えていた。
だからこれ以上、傷つけたくなかった。


「…あのさ、恋次」
「…ん?」
「普通にしろよ」
「…」

─── 俺にできるだろうか。

恋次は、即答できなかった。

「恋次ッ」
「あ、ああ」

怒鳴られて眼を上げると、一護が真っ直ぐ、見上げてきていた。

「俺、やっぱ、こういうのイヤだ。だから普通にしろ」
「一護…」
「俺、テメエが何考えてんのか分かんねえけど、でもこういうのはイヤだから、ちゃんと前みたいに…」

ちゃんと前みたいに?
何も無かった頃に戻るか?
恋次は口元を少し歪ませた。

「恋次」
「ん…?」

一護は身体を起こし、恋次の名を呼んだ。
それでも恋次の眼の位置よりは随分低かったから、
恋次は少し俯いたまま、一護の顔を見つめた。

「俺ももうちょっとちゃんとすっから」
「オマエがか?」
「ああ」

恋次の冗談めかした口調にも、一護は真っ直ぐ答えた。

「だから恋次も、な?」

うんと頷く前に、一護の腕が恋次の首に回された。
直に触れ合う肌の温かみが、これが終わりでないことを告げていた。
強張っていた身体が、すっと緩んだ。
いつの間にこんなに緊張していたものかと、恋次はこつんと、額を一護の肩に落とした。
だいぶ逞しくなってきたとはいえ、まだ細く、
こんな肩に全部背負わせちゃマズいよなあと、恋次は少し、苦く思った。

「あのな、一護…」
「なんか俺、最近、ヤな奴で悪かったな」

自分の気持を言葉にする前に一護に謝られ、恋次は酷く、焦った。

「い、いや! いや、マジで俺が悪かった。すまねえ」

思わず力が篭りすぎたせいか、半ば声が裏返ってしまい、
あまりの気まずさに恋次は再び声を失った。
一護は肩を震わせて、くつくつ笑う。

「…くそ、笑うな」
「悪りィ悪りィ」
「テメエ! 絶対、悪いって思ってねえだろ! つか性欲異常って普通、言うか?!
 ヤな奴とかそういうレベルじゃねえだろ!」
「は…?」

恋次の冗談めかした非難に、一護はぽかんとした顔を見せた。
「悪かった」と笑って謝られてここは一件落着と思ってただけに、
素で驚かれて唖然とした恋次は、眉間に皺を寄せた。

「まさかテメエ、本気で俺のことを…」
「あ、あれは…」

一護は目を逸らした。
恋次はキレた。

「テメエ! 性欲異常ってなあ、どういう意味だッ」
「う…。つか、まんまの意味に決まってんだろッ!」
「んだとコラァ! 俺はきわめて普通だッ、どこが異常だ、言ってみろッ!!」
「…何、キレてんだよ、テメエはよ」
「キレるだろ、普通ッ!」

怒鳴り続ける恋次を前に、一護はふうっとため息をついた。

「つかほら、恋次ってかなりいい年なんだろ? 死神だし」
「それがどうしたっ」
「でもって性欲ってのはほら、十代がピークな訳じゃねえか」
「だからなんだってんだッ」
「だからッ! だから、ホラ、なんつーか、俺、十代な訳じゃねえか」
「それがどうした、年齢自慢か、あァ?!」
「そうじゃねえよ! つか分かれよッ!」
「何をッ?! 今の説明で何をどう分かれと!? 何で俺が…」
「ああもう煩せェな、テメエはッ! 少しはその赤頭で考えろッ」
「んだとテメエッ」
「だからなんで十代の俺よりテメエのほうが盛ってんだよッ、どう考えてもおかしいだろうがッ」
「…はァ?!」

そこか、そこなのか、と恋次はガクリと項垂れた。
そしてガッシリと一護の両肩を掴み、正面から眼を見据えた。

「いいか、一護」
「…んだよ」
「性欲とかってえのはな。実に波があるもんなんだよ」
「そうなのか?」
「そうだ。個人差もあるし、まあ状況とかでずいぶん違ってくるもんなんだ」

相手によってもな、と恋次は心の中でこっそりと付け加える。

「…じゃあテメエのソレは、別に異常でも何でもねえと…」
「ったりめえだろッ! つかテメエも十代ならもっとガッツけッ」
「んだと?! 俺のせいだってのか?!」
「そうだ! ほら、ガッツいてみろッ」
「何で俺がテメエ相手にガッツかなきゃなんねえんだよ?!」
「んだと?! 犯すぞテメエ」
「ほら見ろ、やっぱ異常じゃねえかッ」
「ちが…」

巡り巡ってやはり元の木阿弥かと恋次が声を失うと、
「よお、性欲異常」と一護は嬉しそうに笑った。
「んだと?」と恋次が更に怒鳴ると、
「なあ、恋次…」と一護は少し顔を傾けた。
「なんだ、はっきり言え、異常で年寄りで変態で悪かったな、あァ?!」
「んだよ、根に持つなよ。つかさ」
「根に持つ持たねえの話じゃねえだろ!」
「つかさ、恋次。こういうの、久しぶりだよな?」
「あ…? ああ…」

確かに、こういう他愛も無い怒鳴りあいと殴り合いが日常茶飯事だった。
その中で互いを知り、自分の欲しいものを知り、こうやって一緒に時を過ごすようになったのだ。
ならば、どちらが先に手を出したのだろうと、間違いでなかったことには違いはない。

恋次は、そっと一護の頬を、両掌で包むようにした。

「一護。悪かったな。これからはちゃんとテメエを怒鳴りつけてやるよ」

一護は少し呆れた顔を見せた後、
偉そうにと呟きつつ、恋次の胸に頬を押し付けてきた。
滅多に見せない甘えた仕草に、堪らず膝に抱えあげた。
なのに、一護、と名を呼ぶと、やはり、煩せぇと生意気盛りの答えが返ってくる。
少しは素直にしやがれと抱き寄せて耳元に口付けたが、
多少の異常は覚悟してるぜと囁き返された。
これは一体、誘いなのか挑発なのかと恋次は眼を白黒させたが、
改めて覗き込んだ一護の両瞳は穏やかに恋次を映しこんでるだけで、
なんの含みも見せはしない。

─── そういえば、こうやって空回りするから、
怒りどころが分からなくなってたのもあったな。

今、ここで指摘しておくべきかと思ったが、
これはこれで一護な訳だしと、恋次は軽くため息をついて、先を急いだ。






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