「100title」 /「嗚呼-argh」


揺れる


「ただいまー」
「あ、お兄ちゃん、おかえり!」
「ん・・・、なんだコレ?」

ダイニングテーブルには酷く不似合いの青い小さなガラスのボトル。
蓋を開けてみると、なんか香水みたいな匂いがする。
何だろう、これ。
シャンプーとかにしちゃ、匂い、キツすぎだよな。

「えへへ。いい匂いでしょー」
「あ、ああ。・・・遊子が買ってきたのか?」
「ううん、夏梨ちゃん」
「夏梨が? ・・・珍しいな」

こういうのに興味を持つようになったのか?
あの夏梨が?

「お父さんにだって」
「は・・・?! オヤジにか?!」
「うん。だってお父さん、この頃すごく疲れてるみたいだから」
「オヤジが?」

ってオヤジが香水とかつけんのか?!
あ!  加齢臭を消せとか、そういうことか?

「それね、入浴剤なんだよ。ハーブが入っててよく眠れるんだって」
「へぇ・・・」

いかにもって感じのアルファベットが並んだラベル。
振ると青いガラスの奥でとろりと液体が揺れる。
輸入もんだろうし、夏梨のこづかいには厳しい値段だったんじゃねえか?
つか本当にこんなもんで眠れるんだろうか。
しかもあのオヤジだぜ?
相変わらず朝も夜も、隙さえあれば攻撃してきてるし、くだらねえことばっか叫んでるし、いつもと変わらねえんじゃね?
つかあんなオヤジがこんな匂いさせてたら、ドン引きだろ。

けど、普段、明るいばかりの遊子の笑顔が消えてる。
しかめっつらになってる。
ってことは本当なのかな。
そういや夏梨や遊子のことはともかく、
オヤジが疲れるとかそういうこと、特に考えてなかったな。

「あのね。お兄ちゃんにもなんだよ?」
「あ?」

予想だにしなかった言葉に顔を上げると、遊子は不満そうに唇を突き出して腕を組んで俺を睨みつけてきた。

「お父さんもお兄ちゃんも、自覚が無さ過ぎるの!」
「・・・?」
「すごく疲れてるのに・・・。変なとこだけそっくりなんだから!」
「・・・お、俺とオヤジが?!」
「そう。だからご飯の前にちゃんとお風呂入って来てね!」

ドンと改めて目の前に置きなおされたボトルと遊子の迫力に押された俺は、
「お、おう・・・」
と力なく答えることしかできなかった。



ボトルを手にしたまま、トントントンと音を立てて階段を昇り、鞄を置いて着替えを取って、また階段を下りる。
家中に遊子のつくる夕食の香りが漂い出だしている。
オヤジは往診にでも行ってんだろ。
気配がしない。
台所からは、俺がいかにボーっとしてたかということを力説する遊子と、それに同意する夏梨の声もする。

へーへーすみませんねえと小さな声で反撃して、台所に背を向け、風呂場へ向かう。
風呂に体を沈めて、迷いながらも遊子に渡されたボトルから液状の入浴剤を入れる。
白くとろりとした液体は、底へとゆっくり沈んでいく。
煽ぐように掻き混ぜると、湯はあっさりと元の透明に戻って、香りが漂いだした。
ボトルから直接嗅いだときはかなり強く感じたけど、湿気に溶けてしまったのだろう。
かなり仄かなものになってる。
柑橘系っぽい柔らかい香り。
なんか夏っぽい。
よかった。
これぐらいだったら朝には匂い、消えてるだろ。

「ふう・・・」
大きく息を吸って眼を瞑ると、湯がいつもより柔らかくなってる気がする。
皮膚と湯の境が消えるような気がする。
もしかしてコレが疲れが取れるってことなのかな。
最近、学校も死神代行業もいっぱいいっぱいだし、
その合間を縫うように恋次と会ってるし、そしたら徹夜で運動してるようなもんだし。
それにアイツはいつもこっそりと来るから、最近は小さな物音でも目が覚めるようになってしまったし。
もしかしたら思ってた以上に疲れて見えるのかな。
あんなに小さくても遊子も夏梨も女だしな。
やっぱり鋭いのかもしれない。
入浴剤を無理やり押し付けてきた遊子の迫力に、なぜかおふくろの笑顔が重なる。
見上げると、湯気の向こうに天井が歪んでる。
そういやこんな風にゆっくり湯に浸かったのも久しぶりだった。


もし、今日、恋次が来たら。
そしたらこの匂いに気がつくだろうか。
いや、アイツのことだから気がつくわけねえな。
けど気がつかなくても、よく眠れるんじゃないだろうか。
アイツも無理して来てるみたいだし。
俺はこの間、俺のベッドで勝手にグウグウ寝てた恋次の呆け面を思い出した。

あんなに疲れてんじゃ、殆ど睡眠薬みてえに効くかもな。
クソ真面目なツラしてガッついてきた途端、眠気に襲われてガクリと倒れる恋次を想像して、思わず笑いが漏れた。

なら、毎日使おうか。
俺もよく眠れるし、一石二鳥じゃねえか。
きっと恋次、すげえ意地になるぜ?
バカだからな、アイツ。

けど、眠気を堪えて目をゴシゴシ擦る恋次を想像した俺はつい、
「・・・俺、アタマ悪りィ・・・」
と大きくため息をついてしまった。

そうそう来もしねえヤツのこと考えてどうすんだよ。
大体この入浴剤、夏梨がオヤジとか俺のために買ってくれたもんだろ。
恋次、関係ねえだろ。
全く、最近の俺、どっか壊れてる。
イカれてる。


「クソッ・・・!」

思いっきり水面を叩くと、湯が風呂中に飛び散った。
揺れる水面と眠気を誘うというその香りがまるで俺をからかっているみたいで、
堪らず俺は、頭ごと思いっきり体を湯に沈めた。



こいわずらいという例のアレ
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