「100title」 /「嗚呼-argh」
ギザギザしたもの
その行為にそれほどの意味があるとは思えない。
思いたくも無い。
なのに、その声音で名を呼ばれると身体が強張り、背筋が反り返る。
近づいてくる顔が傾けられると眼も開けられない。
頬から耳へ這ってくる指に肌がさざめく。
ヤバい、ヤバい、ヤバい。
頭の中で警鐘が喧しく鳴り響く。
なのに指先まで凍りついて身動きもできない。
恋次相手に何なんだ俺。
つかテメエもそんなマジメなツラして、んなことしてんじゃねえよ。
いっそ頭突きでも噛まして隙を突いてやろうかとは思うけど、尻尾を巻いて逃げ出すみたいなそんなザマ、晒せるわけもない。
特にコイツには。
だから俺は眼を開ける。
開けてぐっと睨みつける。
恋次は少し戸惑うけど、ちょっとだけ眼を細め、睨み返すフリして様子を伺ってくる。
俺の頬に添えた手に力が入った。
緊張が伝わる。
─── なんだよテメー。結構、情けねえんだな。
恋次の隙が、俺に余裕をもたらす。
勝負はこれからだぜと思いっきり顎を引き、臨戦態勢を整える。
恋次も当然、構え、うんと詰まっていた距離が、拳を交わすそれに変貌する。
沈黙が落ちる。
時計の音が部屋中に響く。
そのまま数分も経過した頃か。
「…一護」
今日、初めて呼ばれた俺の名前と共に、頬に添えられたままだったでっかい掌がとすんと肩へ滑り落ちてきた。
んだよ、まだ勝負はついてねえだろと、改めて恋次を見上げると、見下ろしてくる瞳の色が濃くなってる。
─── 何なんだよ?
その無言と、肩に置かれた手の重さの意味するところが分からない。
いつも必要以上に感情を出すくせに、こんなときだけ無表情の達人になりやがるから、どう反応していいのか分からない。
─── ちくしょ。せめて怒ってるのか、困ってるのか、ハッキリしろってんだ。
俺は恋次を睨みつけ、肩に置かれた手を払いのけた。
恋次は眉一つ動かさなかったが、ふうとわざとらしいため息をついて、
「一護」
ともう一回、でも今度はやけに重々しく俺の名を呼んだ。
そのくせ、少し迷ったような眼をしてる。
─── …クソ。ここで折れてたまるか。
俺は何の反応も返さず、沈黙を守った。
恋次は勝負を投げたのか、少しだけ口元を歪め、俺の両肩に掌を改めて乗せてきた。
「何、イライラしてんだテメーは。あァ?」
口調がいつものからかう感じに戻っていた。
だから俺は最高にイラついた。
─── してねえよ別に! つか何、急に態度、変えてんだよ。
思いっきり睨みつけたが、スルーされた。
…ちくしょ。気に喰わねえぞ。
こうなったのも全部テメエのせいだろ。
部屋に入ってくるなりいきなり仕掛けてきやがって。
あんな切羽詰った眼、見せといてなんだよ今更。
つか俺のせいかよ。テメエだろ。
テメエが勝手すぎんだろ!
俺はかなり気合を入れただんまりを決め込んだ。
恋次は眉をひそめた。
「…何か俺、怒らせるようなことしたか?」
─── いきなり弱気になってんじゃねーよ。
コロコロと調子を変える恋次の言い草に本気で腹が立ってきた俺は、肩に置かれたままの恋次の手の存在を無視して足を踏ん張り、腕を組んだ。
こんなときだけ察しがいい恋次は、少し肩をすくめて手を引いた。
そして勝手に俺のベッドにどすんと腰を下ろした。
─── ざまあみやがれ。
勝ちを確信した俺は次のリアクションに備えるべく、恋次を見下ろしつつ身構えた。
けど反応が無い。
身動きさえしない。
指を組んで、肘を両膝に置き、俯いたまま座ってる。
俺は正直、戸惑った。
「恋次…?」
俺の声はやけに乾いてた。
それもそうだ。
今日、恋次が来てから、初めて出した声だったんだ。
緊張してたのか、口の中だってカラカラだった。
そんな状態で発したせいか、奇妙なほど心細げに響いた自分の声に、カッと頭に血が上った。
だけど呼ばれた当の本人は何の反応も見せなかった。
そのくせ項垂れてるようで、なんだかとても別人に見えて、なんだか不安になった。
少し丸まった背はいつも通りに広く、無防備にさえ見える首筋には、あの墨が這っているというのに。
「おい、テメエ、いい加減にしろよ」
思わず口をついて出てきた悪態にも恋次の反応は無かった。
───
俺、きれいさっぱり無視されてる。
頭に血が上った。
「…オイ、恋次…!」
気がついたら、俺は恋次の髪を掴んで、顔を上に向かせてた。
「いてッ!! テメエ、何しやがる!」
「うっせえ」
俺はとにかく恋次の反応が欲しかった。
だから夢中だった。
「…ッ!!」
唇を押し付けただけ、
つまり恋次言うところのガキのヘタクソな口付けってやつなのに、超至近距離で覗き込んだ恋次の眼はまん丸になってしまった。
しかも硬直しきったままで、肩を掴んでる俺の手を押しのけてくる気配さえ無かった。
─── へぇ…、こんなに緊張するんだ。
押し付けてた唇を離したけど、恋次はまだぽかんと口を開けたままだった。
ま、こういうこと俺からするの、初めてだから仕様がねえかと思いつつ、いつも余裕綽々なのになと、ちょっとびっくりした。
と同時にすごく優位に立った気も。
─── へッ。アホっぽいツラ、しやがって。
こうなったら止まらない。
開いたままの口にもう一回、自分のをくっつけ、
いつも恋次がするように、ちろっと舌を入れてみる。
舌先に当たった硬い感触に、歯ってこんなにギザギザしてんだと、すこし驚く。
恋次の舌は奥に引っ込んだまま、届きやしない。
案外、深いもんだな。
つかこの先、どうすりゃいいんだ?
そういや恋次の口どころか、他人の口の中なんて触ったこと無えや。
恋次とだっていつも一方的に入れられてるだけだから、舌の感触しか知らねえし。
─── あ、でも…!!
一気に顔に熱が集まるのを感じた。
だって
違うところでなら、恋次の口の中の熱さも、舌の柔らかさも、喉までの深さも、時々立てられる歯の硬さも、それが生み出す予想外の感覚だって知ってる。
それが欲しくって、その場の勢いにまかせてねだったことだってある。
その時の恋次の意外そうなツラが脳裏を過ぎった。
そしてその後の顛末も、屈辱とスレスレのあのどうしようもない感情も、制御できない感覚も。
「…ッ!!」
これ以上、耐えられそうに無かった。
気がつくと、どんと思わず恋次を突き飛ばしてた。
「一護…?」
ベッドに後ろ手をついた恋次が、目を白黒させて俺を見てる。
推し量るような紅い瞳が、薄く開けられた眼の向こうから俺を覗き見てる。
「一護」
「う…」
恋次の眼つきが酷く不穏なものに変わった。
絶対絶命。
まさかあんなこと、自分から恋次にするとは思わなかった。
煽ってどうすんだよ、俺の馬鹿。
これこそ自業自得だ、チクショウ。
俺は、少し前の自分を心の中で罵った。
でも本当のところ、その先にどうなるかは知ってた気がする。
だから恋次に肩をつかまれ、ベッドに押し付けられたときにも驚かなかった。
むしろ焦ったような恋次のツラを目にして、コイツも素直じゃねえよなあぐらい思ってたんだ。
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