「100title」 /「嗚呼-argh」


激情、そして警告。




 赤




「あ、こんなとこに…」

一人になってしまったベッドからようやく抜け出す決心がついて、すっかり冷え切ってしまった布団を押しのけたとき、恋次が枕に残していった頭の跡に髪の毛を一本、見つけた。
それを手に取って布団にまたごろんと転がってみる。

「なっげー…」

明け始めたばかりの空に透かすと、その気性通り、必要以上に真っ直ぐな赤い髪は金色に光った。

─── キレーなもんなんだな。

髪だけだとまるで女のものみたいだと、あの逞しすぎる背中を思い出しつつ一人笑って、そして気がついてしまった。
これって、見つかったらヤバくねえか?
女を連れ込んでると思われるんじゃねえか?
だから慌ててティッシュに包んで捨てようとしたけど、なんだかいろんなことを否定してる気がして手が止まった。
捨てるに捨てられず、ヤケクソでぐるぐると指に巻きつけて、布団にもぐり込もうとしたら、ふわりと恋次の匂いがした。

─── チクショ、俺の布団なのに!

イラついた俺は、布団を跳ね除けてベッドに座りなおした。
何も着てない上半身に鳥肌が立つ。
ふうと大きく一息つくと床に薄くシミができているのに気が付いた。
あれはきっと雨の跡。だってあそこには恋次の死覇装が脱ぎ捨てられてた。

俺が眼を覚ましたとき、まだ夜が明けきらない薄暗闇の中で、恋次はそこに立ち尽くしていた。
ぐしゃぐしゃの死覇装を前に途方に暮れているようだった。
やがて大きく、けれど静かにため息をついて、諦めたようにそれをひとつ、またひとつと身につけていった。
湿った雨の匂いがぷんと鼻をついた。
俺は何も言わず、布団の中からそれをぼんやり眺めていた。
気が付いていたのかいないのか、恋次は振り向きもしなかった。
そして寝たフリをする俺には何も声を掛けず、そっと窓から帰って行った。

─── 絶対、バレたと思ったんだけどな。

外を見ると、すっかり晴れ上がっている。
昨夜はあんなに酷い雨だったのに、空が朝焼けに赤く染まっている。
なのにこの部屋の中には、恋次が運んできた雨の気配が満ちている。

─── だからなのかな。

途中から、何だか隙間ができてしまった。
恋次の唇も指も、ひどく遠いものに思えた。
自分から仕掛けたキスが倍以上になって返ってきて焦ってしまって、背筋を駆け上がる快感も、いくら堪えても漏れてしまう声もいつも以上だったけど、雨が窓に打ち付けてくる音が急に酷くなった途端、身体が強張った。
あの心地よい恋次の身体の重みも、酷く優しい声も、大きな掌も、煩わしくて仕方がなくなってしまった。
恋次のことを拒まないようにするので精一杯だった。

─── 俺の方から始めたってのにな。

らしくないぐらい息を荒くしてた恋次は、やっぱり気付いてしまって途中で手を止めた。
俺は何も言えなかった。恋次も何も言わなかった。ただ強く抱きしめられた。
恋次の厚い胸と太い腕に遮られて、雨の音はろくに聞こえなくなってしまったったけど、なかなか眠れなかった。
不安だった。
やっと寝息が聞こえ出したから、緩んだ腕をそっと外すと、カーテンの隙間から差し込む街灯の薄光を、恋次の髪がぬらりと反射した。
光の加減のせいか、白いシーツに流れる長い髪はまるで血そのもののようだった。
そして思い出した。
恋次の髪が赤いなんてこと、懺罪宮の下で再会した時は気付いてもいなかったことに。

ルキアを連れて行ったあの阿散井恋次が目の前に居ると思っただけでイッパイイッパイだった。
斬り合い、噴出した血で世界は染まったから、あの闘いの思い出は真っ赤だけど、血の色に慣れすぎてたから、目が麻痺してた。
だから、恋次の髪が尋常じゃない色だったなんてことに気が向いたのは、あの地下で一緒に修行したとき。
俺もオレンジ色で大概、目立ってるけど、派手な死神連中に混じっても際立つあの真っ赤な髪をあの身体で、更に括り上げてんだからアイツもスゲエよな。
温泉で、派手な入墨にも圧倒された俺を前に、恋次、すっげー自慢そうだったよな。
なんてガキくせえヤツだと思った。
で、案外、いいヤツなのかもしんねえって。


恋次が消えた空は段々、朝焼けに染まって赤くなって来てる。
指に巻きつけた恋次の髪は、朝日を受けてキラキラと真紅に光る。
呼び合ってるみたいだと思う。

─── もしも。

もしも恋次の髪の色が違う色だったら─── 。
例えば普通に黒かったりしてれば、恋次は今の恋次じゃなかったんじゃないだろうか。
少し前、寝入りばなにぽつりぽつりと語られたその言葉でぼんやりと脳裏に浮かんだのは、瓦礫の中をルキアを連れて走り回る恋次たちの姿。
昔の日本だったり、戦争をやってる国だったり、いつかどこかで目にした映像の端っこに幼い二人の姿が混ざった。
霊力があったせいで食わなきゃなんなかったから、できることは何でもしたっていってた。
そんな中で目立つ髪の色をしている意味が分からないほど俺もバカじゃない。
平和な日本でさえ、オレンジ色の髪の俺は目の敵にされてた。
恋次のあの髪じゃ隠れることもできねえ。目の敵どころじゃねえ、標的だ。
だから訊いたんだ。オマエ、髪はどうしてたんだって。
そしたら、今と同じだぜ、と俺の質問の意味が分からないってツラしてた。
なんとなくだけど、恋次は恋次のままで突っ走って生きてきたんだろうと思った。
俺が俺であるように 。

だから俺の想像の中、灰色の世界で恋次は今も一人で立ち竦んでいる。
真っ赤な髪を天に向かって逆立て、逃げも隠れもしないと、そのゴミ溜めみたいな街の真ん中で小さな肩を怒らせている。
それが力の無い者にできる、たったひとつの反抗。

「いてっ」

ぷちっと抜いた自分の髪と並べてみる。
昇り始めた朝日にかざすと、どっちも同じぐらいキラキラ光った。
けれどその時、恋次の髪がゆらりと揺らめいた。
濃い赤色が滲んで揺れてる。
まるで消える直前のしゃぼん玉みたいに、ひどく透明になってきている。
そうだ。霊子なんだ、この髪は。
だから恋次本体から離れてしまったら、その存在自体が持たないんだ。

「あ…」

そしてその髪は最後に、赤い朝焼けの光を反射して消えた。
空が青くその色を戻すのと時を同じくして。

─── あっけねえもんだな。

もうこれで、恋次がここに居たなんて証は何にもない。
床についたシミももうすっかり乾いている。
シーツも枕も白いまま、俺のオレンジ色の髪の毛だけがぽつんと残っている。

─── 俺もこうやって一人、残るのかな。…もう恋次、来ねえかな。

眼を閉じると、窓の外から明け始めた一日の音がする。
行きかう人々の足音。車の立てる雑音。
すっかり 目覚めた街。
カタンと窓枠が鳴った。
思わず目を開けたが、ただの風の音。
恋次じゃない。
もうこの世界には居ない。
だから恋次の立てる音は、俺の耳には届かない。

俺はヘッドフォンを着けて、ベッドに寝転がった。
流れてきたのはどこか遠くの音楽。
英語でさえないそれは、どこか悲しい。
いつ、こんな曲、入れたっけ。

いくら歌を切り替えても、どれもこれも湿っぽい感じがして耳が痛くなる。
閉じた瞼の裏が赤く染まっている。
こんなに目を引く色、避けられるわけが無い。
やってらんねえ、イヤになる。

─── ばーか。テメーなんか大っ嫌れえだ!

目を開けると、開けた視界は予想に反して一面の赤。
歪んで輪郭を失くした世界のど真ん中で、恋次の眼が真っ直ぐに俺を覗き込んでいた。





<<back /  web拍手