「100title」 /「嗚呼-argh」


それはまるで水底に横たわる硝子の欠片。
キラキラと透明に光る。




 青




かっこわりー。
まさか伝令神機を忘れるなんて。
穿界門を開ける直前になって気がついた俺は、地獄蝶を伴い、明け始めたばかりの現世の空に再び舞い降りた。
雨上がりの透き通った空の下、足元には眠る街が横たわっている。

─── まだ、一護は寝ているだろうか。

霊圧操作の苦手な一護のことだから俺の再訪などには気づいてはいないだろうが、念のため、少し離れたところから部屋の様子を探ってみる。
すると案の定、一護の霊圧はまだ部屋の中にあった。
夜が明けたばかりだから、当然といえば当然。
俺が出たときは、まだ眠りが浅かったようだから、一人になれてぐっすりと寝てるというとこか。

─── 起こしてしまうだろうか。

困った顔の一護を想像すると、肩が落ちる。
できれば顔は合わせたくない。
だが一護が部屋を出るのを待つ時間など無いのも現実。
俺は一つ、ため息をついて腹を決めた。


宙に足を止め、黒崎家の屋根を見下ろす位置から一護の部屋の窓を覗きこんでみる。
すると上半身裸のまま、布団も被らずにベッドに寝転がっている一護が見えた。
眼を瞑り、耳にはヘッドフォンをしてる。
身動き一つしない。
ってことは一回、起きたものの、音楽を聴きながら二度寝してしまったというところか。

─── ったく、風邪引いたらどうすんだ。このバカが。

俺は舌打ちして高度を下げ、窓枠側のいつものところに足場を作って降り立った。
寝床の白に浮かび上がる一護の横顔の瞼はきつく閉じられている。
眉間の皺が深い。
微動だにしないところを見ると、深く眠っているのだろう。
霊圧も静かなまま、乱れる気配もない。

─── 霊圧を抑えて窓をすり抜ければ、気付かれずにすむだろうか。

一護と顔を合わせることに二の足を踏むのは、自分自身の怯懦さのせいだろう。
決して一護のことを慮ってのことじゃない。

俺は、軽く眼を瞑って、手が届きそうなところに横たわる一護に背を向けた。
そしてガラス窓に外からもたれかかり、懐の中の煙草を探る。
見上げると、空は青く晴れ渡っていた。



この窓を後にしたのは、ほんの数刻前のこと。
だから起こったことの全てが記憶に鮮明に甦ってくる。

夜闇の中、窓を叩きつける雨音に掠れて消えた微かな喘ぎ声。
過敏なほどに反応してみせた肌。湿った感触。
いきなり強張った身体は、ゆるやかに俺を拒否してきた。
奇妙に虚ろだったあの眼。
面食らった俺は、無様にもそれを受け止めることができず、のうのうと朝まで居残った。

─── そういやあれは、雨脚が強くなった頃だったか。

一本だけ残っていた煙草は、案の定、雨で湿って火がつかない。
それでも口に咥えると、少し気が休む。


思えば昨夜は最初から少し、様子が変だった。
梅雨にも似た雨のせいかと見当をつけていたが、それにしても必要以上に無愛想だった。
その様子に紫陽花の様子を重ね、勝手に盛り上がって仕掛けたのは俺だが、負けじとばかりに煽り返してきたのは一護だった。

天邪鬼な一護のことだから、大方、ヤケクソだったのだろう。
それとも俺の無神経さにブチ切れて仕返ししてきただけだったのか。
浅はかな俺は深く考えることもせず、その気になって押し倒してしまった。
一護は逆らわなかった。
素直に声を上げ、いつも以上に感じているように振るまった。
だがその不自然さに気づくのが遅すぎた。

─── うかつ過ぎたな。

雨の日に会ったことなど何回もあった。
落ちる一護も何度も目にした。
強く抱いて、気を紛らわせてやることぐらいしかできなかったが、それさえも拒否されたのは初めてだった。

─── 潮時ってことか?

振り向くと、窓硝子の向こうに一護の苦しげな寝顔が見えた。

─── それもいいかもしれない。

少なくとも、これ以上、苦しめずに済む。
俺はため息を殺し、霊圧を消して硝子を通り抜けた。
此岸に属するものに自分を重ねる違和感に圧迫されたが、次の瞬間には、一護の部屋の床に降り立っていた。

─── 一護…。

こんなに傍に来たというのに、一護は無反応。
眼も開けないのは、俺を拒否しているせいか。
机の上に、俺の伝令神機がぽつんと置いてあるのを見つけ、足を忍ばせて移動して懐に入れる。

─── さて、用事は済んだ。

後は戻ればいいだけのこと。
だが案の定、俺はそこから動けなくなった。

早朝の光に照らされ、真白な敷布に身を沈めて一護は滾々と眠っている。
浅い眠りのようだが、眼を開ける様子は無い。
気付かれないようにと願っていたのに、この虚無感はなんだろう。

─── 何の音楽を聴いているんだろう。

ヘッドフォンの下に流れる何かを、一護は、一生懸命に聴いている。
きつく綴じられた瞼の端、小さな涙が浮かんできている。
初めて目にした一粒。
その色は、酷く透明な、空を映しこんだ青。

─── 何を聴いているんだろう。どうして泣いているんだろう。

けれど俺は知ってる。
一護は本当は泣き虫で弱虫で、逃げたくて怖くて。
でも一番怖いのは何もできないこと。
弱虫だから、だからこそ前に進む。
そしてそれは、多分、俺も同じ。


─── 起きろ。そして俺を見ろ。

俺は、強い欲望を抱えて一護を睨みつけた。
すると、いつになく濃い色をした睫毛が震えた。
開かれた瞳には空が映り込み、とても深い透明な色をしていた。






一護はオレンジ色だけど、透明な青のイメージ。
<<back /  web拍手