「100title」 /「嗚呼-argh」

筋肉や骨、内臓なんかの普段は意識しない臓器。
その存在を感じることができるのは悪くした時だけだっていう理屈、経験上はよく分かる。

だけどこれは何だ。
視界を塞ぎ、耳をも穿ち、
ギリリと身体中を締め付けてくるこの暴力的な痛みはどこから来てる?
俺は全部、壊れてしまったのか?




 鼓動




「もう、止める」

俺はそう口にしてみた。
長いこと堪えてた本音を言葉として声に出すと、少し呼吸が楽になった。
開放感と罪悪感、矛盾する二つのそれに板ばさみになりながら見上げると、恋次は静かなツラのまま、ろくに反応も見せず、
「そうか」
とだけ応えた。
そしてゆっくりと俺の背を撫でる。


その手がイヤだったわけじゃない。
けど俺が求めてた答えじゃない。
今だってその場凌ぎに誤魔化してんだろ?
そんなおざなりな相槌、欲しいわけじゃないんだ。


俺と恋次の間に落ちた沈黙が、剣呑さを増した気がした。
ほとんど反射的に、同じ布団に包まったままの裸の恋次の鳩尾にドスッと強く拳を入れると、虚を衝かれたのか、うっと呻いた恋次は腹を押えながら身体を曲げた。
そして俺を見る。
薄く細められた目の奥に覗く、推し量るようなその虹彩は、揺らいでるようにみえた。

陽のあたる場所でだったら、
真正面から恋次はケンカ売り返してきて、もちろん俺は真っ向からそれを受けて、そうやって区切りがつくはずなのに、こんな風に身体が繋がってしまった夜には二人して戸惑っている。
進むことも留まることもできずに揺らいでいる。
俺はそれが、多分、すごく嫌いだ。
恋次も嫌いなんだろう。
とてもとても重いため息が耳についた。



「もう、止めようぜ」
恋次の胸に両手をついて押しのける。
掌に触れる肌はまだ汗ばんでいて、その理由に思いを馳せると怯んでしまいそうになる。
だけど負けやしない。
今度は拳を丸めて弾き返す。
なのに単純に重量差のせいで、恋次の身体はびくともしない。
俺のベッドで、俺のテリトリーだというのに、逆に侵入者に押し返されてしまう。

ぶるりと、布団から出てしまった背が冷気に触れて震える。
ベッドからはみ出した分、バランスが崩れる。
なのにまだ身体に力が入らない。
ぐらりと部屋の輪郭が揺れる。

「あぶねえ」

自分のせいだという自覚もないくせに、慌てて恋次は俺の背を掬った。
だから俺は、床の冷たさを知ることなく生温い寝床に引き戻された。

拒否する間もなく手荒く被された布団の下、今度は肌同士が徹底して隙間を無くす。
きつく背に廻されたままの恋次の手は安堵に似た何かをくれ、俺の世界は安定さえ取り戻す。
その安定と共に、気だるく残る痛みと叩きつけるような快感の記憶も戻ってくる。
顔に血が上る。
息が詰まる。耳鳴りもする。
身体中が痺れて痛みが走る。動けない。

こんなのはヘンだ。
やっぱり不自然だ。
苛立った俺は恋次を押し戻して睨みつけたけど、恋次の眼は困ったように細められるだけで、びくともしない。

「一護」

離せ。
痛いんだ。嫌なんだ。
頼むから離してくれ。
けど叫びは声には出せない。
呻き声に乗せて、ひたすら力に変えて押しのけるだけ。

「クソ・・・ッ」
「オイ、落ちるぞッ?!」

恋次が俺を覗き込んできた。
その目の奥に、コイツの中で起こり始めた滑落が見えた気がした。


鈍感で横暴で、そのくせ少しのことですごく不安になる。
本当は弱虫なテメエの裡、
その連鎖反応が辿り着く先、
仄暗い魂の奥に、諦めに満たされた空虚が見える。
だから取り返しのつく今のうちに。

「もう、止めようぜ」
俺は、 ひび割れた心を宥め、ちゃんと言葉にして伝える。
きっとその方がテメエのためにはいいんだ。

「・・・何でだ?」

恋次の眼が大きく見開かれた。
紅い虹彩が不安げに揺れだす。
さっきも言っただろ、今まで何、聞いてたんだこのバカと思いつつ、俺は恋次の眼を見返す。
その手にも触れる。

無骨ででかい恋次の手。
振り払ったらきっとコイツは泣く。
俺が俺だからじゃない。
そんなことは関係ない。
ただコイツは、誰かを失くすことにはもう耐え切れない。
酷く疲れたこの魂はきっと、 声も涙も流せずに泣く。
そんな涙は、俺は耐え切れない。
だからこそ、取り返しのつく今のうちに。


「あ・・・」
きつく抱きしめられ、自分の思考の行き着いた先に、思わず声が出た。
結局、自分のためじゃねえか。
大体、俺、おかしいんじゃねえか?
この恋次が。
気ィ強くて、力だってあって、諦めも負けも認めることを知らないこの恋次が、泣くだなんてそんな訳、ねえじゃねえか。
けど心の奥底ではやっぱり知っている。
恋次が見せようとしてる表層の下、うんと奥に潜む本当の恋次を。


俺は改めて恋次を見た。
恋次は俺を睨み返した。

「・・・俺は止めねえ」

初めて耳にした地の底を這うような低音に、俺は唖然とした。
眉間に思いっきり皺を寄せて、口がぎっと結ばれてる。
そして、眼を逸らされたまま発された、
「止めてなんかやんねえぞ」
駄々を捏ねるようなその響きに、俺は虚をつかれた。
なんだか笑いそうになった。

けどそんなお仕着せの余裕なんか、
「だからテメエもいい加減、腹ァ決めろ」
と滅多に見せない本音を突きつける恋次の迫力に押されてぶっ飛ばされた。
さっきの仕返しとばかりに、でかい拳を俺の胸に当てられると、ドクンと高く心臓が鳴ったのが聞こえた。
そして血流の代わりに、身体の隅々まで巡ったのはあの痛み。
だからやっと、何を悪くしていたのか理解できた気がした。


返事をする代わりに、恋次の拳に手を重ねてみると、痛みは一層酷くなって、俺の推測が正しかったことが証明される。
んだよ、結局全部テメエのせいかよとその眼を見上げると、まるで俺を殺さんとばかりに睨みつけてくる視線にぶち当たる。
だから自然に、
「上等だ」
と、そんな言葉が漏れ出てしまった。
結局ケンカふっかけあってんのかよ俺たち、と思ったけど、恋次は笑った。
その困ったような、俺が知らなかった恋次の笑みに、俺たちはこれでいいのだと思うことができた。
だから俺はすっかり気を緩めてしまったんだ。
あんな本音が出るとは本当に油断してたのだと歯噛みをしたのは唯の一瞬、俺はその後、とんでもなくいい拾い物をした。

そして、やっと俺と恋次の間の何かが始まった。




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