「100title」 /「嗚呼-argh」
柔らかいもの
ふっと一護が息をついた。
と同時に、強張っていたその身体の緊張も解けていく。
それを肌で感じられるこの瞬間が好きだと思う。
自立とか強がりとか、必死で張り巡らせてる線引きが和らいで、一護がとても優しくなるから。
だからもう少しだけ近づける気がする。
だがそんなのはほんの一瞬で、今日だってほら、
「・・・離せ、いつまでベタベタくっついてやがる」
などと檻を張り巡らし、この腕の中から擦り抜けてしまうのだけど。
まあでも俺も経験上、自分自身の揺らぎについていけてないことがある瞬間を知ってる。
だからコレも、一護本人が自覚してないだけだと見当をつける。
けどそうこうしてるうちに今度は、
「もう、止める」
そんなことをうそぶいてきた。
自覚はあるんだろうか。
ほんのすこしだけ空間を残して絡んだままの足先。
顔を逸らす代わりに押し付けられた額。
微かに震えてる睫毛。
自分の身体が、自身の発した言葉を裏切ってることに気がついているんだろうか。
「・・・そうか」
俺は、一護はまだ子供だからと、その子供に手出しをしてしまった自分ことは棚に上げて、何もなかったフリをする。
けど言葉の内容が内容だけに、やっぱり混乱を押さえきれない。
本当に本気なんだろうか。
もしかして、俺がお前のこと、うんと抱きしめてうんと笑わせて、甘やかしたいのをガマンしてること、知ってるんだろうか。
だからこそのこの素振りなんだろうか。
これで誘っていないのだとしたら、甘過ぎる。
本気で拒否しているのだとしたら、それも甘過ぎる。
もしかして無意識下で試してきてるんだろうか。
ならば勝ち目が無さ過ぎる。
混乱が過ぎて動けなくなってしまった俺を理不尽に一発殴ったら安心したのだろうか。
一護は眼をそらして、俺の胸に頭を押し付けた。
汗で湿った髪が、少し震えてるのが見える。
何を考えているのだろう。
ふうっと迷いと期待の残滓をため息に逃すと、とてもきつい視線にかち合った。
だから俺は、反射的に眼を逸らす。
すると一護の身体は硬く強張った。
まただ。
またやっちまった。
俺のとはまた違う、けれど久遠に塞がれることのないその欠落。
絶対不可侵の硬く脆いその闇に、俺は近づきすぎてしまった。
一旦懐に入れると決めると、何もかも全部まとめて無防備に受け入れるくせに、更にその奥に何を潜めているのか、
それを晒すことが一護自身にとって何を意味するのかを知らず、そこに辿り着くまでに張り巡らされているいくつもの防衛線についても、自覚がない。
だからそこには絶対触れてはいけない。
言及することさえできない。
サワルナ、サワルナ、絶対、俺ニ、サワルンジャナイ。
一護の拒絶が、叫びになって聞こえるみたいだ。
知っていたのに。
気づいていたのに。
どうしたらいいんだろう。
「もう、止めようぜ」
肌を押す両掌、それに続く硬い声に眼を上げると、一護の身体が寝台から落ちるところだった。
「あぶない」
一護が消えてしまうような気がした俺は、慌てた。
そんなのはイヤだ。
ズルリと胸の奥から黒い欲望が姿を現す。
コレは俺のもんだ。
俺が手に入れた。
もう離すもんか。
煩せェ、黙れ!
俺は、自分の中のその激情を慌てて押し殺し、代わりに一護をしっかりと抱きしめる。
優しい感情が少しだけ戻ってくる。
「・・・一護」
「クソ・・・ッ」
「オイ、落ちるぞ?」
けれど
腕の中の一護は、身体を丸めてもがく。
もがいて逃れようとする。
俺は離したくない。
腕に力を込めると、一護は、
「・・・もう、止めようぜ」
と突然、もがくのを止めた。
その諦めたようなツラに、さっきまでの迷いとは異なるある種の決心が見えた。
「・・・何でだ?」
本気なのか?
意味がわからない。
まだ何も始めてねえじゃねえか。
「俺は止めない」
テメエ、舐めてんじゃねえか?
俺は明らかに憤り始めていた。
なんて身勝手な。
わかっていても、一護を手放す気はない。
邪魔を許す気もない。
それが例え、一護、テメエ自身でもだ。
腹の奥でゆらりと黒い炎が揺らめく。
そしてその向こうに、押し込めていた本音が姿を現した。
離れるとしたら、それは多分、ずっと先のこと。
この子供を、迷いながらも先に進み続けるこの子供の全てを啜りとって抜け殻にしてから。
俺が、俺で在ることにこだわらなくなれるその時が来てから。
だから今は、死んでも離さない。
俺は、初めて真っ当に向き合った自分自身の執着に寒気がした。
ダメだ。
これでは一護をだめにしてしまう。
俺自身も腐敗してしまう。
このままじゃ先が見えない。
ならばきっと今しかない。
今、一護の言うように、止めたほうがいい。
「あ・・・」
最後にと、
きつく抱きしめたせいか、肺から漏れる息が声に姿を変えて、一護の口から零れ出た。
その声の儚さに、思いもかけなかった言葉が声になった。
「止めてなんかやんねえぞ」
マジかよ、何言ってんだ、俺。
何だよ。情けねえ。
つい一瞬先に固めた決心さえこのザマかよ。
だけど俺の本音が、絶対止めてなんかやらないと叫んでる。
必死でそれを堪え、全てをぶち壊して遁走したくなる衝動を拳に込めて、一護の胸に押しつける。
責任転嫁か?
不甲斐ないことだ。
だが押さえられない。
そんな俺を宥めるように、一護は、俺の手に自分の手を重ねた。
俺のよりうんと小さく細い手。
そのくせ、扱いきれないほどの力と責任を備えている。
そして一護は、俺を不敵に見下ろしてきた。
さっきまでの迷いはどこへ行ったのか、その両眼は、俺たちが始める以前のあの澄んだ光に戻っていた。
・・・俺、何か勘違いしてねえか?
この子供が、俺なんかのどす黒さに簡単に染まるわけがねえんだ。
俺がどうこうしようったって、一護がそれを許すはずがねえ。
だからこその一護なんだ。
だから俺も、俺の中の何かを預けることができるって思ったんだろ?
なら一護もそうできるようじゃなきゃ意味がねえ。
俺が俺に負けてるようじゃ、傍にいる価値もねえ。
一護が皆を護るなら、俺が一護を護ると、そう決めたんだろ?
「・・・だからテメエもいい加減、腹ァ決めろ」
ようやく搾り出せた精一杯の虚勢に、一護は、
「上等だ」
と真っ当に応えた。
そして苦笑する。
いやに大人びた笑み。
こんな顔ができるようになっていたのか。
ああ言えばこう言う。
けれどその無謀を重ねた上の、脆いことこの上ない傲岸不遜さがたまらない。
だから今は負けたという気持にあっけなく降伏し、俺も苦笑して返す。
そっとその腕を枕に、まだ細い首に唇を埋め、負け惜しみに、
「この意地っ張りが。いい加減に落ちろ」
と、手を伸ばして、すっかり乾いてしまった髪を掻き混ぜれば、
「落ちろもヘッタクレもねえだろ、バカ恋次」
と案外柔らかい声が返って来る。
「色恋事だって自覚が無さ過ぎんだよ、テメエのは」
だからそれなりに覚えてきたいろんな不文律や手順が全く役に立たなくて、俺は翻弄されまくってんだ、ちくしょう。
「っせえよ。つか俺、初心者なんだぞ。テメエのはいろいろいっぺんに出しすぎだ」
と一護が思いがけず弱気を見せた。
その顔があまりにも所在なさげだったから、
「安心しろ。俺だって似たようなもんだ」
と本音をつい口にしてしまった。
驚いたような一護の視線とぶつかって初めて、自分がぶちまけてしまった言葉の意味が飲み込めた。
流してくれればよかったのにと思うけど、確かに一護は初心すぎる。
そんな駆け引きのいろはも知らねえだろう。
それにしてもこれじゃあどうにもこうにも立場がない。
やっちまった、先が見えたと天井を仰ぐと、一護がくつくつと笑う振動が、頬にくっつけられた額から伝わってきた。
それはとても柔らかくて、ヘマもたまにはいいもんだなどと思った。
年上ヅラでカッコつけようとして逆効果な恋次がヘタレで面白くてますます好きになってしまう罠 ← 一護が。不憫。
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