君と繋ぐ手
ちぃーっす、と小さく声をかけながらいつものように窓を開けようとすると、
予想していた気もする固い抵抗。
鍵が掛かっていた。
本当のところ、施錠がなされているかどうかなんて関係ない。
意思を固めれば、壁でも通り抜けることができる。
叩き起こして窓を開けさせてもいい。
それをせぬのは一護の存在を侵したくないから。
いくら強いといってもまだ子供の一護の世界は不安定だ。
唯の人間の子供としての象徴であるこの部屋を、
一護のテリトリーを抉じ開けるような真似はしたくない。
だから施錠されてしまっては通り抜けるわけには行かない。
恋次は息を潜め、そのまま屋根に駆け上った。
時間軸が異なるとはいえ、
同調している今はあちらで過ごしたのと同じ量の時がこちらでも流れる。
ちょっとだけと言い捨てた言葉の通り、数刻もすれば戻ってくるつもりでいた。
出来なかったのは己の咎。
久々の空気が懐かしく、離れがたかっただけ。
滞っていた書類の処理も、朽木家での内々の祝い事も言い訳に過ぎない。
それにしても、と恋次は夜明け前、漆黒の空を見上げる。
不器用な兄妹もあったものだ。
結局いいように使いっ走りの役をやらされた。
親愛の情だかなんだか馴染みのない感情の表し方を知らぬ不器用な兄と、
鈍感の極みを行くくせに兄の一挙手一投足に翻弄される妹。
何十年も共に過ごしたくせに、やっと兄妹として外側を固めるところから始めようとしている。
緩衝材代わりとはいえ、家族のように扱われ、面映かった。
兄妹の間に割り込むわけには行かないし、実際無理な話であるのは百も承知だ。
ただ、夢を見ることが出来た。
言葉もなく通じる気持ちや、互いを思いやってのさりげない挙動。
そのようなものがルキアの周りにあるのが嬉しかった。
普段は鉄面皮の、勤務中には決して見せぬ上司の微笑みを見るのもいいもんだと思った。
ただ、恋次は知っている。
なんでもない、兄妹としては当たり前の振る舞い。
そこに達するまでにこの二人が、どれだけの傷を負い、哀しみを超えてきたかを。
まったく長生きってのは救われない。
それほどの代価を支払わないといけないのならば、
短く駆け抜ける人間の生のほうがいいのかとも思う。
背負えないほどのモノが圧し掛かってきたとき、神を名乗る身でどう生きろというのか。
上司のように意思で己を確固と固めることが出来ぬものは滅べというのか。
その強靭さをルキアにも望むのか。これ以上傷つけというのか。
敬愛してやまない上司だが、ことルキアのこととなると反抗心に似た苛立ちが沸き起こる。
全てを水に流したとはいえない。
澱んだ何かが心の奥底に残っているのを今も感じる。
そんな逡巡を打ち消すように、屋根の下、静かに眠る人間の子供のことを想う。
背負いきれないものをも敢えて引き受けて、闘い続ける人間もいるではないか。
儚いほどの短い生、弱い人間の体を投げ打って、己が食われる恐怖と戦って、
それでも前に進もうとする、いじましいほどの強さと激しさ。
そこに惚れ込んだのではないのか。
だったら時間など、無意味だ。
「で、何をこんなとこで呆けてんだテメーは!!」
突然の声に驚いて振り向くと、鮮やかなオレンジ色。
いつの間にか明るくなり始めた空を背に立つ姿は、まるで夜明けそのものだと思う。
「・・・・って閉め出されたからよ」
「だからってこんなところで拗ねなくてもいーじゃねーか」
「拗ねて鍵かけてんのはテメーだろ」
「うるせー」
そういってどっかと横に腰をおろす。
「大体なんで死神化してんだテメーは」
恋次の問いかけに、一護はそっぽを向いた。
「屋根に上りやすいから」
なんか違う理由がありそうだが、このひねくれた子供が素直に吐露するとも思えない。
なんでこうアッチもコッチも俺の周りにゃ素直じゃねーやつばっかりなんだ、と
恋次は自分のことは棚に上げて思った。
「あ、これ土産」
「なんだ?」
「チョコ。ちょっと早いけど」
「マジかよ、バレンタインかよ!!」
布の袋に入ったチョコを受け取って驚きと喜びではじける一護の笑顔をちらりと見て恋次はほくそえんだ。
「隊長から」
「・・・・・まじ?」
「まじ」
うわぁぁっと、せっかくのチョコを投げ出しそうになった一護に、堪えきれなくなった恋次が大爆笑した。
「しょーがねーだろ! 隊長、バレンタインのこと勘違いしてんだからよー!!」
「何にっ?! バレンタインの何をどう勘違いして俺にチョコなんだよっ!!」
「いやだから、隊長が計画してルキアがつくったんだよ」
どこでどう間違ったのかわからぬが、
おそらくあの従者あたりが下賤の習慣と気をまわし、美辞麗句で飾り立てたのであろう。
曲解と誤解が重なった結果、感謝の意をそれなりに表したかった白哉がルキアに作らせたのだ。
というか、ルキアの気持ちを慮ってのことだとは思うが。
ま、ある意味、愛の結晶?
「感謝して食いな。味は保障しねーけど」
「ってテメーからはねーのかよ?」
「あァ? なんで俺がテメーにチョコやるんだよ。くれよ」
「フツウはそっちからくれるもんだろっ?」
「何でだよ、大体チョコなんてのは現世のもんだろ?」
「つーか下になるほうがくれるほうがアタリマエじゃねーか?」
ぎらっと恋次の眼が光った。
「・・・・ほう。下になる。一体なんの話をしてるんだテメーは?」
「そりゃーもちろん突っ・・・」
・・・っ込む方と突っ込まれる方といいかけた一護は、
今更ながら恋次の周囲に漂うヤバイ感じの空気に気がついた。
慌てて口に手をやっても遅い。
いつもなら笑って流す程度の小さなミスに既に臨界点間近な様子。
「・・・・俺です。チョコ買って来ます」
「おう。楽しみにしてるかんな」
爆発はなんとか免れた、と一護は胸を撫で下ろした。
そんなあからさまな態度に半分呆れて半分笑いを噛み殺した恋次は、
ごろり、と屋根の上に転がった。
冷え込みが厳しい真冬。
朝日を浴びた霜が銀色に輝いているが、生憎、魂魄の姿では質量を背に感じるだけ。
背の下の霜も溶けることはない。
ああ、やはり此処は俺の世界ではない、と恋次は改めて思う。
行き来は出来ても、違う世界だ。
決して交じり合うことのない、かけ離れた世界。
でもそれは人間同士、死神同士だってそうだ。
千の言葉をつくしても、万の時間を過ごしても通じないことばかり。
それが昨夜、共に月を眺め、同じ空気を吸い、漂う音を拾ったあの一瞬、
あの兄妹と何かを共有したと思う。
錯覚だったのかもしれないけれど、でもそんな幻を見ることが出来た。
もう充分だ、と思った。
ふと一護に目をやると、静かに明けゆく空を見ている。
その横顔からは、何を思っているか推測できない。
コイツとも、いつか何かを共有することが出来るのだろうか、と思う。
と、恋次の視線に気付いたか、一護が突然振り返り、沈黙を嫌うかのように口火を切った。
「なんかさ、オマエがあっち戻ってる間、オマエは遠い存在なんだなって思った」
本当に遠い。
そう呟いて軽く伸びをし、空に向かって軽く笑った。
そんな一護が愛しくて、
でも何もかける言葉を知らない恋次は、そうだな、とだけ言った。
甍の波が連なるその向こう、地平線から天空に向けて光が射し、また朝が来た。
「・・・さてっと。今日も1日がんばりますか」
「そうだな」
触れてきた手を早朝の光の中で強く握りかえすと、少しだけ魂が混ざり合うような気がした。
結局のところ、何処が己の所属する場所や時間なのか分かりはしないし、
分かったところでどれぐらい意味があるのかも分からないし、
更に言えば皆それぞれ永遠に一人なのかもしれないけれど、
こうやってまた繋ぐ手があるのならば充分すぎるほど充分だ、と恋次は思った。
<終>
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