「熱帯夜に漂う躯 五題」配布元 / LoveBerrys/2008夏 W一護&恋次誕生日企画

俺たちがやってるこんなことは、情を交わす、というのだという。
あるいは枕を交わすとも。

そんなん、知ったこっちゃねえ。



無自覚な鎖骨



国語が得意なんだろ、知らなかったのかと鼻で笑う恋次に、なんでそんな面倒くさい言い方をするんだ、やるとか寝るでいいじゃねえか古臭えと俺は言い返す。
すると恋次は、確かにテメエがやってんのはそのレベルだよなと薄ら笑いを浮かべる。
じゃあテメエのはその情とか何とかなのかよ大体さっきまであんなだったじゃねえかと食って掛かると、そんなんテメエに合わせてるに決まってるだろと軽くいなされる。
ギリと零れる歯軋りのほかに返せるものがない。


苛々する。
これじゃあ俺はまるで猫か何かみてえだ。
言葉を言葉で返せず、唸るだけ。
大体、実年齢とかそんなことを考えるとよっぽど恋次の方が成長してないくせに、いつもは意地になって対抗してくるくせに、時々こうやって、大人ぶってみせる。
経験値という絶対値で敵うはずのない俺には、首の後ろの毛を逆立てて唸る猫のように、これ以上近づくな、踏み入ると反撃するぞと威嚇するしか術はない。
そしてそれは大抵、当たり前のように受け入れられる。
見えない手で頭を撫でられてるような気さえする。
ちくしょう。




「ああもう行かなきゃ」
俺は何もなかったフリをして漆黒の衣を羽織る。
恋次が言うところの情を交わした後は、特にこんな夏の夜だし、布も肌も空気さえもベタついてて、なんだか手がうまく動かない。
袴をつけて帯を絞るとギシリと不器用な音がする。


「もうこんな時間か」
素知らぬ振りした恋次も、袴を重ねて帯を結ぶ。
けど恋次が立てるその音は俺のとは違ってとても静かだ。
遠く離れて聞く波音とか、重なった囁き声だとか、そんなふうにも聞こえる。
こういうのをほんとの衣擦れというんだろうなあと古文の授業中、思い出したことがあったっけ。
時折プラスチックや金属の硬い音を混ぜる洋服とは明らかに違うその音色。
現世とは異なる種類の静けさだからこそ聞こえる微かな響き。
たぶん同じ教室内で同じ授業を受けてても、ほとんどのやつらはこんな音は思い起こしはしないんだろう。
遠い昔から渡ってきたような、夜明けを告げるこんな辛い音は。
酷く孤独に感じたのと共に、優越感みたいなものが胸の奥、ふつりと音を立てたのをよく覚えている。



目の前の現実に戻ると、恋次は当に死覇装を着け終わっていた。
横目で盗み見るその肌にも表情にも、何の跡も残っていない。
きちんと揃えられた指が滑らかに襟元を整えてる。
あんなに汗をかいていたのに、俺の中にはまだこんなに熱が残っているというのに、まだまだ裸のままでいたいのに、なのに夜の終わりはもうそこまで来てる。
恋次は少し明るくなってきた障子の向こうを、無表情を貼り付けたままで眺めている。
俺はそんな慣れた様子の恋次を見て、少し辛い気持ちになる。

何度、誰と、こんな朝を迎えたのだろう。
恋次は決して話さないし、俺だって絶対訊きやしない。
けど、こうやって離れていくときにはそんなもんがあったんだと思い知らされる。
コトになだれ込むときでも、やってる最中でもなく、何もかも終わったその後に、恋次には恋次の気が遠くなるほどの過去があって、それには存在感がありすぎて、こうやってまた離れてしまった躯の間をきっちりと区切ってしまう。
俺はそれが、大嫌いだ。



睨みつける俺に気づいて、恋次がこっちを向いた。
また難癖つけてくるかと思ったら、予想だにしない穏やかな声。

「一護。帯、ちゃんと結べ」
「・・・っせえ! 細かいこと、ごちゃごちゃ言うな!」

俺の剣幕に鼻白んだ恋次は、口の端だけで笑う。
そして横から太い両腕を回し、勝手に俺の帯を解んで結びなおす。
ガキ扱いしやがって。
死覇装の袖からのぞく目の前の無防備な恋次の腕を見ると、無性に噛り付きたくなる。

「帯、重なってると、受身取ったときとかにケガすんぞ」
「んなヘマ、しねえよ!」
「そう言ってるヤツらがするんだよ。それが隙に繋がる」
「・・・んだよそれ、経験談かよ!」

負け惜しみしか返せない俺に、目の前の薄い唇が少し歪む。

「まあ、そういうことだ」
「へッ、やっぱりな!」

ああ、これじゃ、反抗のための反抗だ。
なんでこんなにドツボっていくんだろう。
もっと、ちゃんと、したいのに。

俺だって自覚ぐらいある。
隠しちゃいるけど、腹の中では悔しくてたまらなくって、カッコつけてるだけじゃどうにもならないことだってあるから、ジタバタとみっともねえ真似も晒したことだってある。
それでも恋次は素知らぬツラで、何事もなかったかのようにやり過ごす。
けど落ち着いた頃に、偶然思い出したフリして俺をからかってきたりする。
そんな底意地の悪い態度にもいい加減に慣れたから、結構冷静に返せてるとは思う。
でもやっぱり腹の中では苛々してるんだ。
いつまでもガキでなんかいられねえ。
早く追いつかないと。
わかってはいるのに、足掻いても足掻いても先が見えねえ。




「・・・あのなあ、一護」

睨み合いに似た時間の後、恋次が先に口を開いた。
俺の視線を受け止めて、眼も逸らさない。
ガキぶるのもいい加減にしろとでも説教する気かよ。

「俺は、テメーには誰にも負けて欲しくねえんだよ。わかるか?」

どくんと心臓が高鳴る。

「負けるなら、俺にしろ」

それは一体、どういう意味なんだよ。

なんなんだよ、らしくねえと軽口を叩いて返そうとした。
なんだ負け惜しみかよと茶化そうともした。
けど、いいなと笑いながら念を押す恋次の眼の色は、いつになく重い深紅。
置いてきぼりを喰らったガキのようなツラ。
なんでこんなときにそんな顔をするんだよ、今までこんなふうにそのツラ、見せたこと無かっただろ、ズル過ぎるだろと俺は腹の中で叫ぶ。
そしてため息を殺して黙り込む。

だってこれは、俺だけが知ってるガキの恋次。
恋次の奥底にいつも膝を抱えて座っている。
大人の恋次は見て見ないフリをしてるんだ。
育ちそこなった子供の自分を置いてきぼりにして、大人の皮を分厚く被って、一人っきりのフリをしてひたすら前に歩く。
それがテメエだ。


黙って唇を噛締める俺を、恋次は片手で軽く抱き寄せる。
こつんと額がぶつかったのはきっちりと整えられた襟元に覗く鎖骨。
人間の体で一番折れやすい骨。
内腑を護って優美な線を描く。


なあ。
わかってんのか?
テメエはこうやっていつも、自分の弱いところを無造作に晒す。
油断してるのか、それとも舐めてるのか。
でもつまり、俺がガキだからだろう?
だから俺のところにくるんだろう?
寝ることはできても、情なんかは交わせないと高を括ってるから、そんな風に無防備でいられるんだ。
だから俺はいつもテメエの一番弱いところ、一番近いところに潜り込んでいる。
テメエは、それがどんなにキレイで、どんなに俺をたまらない気持ちにさせるかとかは知らねえんだろうけど。

でも、いつまでも子供じゃいられない。
俺は大人になるんだ。
そしてもっと強くなる。
テメエに追いついて、追い越す。
そうなったら、実は弱虫なテメエは俺から逃げようとするかもしれない。
けど、俺は逃げない。
絶対逃がさない。
テメエでも安心して自分を晒せるような、そんな大人になってやる。
そのときはこんな鎖骨は見れないかもしれないけど、でも俺はきっと覚えてる。
だからもうちょっと待ってろ。


襟を押し開いて唇を押し付けると、恋次は顎を上げて喉元を晒す。
鎖骨の窪みには、最後の汗粒が僅かに残っている。
けど手を出しちゃいけない。
だってこれは今の俺だけが知る、絶対不可侵領域。



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