勘違いする




「…んだこりゃ」

驚かしてやろうとわざわざ霊圧まで消して忍び寄り、一護の部屋の窓を勢いよく開けてはみたものの、どうにもこうにも身動きが取れなくなってしまった。
だって肝心の一護がベッドの上、そりゃあ気持ちよさそうに眠りこけてる。

「…こりゃあ当分、起きそうにねえなあ」

窓枠に座り込んだ俺が作る影の中、今がその時とばかりに一護はひたすら眠っていた。
その寝顔に、白い春の陽光が柔らかい陰影をつけている。
開け放った窓から流れ込んだ風に、金に近いオレンジ色に輝く髪が揺れる。
額に寝汗がきらきら光る。

時は早春。
春眠暁を覚えずとはよく言ったもの。
いきなり来て驚かしてやって、怒ってるんだか喜んでるんだか分からない、あの混乱しきったツラを見てやろうという目論見が外れてしまったのは残念だが、
物音を立てても霊圧を解放してもピクリともしないあまりの熟睡ぶりに、ついに感心のため息がでた。

─── まだ、子供ってことか。

こんなふうに全身全霊で力いっぱい眠るなど、もう俺には無理だ。
思わず苦笑が漏れた。



「さて、と」

いつまでも窓枠にしがみついてるわけにもいくまい。
風もまだ冷たい。
俺は大きく一息つき、後ろ手に窓を閉めつつベッドをひょいと跳び越えた。
部屋のど真ん中に着地すると、トンという軽い振動が部屋に響き渡ったが、一護が身動きした気配はなかった。

静かだった。
昼過ぎの、夕刻まではまだ少しあるこの時間。
ちょうど人通りが途切れる頃なのだろう。
窓越しに流れてくるのは微かなざわめきだけ。
硝子にぶつかっては消える、人の立てる音の波。

大きく伸びをした後、床の上、日のあたる場所を選んで腰を下ろして振り向くと、ベッドの上の一護も同じ陽だまりの中に居た。

─── よくもまあ、こんなに明るいところで寝れるもんだ。

早春といえど、直接照らしつけてくる午後の日差しは眩しすぎて、眼を細めずにはいられない。
けれど、それだけの力のある陽を浴びるからこそ一護は安心してゆっくりと眠れているのかもしれない。
理に逆らって闘い続ける身体も、人として自然の一部に回帰できるのかもしれない。

─── これが一護の力の証なんだろうか。

愚にもつかない考え方とは知っている。
けれど、肩の荷が降りたような気がしたのも確かだった。



床に座り込んだまま、眠る一護の顔の辺りに上半身だけ添わせてみる。
穏やかな寝息に呼吸を合わせると、ここしばらくの疲れが出たのだろう、瞼があっという間に重くなった。

─── あったけえなあ…。

柔らかな日差しに晒されて、俺の死覇装は柔らかく色を変えていた。
だが一護の影になったところだけ、墨色のまま残っている。
陽光を透かしたその髪は、まるで太陽そのもののように金色に輝いているというのに、影をつくるなど奇妙なものだ。
その当たり前の矛盾になんだかクラリと目眩がして眼を閉じようとした矢先、一護が寝返りを打った。
いっぺんで目が覚めた。

「起きたのか?」

だが、こちらを向いた一護の眉が苦しげに寄せられたのはただの一瞬、妙に柔らかい笑みを浮かべたと思ったらまた、まどろんでしまった。

「う…」

俺は歯軋りをした。
なんで一護が起きなかったぐらいで、がっかりしなきゃならねえのか。
少なくとも、こんなに心臓が跳ねる理由はない。
一瞬で吹き飛んでしまった心地よい眠気を思うと更に悔しく、このまま帰ってしまおうかとも思った。
なのに一護は眼を瞑ったまま、頬に触れた俺の手を握り締めてきた。
そして幸せそうに淡く笑った。
まるで母親に甘える子供のようなあどけない仕草だった。
ここは俺が折れるしかなかった。



いつの間にウトウトとしていたものか。
握ってくる手がピクリと跳ねたので目を上げると、一護の口元が綻んでいた。
心なしか、眉間の皺も浅くなっている。

─── 何かいい夢でも見てるんだろうか。

薄くかいた汗で額に張り付いた髪を取ってやると、寝息が少し乱れ、不満そうに口が尖った。
いい加減、眠りが浅くなってきているのだろう。

─── やっと起きる気になったか?

目を覚ました途端、俺のしかめっ面を目にして慌てる一護を想像すると笑いが漏れた。

─── さっきの仕返しだ。せいぜい慌てるがいいさ。

俺は大きく一息ついて、握られたままで汗ばんでいる一護の手を外そうとした。
だが一護は、ぎゅっと握り締めて離してくれない。
それどころか、れんじ、と小さく呟いて俺の手を引き寄せ、唇を添えた。

「な…ッ!!」

あまりのことに、思いっきり手を振り払ってしまった。
一護の手がパタンと音を立てて布団に落ちた。
だがその眼は閉じられたままだった。

「い…、一護…?」

だが返事は無い。
一護は微動だにしない。
ふうと大きな寝息を吐き、小さく寝返りを打った。

─── ね、寝惚けてたのか?! 寝惚けてたんだよな!!

起きる気配はなかった。
よかった。
俺は心底、ほっとした。
不意打ちに火照っってしまった顔を見られるところだった。
だが安心したら今度は猛烈に腹が立ってきた。
本当は、フザけてんじゃねえぞと、殴りつけてやりたいところだが、それだと一護と同じレベルになっちまう。
だからぐっと堪えてはみたものの、相変わらずの能天気な寝顔を目にすると、またフツフツと腸わたが煮えくり返りだす。

俺は体を反して一護に背を向け、ベッドにもたれかかって天井を見上げた。

─── ったく。寝てるだけの子供相手に振り回されてどうする。

大きく息をついて、呼吸を整える。
すると硝子越しに流れてくる雑音が耳についた。
激しくなった車の往来に、時々、床が小さく振動する。

人々が動き出している。
あと数刻もすれば逢魔が時。
頑として揺るがぬ現世の理も、この時間だけは此岸に属さない俺たちの存在に寛容になる。
ならばその時まで一護を訪ねるのを待つべきだったんじゃないだろうか。
そうしたら、こんなふうに無駄に一護に振り回されることも無かったんじゃないだろうか。


天井をぼーっと眺めていたら、俺の名を呼びながら唇で触れてきた時の一護の横顔が浮かんできた。
どこか透明で夢見る子供のような、そのくせ雄の気配を漂わせた毅然としたあの時の横顔を。

─── ったく、こっちが恥ずかしくなるだろうが!

俺は、顔に熱が集まってくるのを感じた。
そもそも俺たちの仲ってのは、背中合わせで闘って、喧嘩して、殴り合って、その隙間に勢い余って抱き合ってしまうような、そんな一過性のものなはずなのに、一護は時々、こういう不意打ちを喰らわせてくる。
真っ直ぐに見つめてくる。
慣れてないのだ、そういう扱いには。

天井を眺めていると、たまりにたまった不満が口をついて出てきた。

「…寝惚けて俺の名前とか呼んでんじゃねえぞ」

素直に受け入れられない俺の器が小さいんじゃねえかと、俺が自分を疑ってしまうじゃねえか。
それに他の誰かに聞かれたらどうするつもりだ、このバカが。
そんなツラして名前呼んだら、誰にでもバレてしまうじゃねえか。
困るのはテメーだろうが。

「たまたま俺だったからよかったものの…」

誰彼構わずあの口付けを与えるつもりか。
冗談じゃねえ。
やっぱりこのバカは思いっきり絞ってやんねえと、危なっかしくてしようがねえ。
いっそ叩き起こしてやろうか。
それとも尸魂界にかっさらっていってやろうか。

「間違ってたらどうするつもりだ。ったく…」
「んなわけねーだろ、このバカ」
「…ッ?!」

あるはずのない返事に、まさか幻聴かと慌てて振り向くと、あろうことか一護は薄眼を開けて、俺を見ていた。

「よう」
「い、一護…?! オマエ、起きてたのか?!」

慌てる俺を不満そうに睨みつけた一護は、動揺しすぎだバカとため息をつき、また眼を閉じた。

─── テ…、テメエ、一体いつから起きてたんだ? つか、まだ寝る気か?!

「あのなあ、一護!」
「ったく、見誤ってんじゃねーぞ」

一護は、眼を瞑ったままボソリと呟いた。

「んな簡単にテメーの名前とか呼ぶかよ」
「…?」
「もったいねえだろ」

テメエ、そりゃどういう意味だと問い返す前に、頭を抱き寄せられた。
見上げると、先ほどまでのあの無邪気な寝顔はどこに消えたのか、不穏な光を宿した薄茶色の瞳が輝いている。
まだまだ子供だと勘違いしていた自分の愚かさにため息が漏れたが、いつもに輪をかけて性急なその腕に、後悔の念など湧き上がる暇はなかった。



2011.3 早春賦
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