「動き続ける100の御題」より (配布元 / せっと)
魅入る
「ひざ」
と指差すと、一護は自分の膝をじっと見た。
そしてちょっと眉をしかめ、今度は俺に視線を移す。
「俺の膝、どうかしたのか?」
何を俺が言いたかったのか、全く見当がつかなかったんだろ。
無意識に小首を傾げたままなのがいやに素直で、小動物っぽい。
それが可愛らしくて、つい漏れそうになった笑いは抑えつつ、
「いや・・・、そこ破けてるし、寒くねえのかなって思って」
とさっきから気になってたことを訊いてみた。
だってまだ春先。
日中はともかく、今はうんと気温が下がっている。
けど一護は思いっきり呆れたツラしたあと、
「なわけねえだろ、もう春だぜ」
と片頬だけで笑ってみせた。
そしてそのまま、ほらと見上げてみせた先には一面の桜花。
すっかり人気が引いてしまった真夜中を仄かに照らしている。
「な?」
と
一護が自慢げに見上げた先、桜花をいっぱいにつけた枝は、その重さに耐えかねてしなだれているように見えた。
んなはずはねえのにな。
立ち上がって触れてみると、思いがけずひんやりと冷たい花弁。
すぐに手を引いたというのに、もう盛りを過ぎる頃だったのだろう、桜花は、あっさりと花弁を落としてしまった。
「・・・ああ、そうだな」
はらはらと舞い落ちる花弁を見送り、俺は眼を閉じた。
次々と咲き誇っては次の瞬間に土に還って行く桜の儚さと力強さは、生と死の境を彷徨い続ける人の命に似すぎている。
現にほら、こうやって散り往く花弁を零さぬようにと受け止めても、指の隙間から、掌の縁から次々と零れ落ちていく。
まるで俺たちが取りこぼし続ける魂のようだ。
延々と続くはずの輪廻の輪の上、辿る方向を違えた魂はこの花弁のようにただの土塊に戻り、消えてしまうのだろうか。
そして俺たちが救ったと信じた魂魄も、そして俺たち死神さえも、結局は同じ運命を辿っているのではないだろうか。
そんな疑念が胸を過ぎるのは、決まってこの季節。
俺はまた、桜の花々を見上げた。
「・・・やっぱ、いいもんだなあ」
ため息のように漏れ出た一護の声に我に返り、天上の桜から地上へと視線を移すと、一護は座ったまま桜を見上げている。
その上に、はらはらと桜の花弁が舞い落ちていく。
目のところに落ちてきた花弁を避けようと、瞼が閉じられ、それが無心に口付けを待っているように見えた。
なんて無防備な顔をするんだろう。
俺は、伸ばしかけた手を引いた。
唯人から程遠いくせに、誰よりも人間として生きている、不完全すぎるほど未完成なこの子供。
俺には今、この子供が、とても儚く見える。
より強大な力を求めて足掻き、凄絶な生を歩み続けるこの子供が。
俺は、掌に溜まっていた花弁を振り落とし、一護が見立てた服のポケットに両手を突っ込んで、もう一度顔を上げ、桜の向こうに広がる夜空を睨んだ。
すると、びょうと風が吹いた。
桜の花が盛大に散った。
季節が追い越していく。
俺たちはただ立ち竦んでいる。
「・・・なあ。もう桜も終わりだな」
また一護が呟いた。
今日はやけに一人でよく喋る。
そのくせ声がやけに小さかったから、天を仰いだまま、わざとぶっきら棒に応える。
「そうか? まだ当分は咲いてんじゃねえか?」
「んー・・・、でももう葉っぱも出てきてるし」
「葉桜は葉桜で風情ってもんだろ」
「そりゃそうだけどさ・・・」
いつにない歯切れの悪さに、少し不安を覚える。
さっきの一護は、舞い落ちてくる桜の花弁に埋もれて消えてしまいそうだった。
人の枠を超えた力も、強烈な意思も、その在り方も、散り往く花の前では全て、意味の無いものに見えた。
「・・・あのさ、恋次」
「ん?」
「あのさ・・・」
「んだよ」
「来年も、こうやって見れるといいな、桜」
んなこと今から言ってると鬼に笑われるぜ?
からかおうとして見下ろすと、いつの間に俯いたものか、一護は旋毛だけを見せて膝を抱え込んでいた。
ぐっときつく曲げられた膝小僧が、破れたところから大きく顔を出している。
小さくうずくまる一護の上へと桜の花弁が降り注ぐ。
陽の光の色の髪にも、まだ骨ばった肩にも、傷だらけの膝小僧にも、桜の花弁が次々と舞い降りて、一護を埋め尽くしてしまう。
一護が消えてしまう。
「・・・・一護・・・ッ」
次の瞬間、俺は一護の肩をきつく掴んでいた。
一護に積もっていた桜の花弁が大きく舞って、風に散る。
「・・・恋次・・・?」
驚いた一護が、俺を凝視した。
その大きく開かれた目が俺を正気に戻す。
「・・・あ、いや・・・、なんでもねえ」
一護の肩を解放し、俺は呆然と立ち上がった。
「・・・なんでもねえけど」
一護はまだ、俺を見上げ続けている。
その無邪気な視線に煽られて、行き場を失くした焦燥が歯止めを求めて奔り出す。
そうだ。
どうせ、みんな消えてしまうんだ。
数年も経てば、全て忘れられてしまう。
ならばこの一瞬を謳歌して何が悪いか。
今を咲き誇る花を愛でて何が悪いか。
そうだろ?
俺たちはまだ何も得てはいない。
過ぎ去る桜の中で立ち竦んでいるだけ。
しゃがみ込んで、破けたところから覗いてる一護の膝に口付け、そのまま一護の足を抱きこむ。
これじゃ縋ってるみたいだと自嘲の念に駆られつつ、頭を撫でる柔らかい感触に顔を上げると、さっきまでのやんちゃヅラはどこへ消えたか、一護は泣きそうな顔をして俺を見ていた。
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