数日前の夜に会うことになっていた。
その日は誕生日ではあったけど、一護は、会う口実にするどころか、言及さえもしなかった。
恋次は責任のある地位にいるし、一護だっていつ何があって死神代行として駆り出されるかわからない。
それに大体、恋次は死神で、現世の住人ではなくて、しかも死人。
人間の誕生日とは縁のない存在。
一護自身にしても、誕生日そのものに大きく意味を見出してるわけではない。
生まれたときのことなど覚えていない。
だが、その日が来ると、いつも家族や友人が喜んでくれて、祝ってくれて、願いをきいてくれて、それが一護をとても幸せな気分にした。
ただ、母親を亡くしてからは、その欠落をあらためて思い知らされるようで、
手放しで祝うような気持ちにはなれなかった。
もちろん、一生懸命祝ってくれる妹たちの手前、楽しく過ごしてみせたが、部屋に戻って一人になると、余計に空気が重く感じられた。
だからかもしれない。
誕生日の夜は恋次と、と願ったのだ。
特別な人が、死神で副隊長で死人で男だとしても、密かに一護が欲しがったのは、ただの逢瀬だった。
特別に祝うことなく、ましてやプレゼントなどいらない。
いつものように言い争ってバカ騒ぎして、そんな時間を特別な日の締めくくりに過ごして、日常に戻す贅沢のほうが、
何かを強請るよりもずいぶんと大人っぽいことにも思えた。

けれど、想定内とはいえ、約束は通り果たされなかった。
次の日の朝が来て、すっぽかされたことが確定したとき、子供だったらよかったのにと一護は思った。
子供なら、泣いて怒ってダダをこねれば済む。
けど、泣く気にも怒る気にもならない。
大体、何を欲しがっていたのか、本当のところは分からない。
こんな形のない、確約もない、保証もない、意味さえない、そんなものを願ったなんて不毛すぎる。
そもそも欲しいものが、自分の欠落を埋めるものってのが、後ろ向き過ぎる。
結局のところ、大人になるってのは制限が増えて、不自由になるってことなんだろう。
つまんねえもんなのかもな。
年を重ねて大人になって、恋次に追いつくつもりだったのに、かえって子供へ逆戻りしたい気分になってしまった。
つい、自嘲が漏れる。
そして一護は、対等に振舞いながらも、大人の顔を隠しきれていない恋次のことを想った。





「こないだも約束やぶっちまったってぇのに悪ィな」
あらぬ方向を見たまま恋次が呟く。
「しよーがねえじゃん。仕事なんだからちゃんとしろバカ」
「してっから忙しいんだろ?」
「つかもっと有能だったらもっと仕事こなせんじゃねえか?」
「っせえ! テメーに俺の仕事の何がわかる!」
「わかんねえよ! でもそれがテメーの仕事だろ!」
売り言葉に買い言葉を続けるうちに、一護の声がどんどん高くなって、周囲の注目が集まってきていた。
だが、廊下に背を向けた上にすっかりテンパってしまった一護はそれに気がつかない。
不審げに一護を取り巻く生徒集団を一護の肩越しに認めた恋次は、やれやれとため息を軽くついた。
「そのとおり。ってなわけで、俺、行くから」
「・・・お、おう」
急に冷静な言葉で会話を打ち切られて、一護は戸惑い、むっとした。
いつ今度は会えるかと問い返されるのを予想していた恋次だったが、ぐっと引き締まってしまった一護の口元が微動だにしないのを認めて、苦笑交じりに窓枠に脚をかけた。
そして、じゃなと一声かけて恋次が空に飛び去れば、代わりに太陽が一護の顔を照らしつける。
くそ、眩しいなと手をかざして窓の外を見上げると、紺碧の空に浮かぶ染みのような黒い影。
じゃな、と返し損ねた言葉を小さく口にしてくるりと振り返り、窓を背にする。
そして、そろそろ授業かと教室に戻ろうとした。
だがその時、突然、大声が響いた。
「オイ、一護!!!」
一護が振り向くと、窓の外、恋次が再び宙に浮かんでいる。
「忘れてた! これ、俺が現世で見つけた一番旨いモン。テメーにやる!」
恋次は袂にごそごそと手を突っ込んで取り出したものを一護に向かって放り投げた。
きれいな放物線を描いたそれは、すっぽりと一護の両掌におさまる。
「あ・・・?」
「溶けねえうちにさっさと喰えよ!」
「ってコレッ!!! ちょっと待て! オイ!!! ・・・・・行っちまいやがったよ。なんだったんだ」
詫びのつもりか、それとも誕生日のことを知っていたのか。
一護の手に残されたのは、市販のアイス。
指でプラスチックの袋の端をつまんでブラブラと揺すると、カサカサと鳴る。
「現世で一番旨いモンねえ・・・」
くすりと一護の口元から苦笑が漏れる。
窓際にもう一度近づいて空を見上げると、今度こそ本当に空は、赤や黒の混ざり物なしの紺碧を取り戻していた。
その鮮烈な色に、胸が痛む。
ちくしょ、と声にならぬ声で呟いた一護は、手の中のアイスをじっと見つめた。

だが、我に返にかえってみると、一瞬の逢瀬に浸れるような状況ではなかった。
全身に突き刺さるような視線の束を感じ、恐る恐る振り返ってみると、一護を取り囲むのは、遠巻きの人の輪。
「・・・オイ、今の見たか?」
「見た見た、なんか空から黒崎に向かってなんか飛んでこなかったか?」
「・・・だよな。アレは一体・・・・?」
「さっきも一人でずっと怒鳴ってたよな」
「なぁ、黒崎ってさあ・・・・」
ざわざわと包囲網を縮めてくる人の波をどう誤魔化すか、いっそ記憶置換神機を使うかと一護が覚悟を決めたとき、救いの天使ならぬ担任の越智が再び姿を現した。
「ほーら、授業始めるよー。さっさと席に着いた!!!
 ほら、黒崎も! ・・・ってお前、手に持ってるのは何だ?」
「・・・・便所、いってきますっ」
「あ、ちょっと待て、黒崎っ!!!」
脱兎のごとく駆け去った一護の背中を呆然と見ていた越智は、
「・・・・まあ元気になったんだったらマシか」
と、出席簿の角で頭をガリガリと掻きながら、ふっと一息ついて教室に入った。
そして一護が走り去った後の廊下は、教室から漏れる授業の開始を告げる越智の声と、ガタガタと机や椅子を動かす音に満たされた。




「さて、と」
一護は、屋上の定位置に腰を下ろし、握り締めていたアイスの袋を開けた。
「うわっ・・・、ほとんど溶けてるじゃねえか!」
屋上のコンクリートにも、溶けたアイスが零れてぽとりと一滴落ちる。
もったいねえとかぶりついた途端、口いっぱいにどろりと広がった甘さに一護は思わず顔をしかめた。
べたついた口の周りを手の甲で拭うと、ぷんと人工的なバニラの香りが漂う。
「甘・・・。あっちにはねえのかな、コレ」
だとしたら、鯛焼きアイスは、この夏の恋次にはたぶん世界で一番旨いものなんだろう。
初めてそれを見つけたときや食べたときの恋次を見てみたかったなと、一護は少し悔しく思う。
「結構、うまいなー。子供ん時以来か」
ふやけた最中の皮に包まれた溶けかけバニラアイスとチョコに餡子。
決して旨いもんじゃない。
でも世界で一番旨い。

一護は、焼けたコンクリートの上に思いっきり脚を伸ばした。
ジリジリと布越しに伝わる熱も、頭上から照り付けてくる夏の陽光もやけに気持ちいい。
先ほどまでの鬱々とした気分もすっかり晴れ渡っている。
「アイスごときで俺も単純」
こんなふうに、普通の日のちょっとした特別が、
特別な日の特別なものよりも嬉しいと感じられるようになったのは、きっと不自由が増えたから。
不自由だからこそ、裏に潜むいろんなしがらみや想いを察することができるようになったからに違いない。
ならばこうやって年を重ねるのも悪くはない。
そして子供の自分は、潔く過去の遺物となってもらおう。

「あっちぃー!」
照り返しの強さに、一護の額に汗の粒が浮かんだ。
数日遅れだけど、また少し、ちゃんと大人になったと思う。
恋次に追いつくのはまだまだだとしても、近づいたことには変わりあるまい。
「普通の日オメデトウ、俺」
一護はばくりと、溶けかけた鯛焼きアイスの最後のひとかけらを口に放り込んだ。

見上げると、視界一杯の空の蒼と雲の真白に溶け去った、赤と黒の残像が眼を射抜く。
本格的な夏は、もうそこまで来ていた。





2008. 一護誕 w一護×恋次誕生日企画LoveBerrys投稿作品
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