「恋次…。痛てェよ」
「あ、スマン」
慌てて手を緩めると、
「つかテメエッ!」
「うおッ?!」
するりと抜け出して床にすっくと立ち上がり、振り向いた一護は凄い形相だった。
「大体なあッ、やってる途中、気ィ逸らしてんじゃねえよッ」
ガクガクとすっかり着崩れた襟元を揺すられたが、
突然の怒りに俺はついていけず、呆然と一護のツラを見てるだけ。
「上の空なツラしやがってこのクソ死神ッ」
「あ…?」
そういえば、確かにイチゴの歌に気を取られすぎてた。
「し、しかも、あんなキ、キス…、しやがった後に…!!」
「いや、それはテメエがヘタクソなくせに無理やりしてくるからだろ」
それにテメエもノリノリだったじゃねえか。
「無理やりじゃねえッ! テメエが誘ったんだッ」
「誘った…? そりゃテメエだろ。いい気持でグウグウ寝てたとこにいきなり乗って来やがって」
「ウソだッ! テメエ、確かに寝ぼけちゃいたが、俺の名前、何度も呼んだじゃねえかッ」
「はぁ?!」
んな覚えは全くねえぞ?
つかそもそも、名前を呼ばれたぐらいで誘われたと思うか、普通?
「し、しかも…、テメエ、あろうことか寝ぼけて、ひ、ひとの…ッ!!」
「ひとの…?」
「ひとのケツ、掴みやがってッ!!!」
ケツ…?
そんなもん、触ったか?
手を閉じたり開いたりしてると、確かに何か記憶に引っかかるものがある。
「ああ…、確かに」
「テメエ、やっぱり…!!」
「なんか硬かった覚えが…」
ガシィッ。
「イッテエッ!!! いきなり殴んなッ」
「煩せェッ! 男のケツなんだから硬いに決まってんだろ、このクソバカ恋次ッ!!」
いや、でもまあ硬いだけじゃなくて他にもいろいろと何だかイイ感じの感触が残ってる気がするが、今、それを口に出したら、激高した一護はそのまま卒倒しそうにも思えたので黙っていた。
「つか! つかテメエは誘ったりイヤがったり、ケツ触ってきたり訳分かんねえッ!」
「い、いや、俺も一応、男だし…」
つかそもそも誘ってないからイヤがったわけだし、ケツ云々に関しては、そうとしか弁明の仕様がない。
ていうか何でそんなことしたのか覚えてない。
まさか、自覚ナシに欲を押さえつけ過ぎてたか?
だが俺の内心の葛藤にも気付かず、一護は更に畳み掛けてくる。
「そこか、恋次?! そこが問題なのか?! 硬くて悪かったなッ、もう俺、オマエのこととかサッパリ分かんねえッ!!」
ああ、マズい。
涙眼になっちまってる。
つか俺もオマエの言ってることが分かんねえ。
その流れでいったら俺が寝言でテメエの名前を呼んで、挙句にケツを掴んだから乗っかってきた?
それじゃ支離滅裂もいいとこだろうが。
だが一護は自分の混乱具合など棚上げして、怒鳴り続けた。
「…大体、何で誕生日、約束したのに来れねえんだよ、はっきり理由、いいやがれッ!!」
は?
今更、その話か?
ツッコんでやろうかと思ったが、ヤバい。
真正面から覗き込んでくるコイツのこの眼に、俺は滅法、弱いんだ。
「…お、落ち着け、一護」
「煩せェッ、これが落ち着いていられっかッ! 大体、テメエの誕生日ってスゲー迷惑な日なんだぞ、自覚あんのかッ! 宿題とかも半端ねえんだぞッ! しかもこんな早く来やがって、何にも準備できてねえじゃねえかッ、全ッ然、祝えねえじゃねえか、このクソバカエロ死神ッ」
全てぶちまけてしまえとばかりに捲くし立てる一護の顔は、赤くなってきていた。
息も荒い。
まったく、どんだけキレる気だ。
つかどんだけガマンしてたんだよ、オマエ。
俺は自分のことは棚に上げて、思いっきり呆れた。そして、
「一護、大丈夫か…?」
と呼びかければ、今、自分が何を言ったのかやっと腑に落ちたらしく更に火を噴く勢いで真っ赤に染まる。
と同時に、ガマンしてたものを全て出したせいか、ある種、ほっとした表情も見せる。
俺は無性に一護を抱き締めたくなった。
つまるところ、この子供は、全然、納得してなかったんだ。
キレそうになったのを、ガマンしてたんだ。
結局それが、今日のこの擦れ違いの始点だったんだとやっと合点が行ったとき、限界を超えたとばかりに一護はくるりと背を向けてしまった。
そのまま部屋を出て行きそうな勢いだったから、俺も慌てて立ち上がり、その肩に手をかける。
「すまねえ」
と今度は本気で謝る。
だって俺が逃げてたのは事実だから。
夏が終わりに近づくこの季節。
一護は無意識に、俺より先に年を重ねたのだと大人ぶってみせる。
それは、普段は押し隠してる俺の不安を暴く。
俺たちの夏は、一護の誕生日を皮切りに訪れ、そして俺の誕生日を境に終わるのだ。
その短い時間、俺たちの時間が交叉する。
年を重ねるたびに、一護は俺に近づいたと喜ぶ。
一方で、既に死を通り過ぎた俺にとっては、誕生日は更なる通過点に過ぎず、その意味も軽い。
変化しつづける時を生きる一護は、近い未来に俺を追い越していく。
その時俺は、一人、夏に残される。
駆け抜けていく子供の背中を見送りながら、
いつまでも鳴き続ける蝉の声に耳を塞ぎ、項垂れているんだ。
俺は、そんな自分がいやだった。
俺たちの間に厳然として横たわるそのズレもいやだった。
だからまた、眼を逸らした。
「マジですまなかった」
「…別に」
一護は振り返り、俺の眼を真正面から見上げてきた。
そして、
「分かったんだったら、もうイイ」
と腕組みをして、ふんぞり返ってみせる。
まだ眼の端っこには光るものがあるというのに、この不遜な顔つき。
度を過ぎた意地っ張りとはいえ、子供の変わり身の早さには付いていけない。
「…つか俺。俺、テメエが誕生日とか全然、気にしてねえの、知ってたし」
「へ…?」
「意味、ねえんだろうなーと思って。死神とかやっぱ、えっれぇ年寄りだし」
「ああ、まあ確かに…」
まあでもそれは個人個人で違うし、中には盛大に祝うやつもいる。
「だからさ! 盛大に祝ってやりてえじゃん、たまにはさ!」
「は?」
つか、何、無理やり元気な声、出してんだか。
「せっかく現世に来てんだ。まあテメエにしてみりゃバカみてえかもしんねえけどな」
「いや、バカってことは…」
口にしてから、しまったと思った。
「そっか? じゃあせっかくだし、今日、祝おうぜ!」
案の定、してやったりとばかりに一護は笑顔になった。
「へ…?」
「ちょっと俺、頼んでたプレゼントとってくるから、テメエは義骸に入って待ってろ」
「あ?!」
「なんかウマイもん、遊子に作ってもらおうぜ。材料買ってくるし!」
「は?!」
「もちろん泊まって行くんだろ? 約束、反故にしたんだからそれぐらいいいよな?」
「あ、ああ…」
あまりの成り行きに毒気を抜かれて呆然としてると、
あ、そうだと一護が手を打った。
「なあ。じゃあ俺が行くってのはどうなんだ」
「は・・・?」
「テメエが来れなきゃ、俺が行きゃあいいだけの話だろ?」
「わざわざ尸魂界までか…?」
「んだよ、迷惑なのかよ。つかなんか虚退治とか行く予定なのか? なら俺も連れてけ!」
「…カンベンしてくれよ」
思いっきり弱気な答えに、一護は「ははッ」と軽快に笑い、「よし決まった」と勝手に結論付けた。
今泣いたカラスのなんとやらってのはこういうことなんだろうと、何だか無性に笑い飛ばしたくなった。
スッキリしたツラの一護がカーテンと窓を開けると、存外、涼しい風が吹き込んできた。
予想していたより日差しも柔らかくなっている。
空に掛かる雲も薄い。
夏が終わるのだ。
「なー、見てみろよ。いい天気だぜ!」
窓から顔を突き出して空を見上げた一護の頬に、汗が伝い落ちた。
半端に閉じられただけのシャツは、はたはたと風に煽られている。
振り向いたその目は夏の子供に相応しく、強く強く輝いている。
その眩しさに俺は眼を細めた。
いい夏だった、と思った。
(終)
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