恋をするように

 

煩せえ黙れと自分の父親に怒鳴りながら、一護が花火に火をつけた。
周囲で妹達がああだこうだと大騒ぎ。
一護以外の皆が浴衣に着替え、楽しもうとやる気満々。

くつりと苦笑が零れる。
だってほら。
一護が、雲の切れ具合を気にするようなことを口にしながら、
屋根の上に陣取った俺を見上げてきている。

こっちじゃねえだろ、バカ一護。
曇ってきているのはまるで反対方向。
不安そうな顔してんじゃねえ。

俺の背中を月光が照らしつけている。
だから陰って、一護に俺の表情は見えない。
待ちぼうけをくらって俺が怒っていると思い込んでいるのかもしれない。

上から見下ろすと、地上で繰り広げられる家族の団欒ってやつは全く楽しげ。
一護の誕生日祝いじゃなかったのか?

ケーキとか花火とかスイカ割とか、ありとあらゆる夏の行事をてんこ盛り。
いつの間にか近所や通りすがりまで巻き込んで、まさに祭。
苦労して抜け出てきたのが無駄になったと肩透かしをくらった気分だったが、
こんなんが見れるんだったらそれはそれでいい。

祭は好きだ。
見るのも参加するのも。

ピューッと花火が鼻先を掠めて天へ駆け上り、ぱあんと光と音が弾けた。

 

夏は祭、そして花火。

傍若無人に光と振動を叩き付けておきながら、一瞬の後に砕け散る。
花火の傘の下、熱気が満ちて夕闇を押しのける。
やがて祭そのものが光となり、世界を支配下に置く。
人々は踊り狂い、叫び倒して狂乱の時を貪り食う。
身の内が震え、時を忘れるその一瞬。 

けれど、どんなに夢中になっても、どんなに惜しんでも、いつか祭は終わる。
跡形も無く、容赦なく。
だから、それを知っている大人は祭に執着する。 

飛び散る汗も、弾け跳ぶ光も、
ざわめきも、笑い声も、泣き声も、
屋台と火薬と人いきれが混じった匂いも、
ワタアメの粘つく柔らかさも、転んでぶつけて血がにじんだ膝も、
舌を痺らせ鼻の根を痛めつけたカキ氷の冷たさも、

汗で滑った繋いだ手のことも、何もかも忘れないようにと記憶と身体に刻み込んで、
いつでも再生して飴玉のように思い出とその官能をしゃぶろうと、やがて訪れる終焉のときに備えている。

だから祭が終わっても、
残像が焼きついた眼は何も映さず、
耳はざわめきを返すだけ。
祭の余韻を嗅当てようと鼻は蠢き、
指は記憶の輪郭を知れず辿る。

舌に残る味に唾が湧き、口を満たして喉が鳴る。

 

やがて人々は帰途に着く。
祭の余韻に身を浸しながら、振り返り振り返り、日常へと戻る。
次の祭があるのだと自分に言い聞かせながら。

それは浅い大人の知恵。
明日をも知れぬ日常を生き抜くための狡猾な自我。

 

けれど子供達はそうはいかない。
そんな知恵はない。 

祭の跡地に佇む自分を知って、呆然とする。
見下ろせば地にはゴミが散乱し、見上げれば闇に煙が漂う。
紛れもなくその時間はあったのだけれども、今は昔。
光と音に熱気に満ちたあの世界に戻りたいと、切なく泣き叫ぶのだ。
親が宥めるのをどこか遠くに聞きながら。 

だがそれを繰り返すうちに、子供は学ぶ。
永遠に続くものなどない。
終わるからこそ、祭なのだと。
 
子供達は毎年少しづつ大人に近づき、やがて恋をする。
出会っては別れ、始めては終り、熱情と悲嘆を身体で覚え、そして終に知るのだ。
終わるからこそ恋なのだと。
 
そして大人になった子供達は、伴侶を得て恋を捨てる。
激情に身を任すのを恐れるようになる。
だから代わりに祭に、身を投じるのだ。
まるで恋をするように。

終わりを惜しんで泣くのは今じゃなくていい。
どう足掻いても終わりはくるのだ。
運がよければまた始まるのだ。
だから今、祭を楽しめばいい。

やがて子を為したかつての子供達は、
祭の終わりを理解できずに泣き叫ぶ我が子を見て懐かしく思うだろう。
祭を惜しんで泣いた子供の頃の自分も、恋の終わりに張り裂けそうになった胸の痛みも。
そして、今しばらく子供であれと我が子らに願う。
終焉を惜しんで泣けるその素直さに嫉妬しながらも。

 

ぽつ、と雨粒が頬を打ち、我に戻った。

 

ここぞとばかりバカ騒ぎを終わらせようと、一護が躍起になって騒いでいるのが聞こえる。
せっかくの誕生日なんだし祭りだし。
テメーを楽しませようとテメーの家族が一生懸命準備したんだろ。
もうちょっと感謝しろ。もっと楽しめ。
俺は逃げはしない。

けれどアイツは子供と大人の間にいるから、何よりも不安定。
子供の熱情と大人の不安が綯交ぜになって混乱のど真ん中に突っ立っている。
終わりの到来を動物のように嗅ぎ取ってしまうから、
今この瞬間こそが全てだと全身全霊を込めてくる。
 
妹達はともかく、オヤジさんはこの誕生日を、
過ぎ去って二度と戻らないこの時を祝いたいだろうに。
年ならばむしろオヤジさんに近いであろう俺は苦笑した。
いっそ近くにいって殴りつけて帰ってやろうか。

でも生憎、俺の身体は根が生えたように屋根瓦にへばりついたまま。
子供の焦りを見ていると、何やらくすぐったくてたまらない。
悪い気はしない。

 
自分勝手な理由で居残りを決め込んだ俺は、
 ごろり、と屋根に転がって、一護の視界から消え去った。
地上からの光を反射して、白く霞んでいるうす雲。
ただでさえ尸魂界のそれとは比べ物にならないぐらいのぼやけた星々だというのに。
目隠しをされているような不快さ。
何かが胸の奥に隠れているような、このじれったさ。

 
結局、雨は小粒ながら降り出し、地上の人々が大騒ぎしだした。
そして蜘蛛の子を散らすように去っていく。
どしゃ降りなわけでもないのに、びしょ濡れになりたくないと、転ばぬ先の杖。

ほら、そんなもんだ。
ちょっとしたことで、人は離れる。
ねぐらへと、安定した日常へと帰る。

祭がいいのは、終わりがあるからだ。
終わって、穏やかな日常が、安寧が戻ってくるからだ。
そう言い聞かせて価値の転換を計り、祭りの終わりを惜しむ自分を否定する。
むしろそれこそが自分の真に望んでいたことだと自分を騙し、
感情のふり幅をなるべく小さくしようと用心する。
強制的に突然終わられるより、自分の手で終わらせた方が楽だから。
だから全身全霊を祭りにかけているくせに、同時に終わる準備をし、予防線を張っている。
そして俺もそんな大人の一人。

 
 
「おい、やっぱ怒ってるのかよ」

不意に背後から話しかけられ、どくり、と心臓が高鳴った。
雨の夜空に、一護が突っ立っていた。
 
「今日は誕生日なんで、家族行事外せなくって。 だからどうしても抜け出せなくて。・・・・・ゴメン」

そっぽ向いて謝る一護に、平静なフリをしながら返す。

「家族はいいのかよ。せっかく祝ってくれてんだろ?」
「いいんだよ、どうせいつもああなんだから」

いつも、と言い切るのか。
明日も来年も、その先の未来もあると信じているのか。 

やっぱりオマエはまだまだ子供だ。
明日を、足元を疑いなく信じてかかり、その率直さで周囲の大人を不安にする。
この一瞬は二度と帰らないというのに。
人間のオマエの寿命など、無きに等しいというのに。
ましてや闘いの毎日。
明日の保障さえ、無い。

 

一護が死んだら。
魂の欠片も無く消えてしまったら、俺はどうするんだろう。

きっと残像の波に飲まれて眼は何も映さず、
耳は自身の鼓動を返すだけ。
失った獲物を嗅当てようと鼻は蠢き、
指は記憶のなかの輪郭を辿る。
舌さえもあの滴りを探し当てようと宙に彷徨い出るに違いない。

そう思い至った途端、足元がふらつき重力を失った気がした。
ぐらりと眩暈がする。

 

「おい、どうしたよ。まだ怒ってんのかよ」 

不貞腐れた声に我を取り戻せば、泣き出しそうな子供が突っ立っている。
慰めてやらなきゃなと思うけど、上手く言葉も出てこない。
大人のはずなのに。


 
結局のところ、俺も子供なのか。
日常なんてもんに戻れないほど、この瞬間に、この高揚感に魅せられている。
もう予防線も常識も知恵も経験も、何も効きやしない。
まるで祭りに恋する子供のように、この想いに全身全霊を浸している。
終わることなんて想像できない、したくもない。

けれどそう自覚した瞬間、終わりを惜しんで胸が痛んだ。
そして顔に浮かんだのは苦笑。
大人の仮面が俺の中身を庇うように、反射的に再び顔を覆っていた。
いつもどおりの拗ねた一護の表情を認め、自分の狡猾さに感謝した。

そしてこの腕に抱きしめる刹那。
いつまでもこの時が続くといい。
求め願わずにはいられない。
幼子のように。



2007.7.15 一護誕生日。一恋祭寄稿。 <<back