悲しみは悲しみで打ち消せ。
苦しみは苦しみで叩き潰せ。
出来ぬというのならその罪に名と形を与えよう。

それを墨(ぼく)という。



 矛盾  恋次 - the sin -



巷に雨の降る如く、一護の心に悲しみが降り注ぐ。
流れ込む先を知らず、淀み渦巻き、底無き底を深く穿つ。

縋りつくわけでもなく、ただ背を丸めて、一護は俺の胸に頭を押し付けた。
強く握り締められて白くなった拳が、自身の脚に押し付けられている。
涙さえ出ない、慟哭。
手の平の傷から血がじわじわと流れ出している。
その血は一護の服を赤く染め上げたあと、
俺の死覇装に伝い落ち、更に濃く、闇の漆黒に染め上げていく。

歪んでいく悲しみ。
押し込めば腹の奥底で淀み腐り、ふつふつと泡のごとく湧く。
表面に出せば、自我を侵食していく。
行く果ては俺と同じか、闇に巣食う鬼となるか、共に。

恐ろしい速さで変わりゆく子供。人間。
その強靭さ。
立ち止まる、あるいは足元を見る代わりに前へと進み、全てを吹き飛ばしてしまった。
俺の脆弱ささえも。
そのオマエなら、闘い切り抜いて闇を裂き、雨の音をもいつか消してしまえるかもしれない。
そう願う。
だが、それは俺の、俺自身のための願い。
オマエが強くあれば、俺も強く在れる、今此処にいる意味を持つ。

今のオマエはちっぽけな子供。
母親を恋い慕い泣く。悔恨に悩まされて自らを傷つける。
今まで闘い抜いてきたその意志と力は、あるいは唯の代償行為か。
だとすれば、なんという悔恨を背負って歩いてきたんだ?

腕の中の小さくなった身体を引き寄せる。
抵抗はない。

止む筈のない雨を止めるか、それとも雨に身を任せるか。
俺は何をコイツに願う?
更なる高みか。あるいは手に手をとっての闇か、引き摺り下ろすか。
絶対的に俺を信頼し、寄りかかってくる子供。
今なら俺が選べる。

“立ち直るその前に誘い込め。一人より二人。心地よいぞ。ゆるりと愉しめ“

囁き声が聞こえる。己自身のその声。
温い闇の中に一護を取り込むというその幻。
想像しただけで身が震えるような快感を引き起こす。

だが、聞こえぬはずの一護の雨音が鼓膜に届く。
それは幻想。
理解していると、共感していると、共振していると思うその愚かさ。
それでもそれに縋らずには生きていけない、この矛盾。

俺の手は永遠に届くことはない。もう終わったこと。
だが一護。オマエはまだ間に合う。

此方には来るな、去れ、今すぐに。
此方に来い、そして共に堕ちよう。

どちらも本音だ、心の底からの。
選べない、その矛盾。

そして腕の中には、涙の代わりに血を流して泣く子供。
自分のために流す涙はすでに枯れたか、その年で。
オマエはいつも他人のためにだけ怒り、戦い、そして泣く。

オマエの母親を食ったという虚。
その虚を消すことが出来ていればよかったのに。俺達、死神の責任だ。すまない。

だが、あらぬ考えが心を過ぎる。
もしその虚が死していれば、オマエは英雄となることはなかっただろう。
いくら潜在的な霊力が強かったとはいえ、オマエをここまで動かすのは紛れもなく、内に抱える負の感情。
もし俺はこいつの苦しみを知っていたとして、その虚を消せただろうか。

わからない。

でもこいつが居なければルキアが捕らわれることもなく、俺の日常も堕ちたまま平安だったろう。
それでもコイツに会わない未来を選択できただろうか。

わからない。

だがオマエがいないという生。
俺はそれを選べるか。

選べない。

オマエがいくら苦しむと知っていても、その生だけは選べない、もう知ってしまったから。
共に歩むという儚い夢。幻想。腕の中の子供。
滅多に見せない年齢以下の姿が俺を支配する。
ああ、そうだ。当の昔に俺は虜囚となっていたんだ。
この子供に。

では俺が泣こう。
オマエのために俺が涙を流そう。
いつかオマエが俺のために泣いてくれたように、その苦しみも悲しみも全てを俺が負ってしまおう。
それでオマエが前に進めるのなら。

いつかオマエが訊いた愚にも付かぬ問い。ルキアとならどちらを選ぶか。
嘘の言葉は与えられない。
だが命でよければ喜んでくれてやろう。それでオマエが前に進めるのなら。

だから俺は一護に囁く。

知ってるか。額に入れる刺青は刑罰なんだ。墨(ぼく)という廃れた風習だ。
俺は罪人だ。
ルキアをおいて一人で歩き出した、手を離した、強くなれなかった。
それは今も変わりない。一度堕ちたら、その咎は消えることがない。
死んでも、腐っても、例え魂さえ死して輪廻の輪の外に消えたとしても。

だからこの罪の印。オマエにもそれを分けよう。
罪はその身体で贖え。
己の無力を罪というならば、その印を負って生きろ。そして前へ進め。
止まった時が死すときだ。罪も償えない、オマエはそれでいいのか。
死んだら誰も救えない、役に立たない、死人を増やす、それでいいのか?

一護が眼を上げる。
負けず嫌いの眼が輝く。

それでいい。

そして額を合わせる。
手も合わせる。
悲しみが奔流を為し、
額に刻まれた罪と、掌に伝う血を通して互いに流れ込む、混ざり合う。

オマエが闘うというのなら、俺も命を賭して共に進もう。
信頼とそれを呼べばいい、あるいは恩義とでも恋とでも。
真実も名もそれぞれ異なるが、指すものは同一。

それは幻想。
哀しいほどの勘違いを糧にして、俺達は共に歩む。




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