爪 -後編-
熟睡する一護を布団に残し、そっと部屋を忍び出ると外は一面の白。
初雪だった。
道理で昨夜は音が消えたはず。縁側には薄く雪が積もっている。
それを軽く払いのけて、恋次は腰を下ろした。
寄りかかる柱まで冷たいが、むしろ頭を冷やすには丁度良いぐらいだった。
持ち出した煙管に刻み煙草を詰め、火をつける。
眠れなかった。
悔恨と思わぬ記憶に悩まされて。
一護があんなふうに嫉妬をあからさまにするとは思わなかった。
ただでさえ雨が降って、余裕無さそうだったというのに。
やり慣れねーこと、するもんじゃねぇ。
優しくしてやりたくて、爪を切ってやってこのザマだ。
あんな形でルキアの名前を出すべきではなかった。気にしているのは、知っていたというのに。
しかも現世でのことなんか不意に思い出して、自分のほうだってもうグラグラ。
迂闊もいいところ。
子供にあんなに気を使わせるなんて。
ああいう雨の日は思いっきりやって、忘れたかったろうに。
つーか、逆に労わられてどうするよ。俺のほうがガキじゃねーか。
いい加減、ちゃんとオトナになれよ、俺。
吸いもしないうちに、煙草は燃えきっていてしまった。
恋次はいらただしげに煙管をカツンと縁側の縁で叩き、刻み煙草を落とす。
それは積もった雪に落ちて穴を開け、じゅっと水煙を上げた。
煙草を詰めなおし、火をつける。思いっきり吸って、肺がキリリとあげる悲鳴を堪能した。
雪を見ながらの煙草は悪くない、と恋次は思う。
紫煙が凍った空気を溶かしていくようで、きれいだ。
煙草の引き起こす痺れが、苦い悔恨を薄めてくれるのもいい。
もちろんそれは、一護が起きてくるまでの短い間だけど。
恋次はただ煙草を吸い続ける。
突然の冬の訪れに、まだ落ち切れていない紅葉が枝にくっついたまま。
雪の縁取りで、色鮮やかに秋の最後を飾る。
これも数日中には全て散ってしまうだろう。
後は一面の白になるだろう。
冬が来る。
「・・・よぉ、何してんだテメー」
音も無く障子が開いて、一護が出てきた。
煙草と紅葉に気をとられていた恋次は少し驚き、振り向いた。
いつもボサボサのオレンジ頭が更に凄いことになっている。
「よぉ。よく寝たか」
「おかげさんで。しかし冷えるなー。・・・おい!雪、すげーな」
恋次の横に一旦は腰を下ろしかけた一護は、次の瞬間、雪の中に飛び出していった。
「うっひゃー、冷てーえ!!」
思わぬガキくさい行動。
コイツはわかっているんだ、自分が子供だったってことが。
嫉妬したのも、それを口に出したのも、果ては俺のことをちゃんと慰められなかったこととかも責任感じて、
それで俺に忘れさせようとしてわざと子供らしく振舞う。
全く、ガキ臭いこって。
そこをサラッと流せないところが余計に子供だってんだよ。
先刻までの自分のことは棚に上げて恋次は思う。
しょーがねーな。付き合ってやるか。
後を追って雪の中に飛び込む。
ところが滑ってガツンと転び、後頭部打ってクラクラする。見かけと違って案外雪は浅い。
なんで雪なのにこんなに固いんだ?
己の無様さにボーゼンと転がったままの恋次を一護が覗き込んできた。
「アホか。昨日の雨で地面、凍ってて、その上に雪が積もってんだよ。それぐらい確かめろ、このガキ」
「・・・・ガキにガキって言われたかねーよ」
恋次は素直に挑発に乗ってやる。
にやり、と笑った一護は手を差し伸ばしてきた。
「大丈夫か」
「おう」
差し伸ばされた手を掴んで、立ち上がる代わりに自分のほうに引き寄せる。
一護は案外素直に従って、その顔が恋次の寄せられる。
思いがけず冷え切った恋次の唇に戸惑った一護だが、それなら自分が暖めてやる、とそのまま口付けた。
触れるだけのとは違って、舌を絡めるような深い口付けはいろんなコトを教えてくれる。
ずいぶん長く外に居て、恋次の体は冷え切っていること。
さっきまで煙草を吸っていたこと。それもかなり強いやつ。
冷たい唇とは裏腹に、口の中も舌も火傷しそうなぐらい熱いこと。
あとはなんかゴチャゴチャした感情。ソイツの正体は曖昧すぎてわからないけど、どこか戸惑いが伝わってくる。
しばらくの後、一護はゆっくりと身体を起した。
紅い髪が雪の上広がって、まるで血みたいに見えた。
目を瞑っているからまるで死んだように見えて、先ほどまで口付けを交わしていたというのに不安になる。
その空気を読み取ったかのように恋次が目を開けた。紅い虹彩が現れる。
「おい、見てみろよ。きれーだぜ」
その声に空を見上げると、一面の青。
まだ残っていた紅葉が、晴れ上がった青空に映える。
でも下を見ると、真白の雪の上の恋次そのものが更に鮮やかだ。
「・・・さむい。それにオマエ、重い」
雪の中に寝転がったままの恋次が鬱陶しそうにつぶやく。
「ったりめーだ。さっさと起きて部屋に戻りやがれ」
一護は、今度こそちゃんと手を引いて起してやった。
恋次の背中は、というか体全部が雪に塗れて冷え切っていた。
縁側に駆け込むのを待って、恋次の服を剥ぎ取り、布団に蹴りこむ。
「昨日からヒトのこと蹴りすぎだ、このやろー」
不満げな死神は、それでも布団にもぐりこむ。
「文句は却下。さっさと布団に入れ」
何でこの部屋は暖房がないんだ、と一護はぶつぶつ文句を言いながら、
自分の分の布団も恋次の上にかける。
横にしゃがみ込み、ぽふぽふと布団を叩いてやった。
「あったかくなってきたか?」
「・・・・おかげさんで。つーかオマエ、元気だなぁ」
「ったりめーだ。若いからな」
「へーへー、そーっすか。 いやマジ、冷え切っちまった。年寄りは寝る」
ところが一護も濡れた寝巻きと下着、全部取って素っ裸で布団にもぐりこんでくる。
「うわっ、テメーのほうが冷てーー!出て行け!」
「やーだーねー」
押しても引いてもひたりとくっついてくる一護の体。
どうせ冷たいのならいっそ、と恋次は一護の身体を抱きこむ。
じわじわと芯から伝わってくる熱が互いを暖める。
さー寝るか。
寝かせねーよ。
オイ、雨天順延じゃねーのかよ。
雪だから決行だ。
・・・やっぱテメーの理屈はわかんねー。
あったまるんだったら人肌が一番だろ?
まーな。・・・てめーんとこは、雪降らねーのか。
んー、降るけどこんなんじゃねーし、遊ぶんだったらガッコーとか川っぺりとかな。
へー。
でもアレはきれいだぜ。電線の上に積もった雪。普段真っ直ぐな黒い線が白くなってたわむんだ。
ふーん、そーだっけな。こっちにはあれほど電線ないからな。
結構好きなんだ。今度見に来いよ。
そうだな。今度な。
身体を探りあいながら、くだらない睦言が続く。
昨夜逃した時間を埋めるように紡がれる言葉が、過ごした時の違いさえ埋めていく。
外は雪。
ただ沈黙が積もる。
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