One way, the long way



薄墨が世界を淡く包みだすその時刻、逢魔が時。
光とも闇ともつかぬ空を背に、恋次は地上を見下ろしていた。

高所から地上を見下ろすのはある種の優越感をもたらす。
地面にへばりつく全ての建造物、蠢く機械の群れ、急ぐ人間たち。
ましてや此処が現世とあれば、全て馬鹿げて見えるから不思議なものだ。
地面に降り立てさえすれば、砂の一粒さえ等身大に感じられるというのに。
たかだか数十メートルの距離。

そしてその真下。
恋次の気配を察した一護が、真上を見上げた。

建築現場。
既に高すぎるほど高くなった建造物を更に高く伸ばすため、頂に設置された鉄の骨組みが天を突く。
日中は白と赤に塗られたその色彩も、このうす暗がりの中では唯の明暗。
航空物に警告する光が明滅する。
その対象に航空機以外の飛行物、たとえば死神などは入るのだろうか。
バカげた問いに一護は自嘲を漏らし、恋次の様子に思考を戻した。

とっくの昔に虚は倒した。恋次の方も終わったはずだ。
それなのに、何で降りてこない?

理由を考える代わり、一護は鉄塔の先端、一番天に近いところまで駆け上がっていった。
迷いもせず、真っ直ぐに最短距離をとる。

その気配を察した恋次は思った。
まるで天馬のようだ。力の限り駆けて、駆け抜けて、やがて滅びる。
それが一護の選んだ生き方だとしても、好ましく思っているとしても、先にあるのは自滅。
力があるからこそ、勝ち続けてきたからこそ認められぬ後退。
決して引くことを知らぬ、許されぬ。
己一人ならばまだいいだろう。だがそんな生き方は否応なく周囲を巻き込む。
そしてルキアも恋次自身さえも既にその内にあるというのは、否定できない現実。

一護の気配が真後ろに出現した。

「・・・よぉ、何か見えるのか」
「ああ、赤い光の蛇だ」

意外な応えに一護は言葉に詰まった。
なるほど。地上をうねるテールランプの線は蛇に見えないこともない。
だがあまりにも毒を含んだ言葉。

「オマエ、まだ現世を嫌いなのか」
「別に嫌いじゃねーぜ?」
「でも空気が合わないって言ってたじゃねーか」
「・・・そんな昔のこと覚えていたのか」

一拍置いて一護が応えた。

「・・・ワリィかよ」
「悪かねーよ」

拗ねた雰囲気を察して、恋次が振り向いて繰り返した。

「別に嫌いじゃねーぜ?」
「ふーん。じゃ、好きなのかよ?」
「別に好きでもねーぜ?」
「なんだ、それ。好きなものとかねーのかよ、コッチには」

恋次がまた視線を地上に戻し、ゆったりと動く赤い光の線を指差した。

「あれ、好きだな。赤い蛇。キレイだ。
 この鉄の塔も夜は好きだ。色が消えて余計な血肉がついてなくて嫌味がない。」
「なんか蛇尾丸みたいだな」

恋次の口元が笑みの形に歪んだ。

「確かにな。好きだからこそ俺の斬魄刀はああいう形を取るのかもな」
「他にはねーのかよ」
「そーだなぁ。たまにだったらあの雑踏や混雑もいいな。おもしれぇ。そうだな、あとは・・・」

ふと恋次が横を見ると、真剣に自分を見上げてくる一護の目にぶつかった。
だが、直にふいと逸らされた。

一瞬見えたあの目の色。
迷い、か?
飛ぶように駆けていても、迷っているのか。わかっているのか?
そうかもしれないな。
だがそこからの脱出法がわからない、といったところか。
でもそれは誰も教えてやれない。迷いながらでも自分で探すしかない。
成功するにしても、失敗するにしても。
たとえどんな犠牲を払うとしても、ツケを先に廻すわけには行かない。
闘いが待ってる今は。

恋次は一護の視線の先に目を向けた。

そこに広がるのは、白と赤に輝く蛇がうねる地上。
人の、生物の命が溢れている。
これを護るため、一護は闘わなければいけない。
たとえその重責を自分ひとりで負っていると勘違いしてるとしても、信じている限り一護にとっては真実。
俺は、干渉できない。俺の真実はあまりにも異なっているから。

恋次に視線を戻した一護の眼に映り込むのは、灯を受けて明滅する恋次自身の顔。
何か言いたげに揺れる眼も、普段オレンジに明るく輝く髪も、光と共に色を失っている。
その眼に、切羽詰った何かがゆらりと姿を見せる。
それを嫌って恋次は、敢えてざっくばらんな口調で話を先に進めた。

「ここからの眺めは好きだな」
「・・・そうか」

同じく地上を見遣った一護の横顔を盗み見ながら恋次は思った。

多分一護は俺に、自分が関わる何かを好きだと言って欲しいのだろう。
甘い言葉でなくてもいい。
ただ、自分が俺の中に存在するという証拠のカケラみたいなものさえ見せれば、
例えウソだと知っていてもそれを信じて、ひたむきに前に進んでいくのだろう。
不安を押し殺し、大丈夫だと強くなれと自分に言い聞かせ、前に進む。その過酷さ。
かつての仲間達も、強大化した己の力と比べると背を預けるには能わないという現実。
しかし肝心の己の力も、敵に比べれば信じられるほどではない、でも認めるわけにはいかない。
だからこそ「俺」という存在、背を預けられるという安心感を求めるのか。
買いかぶりもいいところだ。
だがオマエを待つ過酷な運命を思うと、胸の内を告白して逃げるわけには行かない、
オマエに全部負わせるわけには行かない。
だからオマエの求める言葉をやろう。
ウソではない、俺にとっての真実の言葉を。

「オマエがあそこに居るときはもっと好きだ」

予想してなかった率直な言葉に、一護は驚いて恋次を見た。
恋次はその視線を受け流し、笑むことなく地上を見下ろした。

「オマエがあそこに居るときは、俺にとってもっと意味がある、ってことだ」
「・・・意味?」
「ああ」

意味はあるものではない。見つけるものだ。

「・・・なんか、てめーの言うことは時々訳わかんねー」
「そうか?」
「もーさっぱりだ」

そして一護は消え入りそうな声で、俺は単純にてめーのことが好きなんだけどな、続けた。
だからその単純が怖いんんだよ、と思いながらも恋次は、
「わりーな、オトナはそう単純じゃいられねーんだよ」
と応えた。

鉄塔の上、風が吹き抜け、体温を奪い去っていく。
温めあうことも知らない二人はただ風に身体をまかせ、家路へ急ぐ車の群れを眺めていた。
それが壊されないことを、あるいは護り抜けることを祈りながら。



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