「…ッ?」
「いいから!」
なんだよ、これ。
なんで殴り返してこねえんだよ。
どうしてそんなツラしてんだよ。
こんな一護は知らない。
それに何だよ、この胸、この腕。
なんで俺のほうがこんなに簡単に抱きこまれてんだよ。
こんなん、俺の一護じゃねえ。
「クソッ、離せッ!!!」
「誰が離すか」
「離せっつってんだろッ」
「うがッ!!」
「ほーら見てみろ。直ぐに離したじゃねえか」
ぜえぜえと息を切らしてる自分のことは棚に上げて、俺は一護から悠然と距離を取った。
これで簡単に近づけねえだろ。
ざまあみやがれ。
思いっきり睨みつけると、
「オマエな…」
と一護は髪をかき上げ、額が全開になった。
頭突きを食らわせたところが赤くなってる。
それを笑おうとしてそのまま、あ、と俺は小さく口を開けてしまった。
だって昔なら額をあんなふうに出したらすごくアンバランスで、かえって子供っぽくなってた。
自覚があったんだろう、一護本人も絶対、見せないようにしてた。
それが今はどうだ。
骨格が発達したせいか、一護は一護のままなのに、すごく自然だ。
いつの間にこんなに男の顔になってしまってたんだろう。
俺はすっかり混乱してしまった。
一護はそんな俺をじっと観てたが、肩で大きく息をついた。
そしてあろうことか、手を差し出してきた。
「…んだよ、その手?! やる気か!」
俺は気を取り直し、一護の不意打ちに備えて構えを取った。
でも一護は手を動かさない。
「いいから」
「…って何が!」
「いいからコッチへ来いって」
「んだと、何ふざけてんだテメエ!」
「つか俺が近づいても殴られるのがオチだろ。じゃあテメーが来い」
「…?!」
ブチっと頭のどこかで何かがキレる音がした気がした。
ギリリと歯軋りをした俺に、だけど一護は酷く困った様子で小首を傾げる。
「…なあ、恋次。俺、オマエを怒らせてえ訳じゃねえんだ」
「じゃなかったら何だってんだよ!」
「泣かせてえ訳でもねえし、困らせてえ訳でもねえ」
「はぁ? 寝言ホザいてんじゃねえぞ!」
「あーもう…。どうしたら伝わるんだ?」
一護は明後日の方向を向いて、ガシガシと頭を掻いた。
そしてそのまま腕組みし、固まってしまった。
うんともすんとも言わず、硬く眼を瞑って黙り込んでしまった。
そうなると逆に、置いてきぼりをくらったような理不尽な気持ちになる。
さっきまでの怒りが、不安へと形を変える。
「…一護?」
「…」
「…なあ、オイ。一護!」
「うっせえ。ちょっと考え事してんだ。黙ってろ」
「んだと?!」
俺の剣幕に片目だけ開けた一護は、今度はホレと両手を出してきた。
「…?」
何かあるのかと、つい釣られてその手を取ると、そのまままた抱き込まれた。
「…おぎゃッ!!!」
「やっぱ恋次だよなあ」
単純すぎるぜと、一護はさも愉快そうにくつくつと身体を揺らす。
「何がッ! つか離せッ!」
「まあいいからちょっと聞けよ」
「だったら離せ! こんな体勢で聞けるかッ!!!」
「あーもう、煩せぇなあ。いい年した死神なんだから少しは落ち着けよ」
「そういう問題じゃねえだろッ! つかテメエのその物言いが神経を逆撫ですんじゃねえか!」
「また俺のせいかよ」
「そうじゃねえだろッ!!」
「あ…。いややっぱり俺のせいかも…」
「…はぁ?」
このバカ何を言ってるんだと見上げると、一護は眉間の皺を深くしてひとつ頷いた。
「うん。やっぱ俺のせいだと思う」
「何が! 俺はテメエが何を言ってるのかさっぱり分からねえ! つかテメエのこともさっぱり分からねえ!!」
「いや、その点については俺も期待してねえから大丈夫だ」
「んだとコラァッ!!」
もはや何がどうなってこんな押し問答をこんな体勢で繰り広げてるのか分からない。
けどとにかく負けてられない、苛付きが抑えられない。
なのに一護は落ち着いたもんだった。
「つかさ。俺が間違ってたんだと思ってさ」などと、背に流れた俺の髪を梳いてくる。
そして、ああもうこんなにぐしゃぐしゃにしやがってと文句を垂れる。
なのに要所要所を押さえられて、全く体勢を整えられない。
身動きができない。
「う…、煩っせえ! こりゃあ俺の髪だろ。俺の勝手にして何が悪りィ!」
「だって勿体ねえだろ。つかコレもおれのせいなのか? うー…」
「あァ? だからさっきから何の話をしてんだ! 俺の髪だの何だのって、テメーにゃ関係ねえだろ!」
「関係ないわけねえだろ、恋次のことなんだから。
つか俺、恋次はすっげー長生きしてるし、すっげーデカいから、すっげー大人だとずっと思ってたんだけど…」
「…だけど?」
「違ったみてえだ」
「はァ?」
「オマエ、やっぱガキだ」
「んだとッ!!」
「だって全然、成長してねえ」
思いがけない一護の台詞に、俺は大きく眼を見開いた。
一番触れたくない事実を目の前に突きつけられて、動けなくなってしまった。
「…んだよ。悪かったな」
ようやく搾り出した声は、低くしわがれてて、自分のじゃないみたいだ。
やってらんねえ。
俺は、突っぱねる腕に力を込め、ちゃんと離れようとした。
けど一護は、さらにぎゅうぎゅうと腕をきつくしてきてそれを許さない。
「いや。良かったと思って」
「…はァ?」
「だってさ。俺、これ以上ムリだし」
「あァ?」
「俺、いくら頑張っても、オマエの言うとこの大人になんかなれそうにないしよ。背だってこれ以上、伸びねえみたいだし、必死でトレーニングしても体重増えねえし」
「…一体、何の話をしてるんだ?」
そもそも何を目指しているんだ?
「まだまだ学生で甲斐性なんかねえし、そもそも人間だからテメーみてえに40年修行とかムリだし、じゃあ墨でも入れてみようかとも思ったけど、どう考えても社会不適応者になりそうだし」
「なんだその社会不適応者って!!!」
「だって現代日本だぜ、考えてもみろよ?」
「うー、まあな」
確かに最近はちらほらと墨を入れたやつも増えてるみたいだが、俺ぐらい入れてるやつには滅多に会わない。
「だろ? けどオマエ死神だからあんまそういうの関係ねえってさっき、気がついて」
「…さっき…」
「な? だから俺もガキで大丈夫なんだよな、きっと」
「は…?!」
自信満々に頷いてみせる一護に、俺は本気で眼を白黒させた。
何がなんだかさっぱり分からない。
論理の飛躍どころではない。
筋も意味も通ったもんじゃない。
「だからさ、恋次。俺はもう背伸びするのは止めにすることにしたって言ってんだよ」
「…って何の宣言だよ」
「だって俺が頑張れば頑張るだけ、テメーは遠くなるじゃねえか」
「あァ?」
「全然、うちにも来なくなったじゃねえか!」
「あ、ああ、それは…」
「…ほら、やっぱり。じゃあもう俺は元のままでいい。ガキで構わねえ」
「オマエ、もしかしてそれって唯の開き直り…」
「煩せェ。これでいいんだって言ったらいいんだ」
「…」
やっぱり俺にゃあさっぱり分からねえよ。
けど、一護はなんだかすごくスッキリしてる。
晴れ晴れとしてる。
少しだけ、あの頃の笑顔に戻ってる。
理由は分からないが、これでいいのかしれない、そもそも俺にどうできる訳もないしな。
俺も肩の力を抜き、一息ついて一護を見上げると、もう違う顔を見せていた。
少し諦めたような、それでいて笑顔のような、大人びた表情に目が眩む。
思わず俯いてその視線を避けると、ポンポンと頭を撫でられる。
チクショウ、何だよこの子ども扱いとは思うけど、やっぱり目は上げられない。
すると一護はここぞとばかりに俺を引き寄せる。
腰も肩もしっかり固定されて逃れられそうにないし、力が抜け切ってた俺は、もうムリする気にもなれない。
だから、仕向けられるまま一護の胸にまた顔を寄せる。
すると心臓の音が聞こえ出す。
とくん、とくんと、もはや懐かしくさえ感じるあの音が俺の身体の中で響きだす。
「あのさ、恋次」
「…んだよ」
「オマエさー。さっき、何でも言うこと聞いてやるって言ったじゃねえか」
「…オウ」
「アレってさ。まだ有効か?」
「…まあ、テメーの誕生日だからな」
そうだ。
おそらくこれが、こうやって一緒に過ごす最後の誕生日。
だから何か一護が望むことをと、来て直ぐに問うたが答が得られないでいた。
「何か特別な制限あるのか?」
「制限…?」
「あー、なんつか、例えば明日、あ、いや今日か。今日一日だけとか、数時間だけとか」
「はぁ? んな細けーこと考えてねーよ」
「…だよな。じゃあさ。例えば、コレは絶対ダメとかそういうのはねえのか?」
「んだよ、面倒くせえ。んなこと決めるわけねーだろ。…あ!」
「何かあるのか?」
「つか不可能なことはムリだ。無い袖は振れねえ」
「…ぷっ」
「あ、テメエ! 何噴出してんだ! 俺は真面目に答えてんだろ!」
「いや、悪りィ悪りィ。そりゃーそーだ。俺でもそりゃあムリだ」
「クソ…」
とくん、とくん。
耳を胸に押し付けると、落ち着きが戻ってくる。
そういやこの音がすごく好きだったなと、俺は耳をすます。
格好付けの一護本人より饒舌で、バカ正直なこの心臓が奏でる音が。
「あのな、恋次」
「…んだよ」
「で、俺、いろいろ考えたんだけどさ」
「んー…」
「ひとつに決めるって難しいのな」
「…そうか?」
たかが願い事ひとつ、簡単なもんじゃねえか。
そう口にしようとした瞬間、一護の心臓がどくんと跳ねた。
思わず見上げたけど、一護は俺を抱えたまま、どこか遠くを見てる。
素知らぬ顔をしている。
「…なんかさ。俺、オマエにあんな声、出させないようにしてえなって」
「…?」
「あんなふうに名前を呼ばれると、俺も辛い」
「あ…!」
さっき、夢から覚めたときに思わず一護の名を叫んだことを思い出した。
と同時にあの夢の中で味わう絶望も、それを見透かしていたような一護の眼の色も。
「あ…、アレは違うし、大体、テメーは関係ねえ!」
「どう関係ねえんだよ。俺の名前じゃねえか。俺のことだろ」
「…」
反論の余地もない。
いっそ正直に話してしまうか?
でもそんなことをしたら、一護を引き止めてしまいそうだ。
この優しすぎる男の弱みに付け込んでしまうことになる。
「なあ、恋次」
「へ…、変な夢を見たんだ! テメーが出てくる阿呆みてえな夢。それだけだ。だからテメーにゃやっぱり関係ねえ」
「…恋次」
一護の声音が変わった。
この頃では滅多に耳にすることのなくなった、深く低い声。
そして今度はゆっくりと抱き寄せられた。
「俺は、オマエがどんな夢見てるとか知らねえし、それはオマエのもんだから、俺は関係ねえとも思ってる」
とくんとくん。
一護の鼓動が速くなる。
「だけど俺は勝手なことに、オマエがそんな声をだすのがイヤなんだ」
「…」
「分かるか? 俺の名前でも、他の誰の名前でも、俺はそんなオマエの声を聞きたくねえ」
とくとくとくとく。
一護の鼓動は速さを増す。
「だからさ。俺、オマエとずっと一緒に居ようと思って」
「は…?」
「で、俺がオマエを護ってやるって」
顔を上げると、一護はバカみたいに生真面目なツラして俺を見つめてきてた癖に、じっと眼を覗き込むと、いきなり顔から火を噴いた。
「オ、オマエ、何でも一つ、願いを聞くって言ったじゃねえか!」
「…そりゃあ言ったけど…」
「そういう約束とか、…ダメか?」
ずっと一緒に居る?
オマエと俺が?
「…一護?」
「ああもうッ…!!!」
「ふごッ!」
今日、何度目になるのか、
俺はまたしても一護の胸板にきつく押し付けられた。
あまりの勢いに、今度は鼻が潰れるかと思った。
チクショウ、何しやがるんだと押しのけようとしたら、
どくどくどくどくと、やけに騒がしい一護の鼓動に気がついた。
「い…、一護…?」
「う、煩せェッ!!」
って俺、何も言ってねえじゃねえか。
なんでそんな金切り声、出してんだよ。
そっと一護の胸を押し返してみると、今度は簡単に抜け出せた。
「あのな、一護…」
「いいか! や、約束だからなッ!」
いまや顔どころか上半身全部を真っ赤にして指先を突きつけてくる一護の姿形は確かに大人のそれだったけど、中身はあの頃と寸分も変わりは無いように思えた。
一護は一護のままなんだ。
俺は、少しだけ笑って、そのまま一護を抱き寄せた。
さっきまでずいぶんと大きく見えた身体はやけにぴったりと俺の腕の中に収まった。
だから俺は、さっき一護がしたように、ぎゅぎゅっと一護を抱きしめてみた。
一護は反抗することもなく、真っ赤になったまま大人しくしていた。
そして、
「返事は」
と俯いたまま問うてきたが、
どうせ俺の代わりにこの心臓が応えてくれてるんだろと、俺は一護を抱きしめることに専念した。
一護お誕生日おめでとう! 格好付けの一護と、実はうんと甘えん坊の恋次の数年後。つまりバカップルの行く末。
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