そこに居るだけで



遅いなあ、まだかよと、ただ待つだけの時間の重さに耐え切れず、うつらうつらとしはじめた途端、ぼふっと音を立てて、横に何か重いものが落ちてきた。

「うおッ?!」

驚いて眼を開けると、そこに転がってたのは、机にかじりついてるはずの一護だった。

「テメ…、びっくりさせんな」

あまりに突然だったので、心臓がばくばくしてるというのに、当の本人は涼しい顔で、じろりと目玉だけ動かした。

「っせえ。こりゃ、俺の布団だろ」
「う…」

ぴしゃりと言い切られ、返す言葉もない。
俺に非がありすぎる。


びっくりさせてやろうと予告無しに押しかけてきてみたのは数刻も前のことだった。
いつものように照れ交じりで喜ぶかと思いきや、散々サボった後のテスト前なんだと、うんと渋い顔をされた。
だから、むっとして意地になって、無理やり居残りを決めたのだが、一護が「少し待ってろ」と困ったような笑顔で背を向けたから、さすがに申し訳なく感じて、せめて邪魔にならないようにと寝床に転っていたのだ。
でも気を散らせてしまったのかもしれない。

─── 悪いことしたな、いっそ帰ろうか。

挨拶代わりに、眼を閉じて寝転がったままの一護の髪に指を通そうとすると、
「オイ、恋次。もうちょっと奥、行けよ。俺、落ちそう」
と、見透かしていたようなタイミングで言われた。
まるで悪戯を寸前で咎められたような気がして、さっきのショックからまだ抜けない心臓がばくりともうひとつ、大きく鳴る。
それでもなんとか動揺を見せずに、
「お…、オウ」
と場所を譲ると、一護は薄く眼を開け、もぞもぞと身体を寄せてきた。
その様子が小動物みたいで、つい抱き寄せると少し様子がいつもと違った。

「ん…? オイ、テメエ、熱、あるんじゃねえか?」
「あ? ああ、そーかもなあ。ここしばらく風邪気味だったから」

一護はくしゅんとひとつ、くしゃみをし、ううと唸りながら鼻を擦った。
そういえば、少し赤くなった鼻の頭がガサガサとしてる。

「… オマエなあ。風邪だったら寝てろよ」
「うーん、そうもいかねえんだよ。明日のこのテスト落とすと、いろいろとヤバいし」
「そうなのか?」
「ああ。ここ最近、バタバタしてたからな。それに今きっちりやって、明日はぐっすり休んだほうが楽だろ」
「そうか」
「まあ、明日、ちゃんとテスト受けられるかどうかなんて分からねえんだけどな」

そう呟いて、眼を閉じたままくすりと笑いを漏らした一護の顔が、やけに寂しげに見える。

「… 一護」
「だからさ」
「ん?」
「だから、少し、休憩」
「…そうか」
「オマエも疲れてるとこ悪りィけど20分、いや10分経ったら起こしてくれ」
「そりゃ構わねえけど」
「サンキュ」

ぼふっと抱きついてきた一護の身体を抱きこむと、やっぱり熱い。
せめて熱を取ってやるかと、掌を額に当てると、
温度差にびっくりしたのか、一護が少し肩をすくめた。



また静まり返ってしまった世界でふと周囲を見渡すと、部屋の電気は当に消されていて、勉強机の電灯だけが煌々と夜を照らしてる。
皆、寝てるんだろう。
何の音もしない。
一護がちゃんと眠れるようにキリがいいところで帰ろうかとも思ったが、こんな夜に一護を一人にしておく訳にもいかない。
小さな決意をふうっと軽いため息に逃すと、一護の瞼が薄く開いた。

「んん…」
「悪りィ、起こしたか」

熱っぽい額に口付け、汗ばんだ髪に指を通すと、唸りながらも強く抱きついてきた。

「まだ10分、経ってねえからもう少し寝てろ」
と囁き、背をさすってみたが、
「いや、もう起きる」
と一護は腕を突っ張って身体を離した。
そして俺のことを半眼のまま、じっと見つめてきた。

どうしたと訊いても、何も答えない。
時計の音だけがカチカチと響く。
薄く開かれた唇は、何か言いたそうにしたまま凍りついている。

ふと、一護がとても空っぽに見えた。
一護の外側は変わらぬまま、裡にどんどん空虚が溜まってきている気がする。
どんどん子供らしい表情を失くしてきてる気がする。

─── どうしたらいいんだろう、どうやったら笑わせてやれるんだろう。

自分の無力に歯噛みすることしか出来ない。
なんて情けない。

「一護…」
「…いや、なんでもねえ」

一護が笑って見せたが、透明すぎて、俺は少し焦った。
焦りを顔に出してしまった。
マズイと思った。
だがそんな俺を目にした一護は、口元を緩め、

「…うん。もうちょっと充電させてくれ。オマエ、冷たくって気持いい」

と、額を擦り付けてきた。

だから俺は、そうか、とだけ返し、一護が早く元気になるように、このまま消えてしまわないようにと、抱き締める腕に力を込めた。



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