Underage
例え、辿り着いた先が中空でも降り立ったというのだろうかと
謎賭けのような疑問で頭をいっぱいにした俺の足元には目的の家屋。
この眺めも久々だなあとちょっとした感慨に浸りながら、
いつもの窓枠に舞い降りようとしたその瞬間、
玄関が勢いよくバタンと開いて、誰かが飛び出してきた。
ありゃあ一護じゃねえか。
丁度いい。
「オイ、いち・・・」
だが俺の声が届く前に、
「もう、お兄ちゃんってば!」
甲高い声を張り上げて、ぴょこんと玄関から一護の妹が姿を現した。
「わーってるって、買ってくりゃいいんだろっ!!!」
「お兄ちゃんのせいなんだからあったりまえでしょ、もう!!」
「ヘイヘイ」
「すぐ戻ってきてね! じゃないと夕飯に間に合わないんだから!!」
「ヘイヘイ」
「もう・・・、お兄ちゃんっ!」
妹はエプロンのまま、お玉を振り回してるが、一護は振り返りもしない。
それどころか両手をポケットに突っ込んだまま、足早にさっさと歩き去ろうとしてる。
だが、ちょっと背を丸めてるその様子は、悪さが見つかった子猫のようで、
「ぷっ・・・」
思わず笑いがこみ上げた。
「さて・・・」
枯葉を巻き込んだ風を浴びながら、
一護の家の屋根のてっぺんに陣取って一服する準備をしたところで、
周囲が冬の風情に色付いていたことに気がついた。
今にも雪を落としそうな灰色の空、
弱々しい陽光、枯れた街路樹、
厚着して足早に行過ぎる人々。
「冬、か・・・」
期せず零れ落ちた自分の言葉に、改めてその意味を知った気がした。
義骸に入っているのならともかく、魂魄の身では肌でその寒さを感じ取ることができない。
冬独特の寂寥感溢れる色合に、横殴りの風で流れていく煙草の煙。
どれもこれも現実感が薄く、遠く映像を見ている気がする。
「なんだ、ありゃ」
何の気なしに見ていた一角に、場違いなまでの華やかな色を纏った一群が見えた。
「・・・祭りか何かか? それとも正月の続きか?」
現世では洋服が主流で、伝統行事の時以外には昔ながらの着物はすっかり廃れてると聞いていた。
だがキッチリと晴れ着を纏ったその一群を筆頭に、
派手な着物に身を包んだ若い女たちが、あちらこちらから姿を現しだした。
知り合い同士なんだろうか。
声を掛け合っては明るい笑い声をさざめかせ、冬の街角を染め上げていく。
まるでそこにだけ突然、春が訪れたように。
「・・・んだ、男もいるじゃねえか」
よく見てみれば、格段に地味な色合いとはいえ、やはり晴れ着の男どももちらほらと姿を見せていた。
少年期を抜け出したばかりの細い線に象られた男たちは、女たちのようには無邪気に笑ってはいない。
だが、
その仏頂面交じりの笑顔がどこかの誰かを思い出させる。
「オイオイ、にやけてんじゃねーぞー」
誰に聞かせるともなしに冷やかしてはみても、その嬉しそうな様子に釣られてしまいそうだ。
冷えてたわけじゃねえが、こちらまで温かくなる気がする。
平和ってのはいいもんだ、本当に。
風に流れ続ける紫煙の向こうに、この街を舞台にして繰り広げられた激闘の記憶が過ぎる。
「ほんと、目出度ェなあ・・・」
そして
一護の消えた街頭に目をやると、小走りに歩き去ったその後姿が甦る。
そういえば普段着だった。
アイツは祭に行かないんだろうか。
・・・何故?
不安を打ち消せず、早々に煙草を切り上げていつも通り、一護の部屋に勝手に入り込んでみた。
相変わらずこぎれいに片付けてあって、部屋のどこにもさっきの連中みたいな晴れ着は出ていない。
本気で祭には行かないんだろうか。
だからさっき、妹たちとケンカしてたんだろうか。
もしかして今日、俺がこっちに来るって連絡入れてたせいか?
そりゃダメだろ!
俺は、腹の中がずんと重くなるのを感じた。
一護は人間だし、まだ子供なんだ。
ああいう気性だから、すぐ目の前のことでいっぱいいっぱいになっちまうが、
現世の、本当の自分のほうを優先させるべきだ。
死神代行とはいえ所詮、代行。
アイツの本分であるべきじゃねえ。
ましてや俺がいることで、一護が尸魂界寄りになったりしたら絶対ダメだ。
本当は、俺のほうから手を離すべきなんだ。
いくらアイツがそれを望まなくても。
見ないようにしていた結論を突きつけられたようで、
折りよく一護の霊圧も近く戻ってきて、
今がその時だと暗に示されてる気がして、胸が苦しくなるのを感じた。
階下から、帰宅した一護と妹との会話が聞こえだした。
「おにーちゃん、また飲んでるっ!」
「っせえな、俺が買ったんだからいいだろ!」
・・・飲む? 酒か?
「でも冷蔵庫がいっぱいになっちゃうの!」
「わかったよ、じゃあ今、全部飲みゃあいいんだろっ!」
「6本もいっぺんに飲んだらお腹壊しちゃうよぅ、もう!」
・・・6本? 一体、何の話だ?
ドスドスと威勢よく階段を登る音が聞こえ出したかと思ったら、ドアが乱暴に開けられた。
「クソッ・・・、いいじゃねえかよ少しぐらい・・・、って恋次!」
「・・・ヨウ」
「もう来れたのかよ!」
思いがけず、満面の笑み。
入ってきた時の仏頂面はどこへ行ったやら。
一瞬とはいえ、こっちが恥ずかしくなるぐらいの好意で迎えられて、なんだか立つ瀬がない。
結構長い間来れなかったし、クリスマスだの正月だの、
一護が一緒に過ごしたがってた行事なんかも何度も土壇場で反故にしちまったから、
こいつの性分だと期待しないように待ってたんだってこともよく分かってはいるんだけど、
切り出そうとしてる話の内容が内容だけに、罪悪感に似た痛みが胸を突く。
「あのな、一護・・・」
「んだよ、えらく暗れェじゃねえかよ、初っ端から」
ほら。
定番の仏頂面に戻ったとはいえ、やっぱり口元に感情を隠せてない。
いつもならそれが可愛くてからかってしまうものを、今はどうしてもそういう気になれない。
「・・・暗かねえよ、別に。つか何でテメエは祭、行かねえんだ?」
「祭・・・?」
あれだよ、と窓の外を顎で指して見せると、一護は窓際へと移動した。
すると背後に長細い箱を手にしているのが見えた。
あれは何だろう?
「ほら、晴れ着のヤツラが大勢、居るじゃねえか。テメエは行かねえのか?」
「晴れ着・・・?」
窓から外を見る一護の肩の線は、死覇装のときよりうんと細く見える。
今更ながら、まだまだ成長という名の変化の途中なのだと、
そして属する世界が違うのだと思い知らされる。
だから一護が、俺が居るから祭りなど行かないというのならば、
そのとき俺は、告げるべき言葉を口にしないといけない。
俺は、拳を強く握り締めた。
だが、
「ああ、アレかー」
と
一護は呑気な声を出し、俺の方を向いて苦笑した。
「俺にゃあ関係ねえよ」
「何で?」
「アレ、成人式だぜ? 祭じゃねえ」
「セイジン・・・シキ? なんだそりゃ?!」
俺は窓際に駆け寄った。
セイジンシキってことは、成人の儀ってことか?!
にしちゃあ、えらくガキくさい面ばっかじゃねえか?
つい、まだ16歳の一護と窓の外を行き過ぎる面々とを見比べてしまう。
「オトナになるって日。だから俺はまだまだ先」
そういって口元だけで笑ってみせる 一護の顔には、
苦難をくぐり続け、その手で勝利を掴みとってきた者独特の厳しさが垣間見えた。
よっぽどこっちのほうが「成人」なんじゃねえか?
いや、そんなことはねえ。
コイツは立派な子供のはずだ。
大体、成人ってのは何が基準だ?
いろいろと考えながらぼーっとその成人だという一団の消えた方角を見ていたら、
「つか鼻の下、伸ばしてんじゃねえ!」
「イッテェッ! 蹴るんじゃねえ! テメーじゃあるめえし、ガキ相手に鼻の下が伸びるかっての!!」
「ほー・・・、よく言った」
あ、しまった。
新年早々、一護の琴線を思いっきり弾き飛ばしてしまった。
一護のこめかみに青筋が立ったのが、よく見える。
こりゃ、まずいかな。
つかまずいのは俺じゃねえか?
勘違いして、勝手にイライラして。
コイツはコイツでちゃんと成長してんじゃねえか?
それなりに、だとはいえ。
「・・・んだよ」
知らず笑いが漏れてたようで、一護が不審げな視線を向けてきた。
「別になんでもねえよ。・・・つか何だ? さっきから持ってるその箱」
とりあえず、ここは誤魔化すに限る。
「あ・・・! いや、別に何でもねえ」
「何でもねえこと無えだろ。見せろ」
「だから何でもねえって!」
「見せろって・・・!」
無理やり奪い取った箱の中で、ちゃぷんと何か液体が揺れる。
そして箱の表に書いてあるのは、
「・・・牛乳」
「・・・んだよ、悪りィかよ!」
「ウシの乳? つかテメエ、そんな年じゃねえだろ」
「そんな年ってどんな年だよッ!!」
「赤ん坊の飲みもんだろ、普通は」
「時代は変わったのッ! 今じゃ牛乳は普通の飲み物なのッ!」
「へー・・・・」
いきなり顔を真っ赤にして怒鳴られたら、そりゃもう裏の意味を勘ぐるしかねえだろ。
冷たい視線を送ってみると、一護の顔はますます赤くなる。
「んだよ、つまり乳マニアかよ」
「なわけねえだろっ!!」
「もしかしてさっき、妹と6本がどうとかケンカしてたのもコレか?」
「・・・・!! テメエ、聞いてやがったのかッ!!」
「・・・図星かよ」
「いいじゃねえか、旨いんだからよッ」
「いや、別にいいけど、旨いんだったら俺にも少しは飲ませろよ」
「ダメだッ!!」
「何でだよ」
「ああもう煩せェッ!!」
いや煩いのはオマエと突っ込もうと思ったが、あまりにもテンパってる一護が気の毒になってしまった。
だって、箱の裏に書いてある文字にうっかり気づいてしまったんだ。
”毎日カルシウムを摂りましょう!”
しっかり背を伸ばすために。
だから俺は飲んじゃいけねえのか?
ごくごくと音を立ててその牛乳とやらを飲みきった一護は、箱を潰してゴミ箱の奥に押し込んだ。
そして白く汚れた口元を拭いながら、バツの悪そうな様子で俺のほうをちらりと盗み見る。
クソ・・・、どうしてくれよう。
あまりの脱力感に、俺は一護のベッドに腰掛けて俯いた。
このままじゃ湧き上がる苦笑を抑え切れそうにない。
誰が成人だ? 誰が大人だ?
テメエじゃまだ無理だよ。
あの晴れ着の列に加わるのは。
震え続ける俺の肩に気がついてんのかいないのか、
一護は
ゴホンとわざとらしい咳払いをして、俺の横に腰掛けた。
「つかよー・・・」
「んだよ」
「俺の成人式ん時にはその縁起悪りィ服は止めろよ?」
何だそのわざとらしい話題変えはと思って
顔を上げてみると、やけに真剣な両目にぶち当たる。
「縁起悪りィってなんだ、縁起悪りィって!! 死神の正装だぞ!」
「正装じゃダメなの。ちゃんと派手な格好して来い」
「・・・派手?」
「あ、そういう意味じゃねえぞ! テメェ、今、とんでもなく派手なの、想像しただろ!」
「いや、別に。超地味」
「いや、絶対ウソだ! テメェがそういうツラするときは、大体、ろくなこと考えてねぇッ!」
「つかそりゃテメエだろ!」
「俺はこう、盛装っていうか、もっとかっこいい格好をだな・・・!」
「だからそういう格好で来るっつってんだろ!!」
つかテメエは、テメエが成人してる頃もこうやって俺が通い続けると、そう決めてんのかよ?
それこそ
鬼が笑うぜ?
「あ、テメエ、笑うんじゃねえ!!」
「笑ってねえよ」
「んだよ、そのらしくねえ笑顔! 思いっきり笑ってるじゃねえかよっ!!」
「ったりめえだバカ。乳臭ェガキがオトナになる話してんじゃねえ」
「・・・んだとぉッ・・・・!!!!!」
頭から湯気を立てる勢いで背を向けた一護は、それでも帰れとは言わなかった。
飲みまくってる牛乳のせいか、
骨格も確かにしっかりとしたものになってる気がする。
その背中に育ち盛りの男の矜持がちらりと覗き見えたような気がして、
俺は眼を伏せたまま口元だけで笑んだ。
2009.1 成人の日に寄せて
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