White Noise



「恋次ッ・・・!」

聞き慣れない切羽詰った声の響きに身を委ねれば、
がくりと身体中から力が抜けて、意識さえ遠くなりそう。
せっかく今まで持たせたものを。

「オイッ、大丈夫か、・・・恋次ッ」

大丈夫じゃねえけど大丈夫。
声に出して答えたいが、肺の辺りに深い傷を受けたらしいから空気が漏れる。
ヒューとかゴボリとか、無意味な音しか出てこない。
けどこのまま無言を通したら、一護の動揺は収まりそうにない。
だからそっと唇に指をあてて、今は無言にと合図を送る。
一護は眼を見開いたまま、こくりと頷く。
その様がやけに可愛らしくて、口の端が引きつる。

「・・・何、笑ってんだよテメエ」

唸り声のような一護の声音に、
確かに笑い事じゃないと再認識したが、
辛うじてながら敵も倒したことだし、それが何よりも肝心。
つか死に際に追い詰められたことなんて何度もある。
大体、テメエにも何回も殺されかけたんだぜ?
現世で最初に刃を交わしたときさえ、ヤバかった。



あの時。
現世の片隅でテメエに殺されてれば、今あるこの世界の何か変わってただろうか?
焦点の合わない意識に甘え、俺は少しだけ「もしも」の世界へと意識を飛ばす。
だが哀しいかな、我ながら恐ろしいほどの現実主義。
夢を見る暇さえなく現実に引き戻される。

あの現世の夜。
俺の生き死になんかに関係なく、
テメエは結局、隊長に殺されかけて、ルキアは尸魂界に連れ戻されただろう。
けどテメエは力を更につけて尸魂界に乗り込み、ルキアを取り戻しただろう。
そして現世へと舞い戻る。
結局はそういう結末だ。
ほんとに何一つ変わりゃしねえ。
あ、いや、俺とのムダがない分だけ、早く戻れたかもしれねえ。
つまるところ邪魔しただけか。


息を大きく吸おうとしたが、引きつるだけで何も起こらない。
手足が痺れているのは、空気が足りないせいだろうか。
胸の辺りがスカスカとして、風が吹き抜け出した。
これはなんだろう?
俺の身体を貫いた虚閃がつけた、どんな傷とも違うこの痛み。
今まで負った傷を思い出すが、どれとも異なる気がする。

それにしてもよく怪我したし、死に掛けてきた。
懺罪宮の下で、あるいは隊長の刃で、更には双極の丘で、ガキの頃だって、学院生やってるときも、下っ端死神やってる時も、数え切れないぐらい死に掛けた。
その度に生き延びたが、なーんも変わりゃしねえ。
なんの影響も与えちゃいねえ。
俺の居た意味なんてありゃしねえんだ。
つかみっともねえ。
ヤバいとなると噴出してくるのは恨み言ばかりかよ。
今まではここまで酷くなかったのにな。
ただ消えるのを待つだけだったのに。
腹なんていつも決めてたのに。

俺は、一護の顔を見上げる。
歪んで苦しそうで、けれど何も見逃すもんかと大きく見開かれてる。

コイツを置いていくのは辛い、とは思う。
その一方で、また暗い思いがわきあがってくる。
こんな風になってしまったのはコイツに関わったせいだから。
自分の奥に潜んでいた弱い心に相対してしまったから。
クソッタレ。


なあ、一護。
俺の魂は濁って淀み、雑音だらけだ。
肝心なことは全然、聞こえやしねえ。
本音ってヤツが自分でもわからねえ。
いくら外からは見えねえっつっても、今際の際ぐらいはなあ。
キレイにいきてえもんだ。


俺は暗いであろう笑みを浮かべて淀みを逃し、ゴボっと吹き上がる血泡を宥めながら、俺を抱えている一護の頬に手を伸ばした。
だが触れることができたのは一瞬。
それ自体の重さを支えきれず、ごとりと重い音を立てて腕が落ちた。
その 音さえ遠くに聞こえる。
痛みどころか感触もない。
別世界にさえ思える。
かろうじて自由になるのは視界。
一護の頬を走る赤い線。
俺の指がつけた血の跡。
俺を見つめる一護の表情が険しくなる。
眉間の皺がいっそう深くなる。
それが何故か、床を共にしているときに見上げるあのツラに似ていて、改めてコイツの生真面目さに苦笑が漏れる。

なあ。
その赤。
テメエとやってる時みてえだな?
汗に塗れて、テメエの肌に張り付いて、絡み付いて、逃さない俺の髪。
俺の色。
お前の色。
赤と橙、
どちらも奇妙なことにゃ変わりはねえが、混ざればどっちの色が残るのだろう?
だがお前のは、色というよりは光だ。
きっとどんな混濁も許さない。
そうじゃなきゃいけない。
それがテメエがテメエやってる義務ってもんだろ。

胸の奥で血の塊が暴れる。
深いところから湧き上がり、耳を穿つ雑音が酷くなる。
咳き込むと、一護が慌てて俺の背を擦る。

「オイッ、恋次・・・ッ! ちゃんと眼ェ、開けてろ! ・・・クソッ」

頬を打たれて俺は渋々と眼を開ける。
なあ、落ち着けよ。
緊急に送った連絡も無事に届き、四番隊の席官が数刻以内にくるとあった。
だから大丈夫なんだ、多分。
死に際なんて何度も迎えてる。
だから特別キツい訳じゃねえ。
ただ今は、声が出ない。
出せないんだ。

気休めにぐらいなるかと、伝霊神機を渡して、尸魂界との遣り取りを開いてみせる。
だが一護は一瞥さえしない。
ブレる焦点をなんとか制御して、力の抜けた手ですげえ頑張ってボタンを押したというのに。

俺の努力はいつも報われねえなあ。
特にテメエ相手だと。
一護は、恋次、恋次、と俺の名前ばかり呟いている。

だから俺は大丈夫だって言ってんだろ。
言ってねえけど、わかるだろ。
霊圧がちゃんと残ってんだろ。
少し黒く淀んできちゃいるが、まだ俺のままだろ。
しばらくは。

クソ、声がちゃんと出たらなあ。
まだ伝えたいことなんていっぱいあるのに。

だがこうしている間にも、胸の奥であの雑音がどんどん大きくなってきている。
魂が濁ってきている気がする。
いや、逆か。
どうしようもない暗闇が互いを打ち消しあって、昇華している。
このまま真白になれば、胸のしこりも全て消える気がする。
うんと楽になる気がする。

だがそれを受け入れてはいけない。
今は良くても、未来が間違っていく。
きっと一護が遠くなる。
いや、近くなるのかもしれない。
対極に立てば、それはそれで背中合わせみたいなものかもしれない。

オマエを殺す者に成り得れば、その時俺は一番、俺で在り得るのかもしれない。
思い浮かべるだけで魂を貫く快楽に、俺は魂を明け渡しそうになる。


ダメだ、止めろ。
絶えず沸き起こる絶対的な誘惑から逃れようと、俺は何とか気を逸らそうとする。
違うことを考えようとする。
けどそんなもんじゃ消えない。消えようもない。
硬く瞑った瞼の向こう、
魂の奥底の仄暗い闇の中心で、
煌々と燃え盛り、揺らめいている。
あの闇を受け入れれば、少しは楽になるだろうか。
そうすれば俺は、真白に戻れるだろうか。
恐怖や怒りや孤独が寄り合い混濁したこの淀みが消えるだろうか。
剥き出しになったこの魂が、隠れ潜む場所を得られるだろうか。



ひゅうと。
胸に開けられた孔の中を風が吹き抜けた。
そして魂が裏返しになる。
ズルリと胸の奥、深い深い穴の奥から何かが引き出される。

今すぐ明け渡せ。
楽になるぞ。
この混濁から、葛藤から抜け出せる。
明け渡せ。
そして委ねろ。

魂を引き裂かんとするその渇望に、俺は何故か泣きそうになった。





「大丈夫だ、恋次」

だが 強い声が響いた。
揺れる視界を占めるのは一護の姿。
強い眼が俺を射抜く。

「大丈夫だ。オマエは死なない」

当たり前だろ。
俺が死んで堪るか。
ムダに生きてんだ。ムダに死ねるわけがねえ。

「そっちに行くんじゃねえ」

そっちってどっちだよ?

「痛てェか?」

俺は驚いた。
ああ、そこか。
オマエはそれでそんなに辛そうな顔をしてるのか。

「痛てェんだろ、恋次」

ああ、痛てェよ。
テメエの何をも支えられない自分が痛い。
結局、テメエに託さずに居られないこの無力が痛い。
俺はもっと強くなりてえ。
唯一無二の、誰にも頼らずに居られる絶対の強さをこの手にしてえ。

「なら痛てェってちゃんと言えよ、助けを呼べよ、俺を呼びゃあよかっただろッ」

冗談じゃねえ。
アレは俺の獲物だ。
テメエなんかに渡せるもんか。
思いあがるんじゃねえ。
俺が、テメエなんかを呼ぶもんか。
俺を何だと思ってやがる。

雑音が薄くなる。
悔恨の情を振り落とし、本音が姿をあらわす。

「恋次・・・」
「ク・・・ソ・・・ッ」

ギリ、と悔しさに歯噛みすると全身を巡る血潮が沸くのを感じる。
細胞がざわめき、神経がキンと張る。
激情と寸分違わぬ熱が隅々まで満たす。


胸に穿たれた孔のことなど知らない。
そんなものはいらない。
殻もいらない。
俺は俺のままで居る。
弱かろうが、浅はかだろうが、構いはしない。
俺は俺のままだ。
他の誰にもなれねえ、なりたくもねえ。
そうだろ、一護?

ぼやけた視界に浮かぶオレンジ色の瞳を捉え、そのまま弾き返す。

「恋次」
「・・・テ・・・メエ、何、サボってやがる」
「・・・大丈夫みてえだな」

一護の呟きに、
「ったりめえだろ」
とあらん限りの力を振り絞って応えた途端、空気が震えたのを感じた。


尸魂界と 繋がる。
救援が来る。
俺は生きる。
また生き延びる。
そしてまた闘う。
闘える。
そうやって俺は、俺を闘い抜くんだ。

胸の空虚を満たすコレはきっと希望。
そんなものに安堵する俺はまだ甘いと皮肉に思いながらも、
これこそが俺だと感じる。



ごとり。
一護が俺の身体を地面に横たえると、まるでモノが投げ出されたような音を立てた。
テメエ、もっと大事に扱えよ。

「じゃあ俺は残りを片付けてくる」
一護はすばやく指先で俺の唇に触れ、そして俺に背を向けた。



救援に駆けつけた四番隊の隊員に囲まれるその直前、残る敵に向かって駆け出した一護の背が見えた。
あれは闘いに赴く男の背中。
素早く、 ぐいと顔の辺りを拭った一護の残像が、いつまでも消えなかった。





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