掌の窪みに溜まった鈍い金色。
夕暮れと共に消えた幻。
記憶の流れの底で、今もきらきらと光り続けている。



 きらら



「一体こりゃあ何なんですかっ」

どすどすといつにも増して足音高く、恋次が廊下を戻ってきた。
白哉は微かに眉を顰めたが、書物に目を落としたまま身動きもしない。
焦れた恋次は、常にはないほど距離を詰めた。

「隊長っ!」
「怒鳴るな。聞こえている」
「だったらちゃんと答えてくださいよっ! この派手な着物は何だと訊いているんですっ」

恋次が勢いよく近づいたせいで空気が乱れた。
灯も風を受けてゆらゆらと揺れ、読みにくいことこの上ない。
ため息と共にようやく面をあげた白哉の前に立ちはだかるのは己の副官。
夜闇に灯を受けて、着物の赤と金が炎のように揺らめく。
同じぐらい派手なはずの紅の髪は、湿った手ぬぐいに薄く色を透かすだけ。
その分、頬の赤みが増しているのだけれど。

白哉は少し目を細めた後、座れと無言で即した。

「隊長っ!」
「人払いはしてある」
「そういうこと言ってるんじゃなくて! なんでこんな・・・!」
「貴様はその格好で湯殿から此処まで歩いてきたのか」

湯上りの恋次が纏っているのは普段着でも浴衣でもなく、
赤と金の絹糸で織り上げた豪奢な錦であった。
しかし肝心の本人といえば、せっかくのそれをただ体に巻きつけて帯を軽く締めただけ。
胸元も裾も大きく肌蹴け、遊女もかくやという井手達ではあったが、
その見事な体躯と憤りのせいで、むしろ闘いの最中のような奇妙な迫力を生み出していた。

「どうせこんな悪ふざけ、指示したのは隊長でしょう!」
「人聞きの悪い。余興と言え」
「悪ふざけで十分っス! それにこんな着物、寝巻きに使える訳がないでしょう!」
「着たまま休めなどと言ってはおらぬ」
「・・・・!」

脱いで寝ろと暗に告げられ、恋次は言葉を失った。
この屋敷で閨を共にするのは初めてではない。
ただ、この関係に未消化な何かを残している恋次にとっては、
白哉の率直過ぎる言葉は強すぎた。 更に追い討ちをかけるように、
「やはりよく似合う」
と微笑した白哉を目の当たりにしては、否を唱えられる訳もない。
すっかり毒気を抜かれ、恋次は、くそ、と呟きながら乱暴に腰をおろした。



ようやく戻ってきた静寂の下、灯火に羽虫が誘われ落ち、じじじと焼ける音が響く。

白哉は読みかけの書物を閉じて脇へ置いた。
中途で打ち捨てられたそれを宥めるように一瞬留まる指。
滑るように書物の縁を指が走り、座した膝の上に戻る。
その動きに、残心を必要とするのは剣の道だけではないのだと恋次は知った。

舞にも似た優雅な所作。典雅、とでも言えばいいのだろうか。
ひとつひとつの仕草に華があるのだ。
けれど勤務時には最小限に抑えられている。
日中、職務で屋敷を訪れたときにも滅多に目にすることはない。
むしろ簡素とでも言っていいほどの素っ気なさ。
だから無愛想で無感情と誤解されることも多いのだろう。

だが恋次は知っていた。
白哉が寛いでいるときにだけ見え隠れするその華。
睦言を囁くときの白哉の低い声、恋次の肌をゆっくりと味合うように滑る指先。
愛でられているのは恋次なのに、魅せられているのも恋次自身。
仕掛けてくる白哉の、解放された華がさらに艶を含むのは常のこと。
加えて激情と言っていいほどの荒々しさを時に見せる。
その気まぐれが今夜は見られるのか。
この肌で受けるのか、その為の装いか。
思わぬ想像と抑えきれない期待に、恋次の身体が強張った。
視線を合わせられない。

「何を固くなっておる」
「・・・別に」

あらぬ方向を見遣ったままの恋次に、無言で白哉は手を伸ばした。
身を微かに震わせた恋次に構わず、白哉は両襟を取り、指を滑らせる。

「こうやって整えるものだ」

襟元を、次いで裾の乱れを優美な動きで直していく。
仕上げと言わんばかりに恋次の頭に無造作に巻かれていた手ぬぐいを取リ払うと、
濡れた髪がばさりと束になって落ちた。

「だめっスよ! 着物に染みがついちまう!!」
「構わぬ」
「髪、まだ濡れてるんだ、手ぬぐい返してくださいっ!」
「構わぬと申しておる」

また金持ちの気まぐれか、とため息をついた恋次の心を読み取ったように、
「これは貴様のために誂えたのだ」
と白哉が濡れ髪に指を通した。
「だから濡れたままがよい」
そういって髪を梳かし始めたのに、
「訳、分かんねえ」
と恋次は呟いた。もちろん応えがあるとは思っていなかったのだが、
「まさに雲母のようだ」
と白哉が満足げに呟いた。

「・・・雲母?」

訝しげに返した恋次の襟の下に白哉の指が潜り込む。
冷やりとした感触に、恋次は身を竦めた。

「幼い頃、集めたのであろう?」
「・・・ルキアに聞いたんっスか?」

如何にも、と耳に吹き込まれ、恋次の身体が反った。


あれは何も知らぬ幼い頃。
川底の流れに金色の光を見つけた。
これが話に聞いた砂金かと、裕福な暮らしを得られるかと勇んで集めた。
だがそれはただの石。
幾許かの金子となり、消えた。



「砂金かと・・・、そう思ったんです」
恋次は、白哉の肩口にため息混じりに呟いた。
「見たことなくて、金色に光るものなら金だと思って、これで楽をできると」

腕を突っ張って白哉を逃れてみると、目に入るのは灯りを受けて煌く金糸。

「たぶん、この着物の糸一本分の金も稼げなかったんですよ」
自嘲ではない。ただの事実。
「でも、絵師っていうんですか? そういうヤツに絵の具の材料として売れて・・・」
「ルキアに食事を与えたのだろう?」
腰を強く引き戻して白哉が頬を合わせた。
「旨かったと申していた」

そう囁かれても、上手く言葉を返せない。
愚かな夢を語り、これで楽が出来ると無駄な夢を抱かせたのに。
翌日からまた地獄へ逆戻りだったというのに。

「一文にもならぬと一笑に付され、ルキアは諦めたのだそうだ。
 だが貴様は探し回ったそうだな」
重なった頬を介して低く響いてくる白哉の言葉に、恋次はくつりと笑った。
「どっかのバカが騙されやしねえかって思ったんですけどね」

訪ねる先々で笑いものにされ、或いは足蹴にされ。
それでも奪おうとする輩はいたから、やはり価値があるのだろうと買い取り先を探した。

「最後に見つけたヤツが割といい値で買い取ってくれた。貴族に売るんだって言って」

必死で集めた金色の夢は、石鉢の中ですられて粉となり金持ちの道楽の材料になるのだと。
そう聞かされたとき、余りの差に絶望しかけたのを覚えている。
知っているつもりで知らなかった隔絶。
力も金も知識も何もない。知らないことさえ知らなかった。
確かに自分は地獄の底に住まう餓鬼なのだと、自覚を新たにさせられたあの日。

「・・・結構、いいもの買えたんですよ。甘い菓子とかね」

ルキアの笑顔が忘れられない。
口内を満たす甘く幼い官能。苦くさえ感じたのは何故なのか。

「綺麗だったと申しておった」
頬が離れて、ひんやりとした空気が間隙を満たした。
「金であろうがなかろうが、掌の窪みに溜まった雲母は綺麗であったと」
「ルキアが?」

白哉は軽く眼を閉じた。
「日が翳ってもなお、貴様は集めるのを止めなかったと」
そう言って微笑んだルキアの、思い出をいとおしむ表情が瞼に焼き付いている。

「ずぶ濡れのその姿が、夕焼けで染まった川面の色と共に忘れられぬと申していた」


ルキアの言葉に、白哉は幼き頃の自分を思い出したのだ。
彼の夢に色はなかった。
夢とは呼んでみても、歩むべき道と同意。
色も輝きも必要なかった。

「・・・あの日は凄い夕焼けだったんですよ。何もかも金と赤に輝いて、あれを集められたらと思った」
「私も見てみたかった」

夢というものを。


「・・・だからこんなもの、つくらせたんですか?」

口を閉じたままの白哉を代弁するように、ゆらり、と灯が大きく揺れた。
尽きる寸前の灯火が一際明るく燃えたのだ。

「・・・灯、持ってこさせますか」

それにも答えず、白哉は恋次の頬に手を添えた。

「まさに夕焼けのようだな」

襟元から肩口へと忍び込んだ白哉の手が恋次の肌と布の間に入り込み、肌を滑る。
錦はその手が指し示すまま、躊躇いなく腕を滑り落ちていく。
半裸となった恋次の肌と墨が闇に浮き上がった。

会話を全くする気がない白哉に、軽くため息をついた恋次は、
「だったらあんたは夜のようですよ」
と白哉の膝に手を置いた。

「貴様にしては気の利いたことを言う」
薄く笑った白哉は、すっかり乾いてしまった恋次の髪の一束を取った。

「では我らの邂逅も唯の一瞬と?」

「・・・充分でしょう?」
恋次が視線を落とす。

「ならば」
笑みを消して、白哉は恋次の顎に手をかけた。
「一瞬たりとも無駄には出来ぬな?」


白い指に絡むのは、暗く輝く紅の髪。
キリ、と胸を締め付ける痛みに恋次が眼を上げると、白哉の肩越しに月が輝きだしていた。





2007.08.19
みゃおさまの白恋イラスト「逢魔時」に喚起されてできた文章です。
イラストを拝見したとき、金と紅とそして黒の濁流に放り込まれたような感じで、それでいて音が無くて。
流れていくイメージを何とかして言葉にしようと、川底から砂粒を拾うように集めて作品としてみました。
タイトルの「きらら」は雲母の大和名です。白恋にひらがなのタイトルをつけるのって新鮮でした。

みゃおさま、文章化及びイラスト転載のお許しありがとうございました!

みゃおさまのWebサイト「myaon」はこちら

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