常には静寂に満ちている闇が、今夜はざわついたまま、一向に静まる気配がない。
耳障りな衣擦れの音のせいだろうか。
肩や肘や古傷に、お仕着せの絹が引っかかって抗議している。
それとも灯火のせいだろうか。
剥がされる衣が風を起し、煽られた焔がゆらりゆらりと揺らめいている。
あるいは特別の品だと供された酒のせいだろうか。
水としか思えぬ口当たりに騙されて、知らぬ間に身体の芯から酔ってしまった。
だからほら。
ため息にさえ色が混じってしまうのは仕様がない。
酩酊
恋次は、口の端から溢れた唾液が、顎から喉へと伝って落ちていくのを感じた。
無理な角度で仰向けにされているから、突っ張った皮膚はあるかなしかの刺激にさえ粟立つのだ。
敏い白哉の指がそれ取見逃すはずもない。
唾液の痕を殊更ゆっくりと遡り、口元に辿りついて唇を塞ぐ。
その先を期待する身体が震えて反り返り、食いしばっていたはずの歯の隙間から微かに声が漏れた。
「これでは仕置きにならぬ」
不機嫌そのものといった声と共に、恋次の眼を覆っていた布が取り払われた。
閉じた瞼の向こうは暗い。
つまり布越しに見ていた灯火は疾うに燃え尽きていたということか。
そんなことにも気がつかないとは。
いつからだろうと闇に想いを巡らせていると、瞼に指が置かれた。
促されるまま眼を開いた先には漆黒の双眸。
静かに月の光を弾いている。
酒に飲まれた己の無粋を怒っているのかと思いきや、
やけに艶めいている気がして、
先ほどの声もそういえば色を含んでいた気がして、
奥底に息づく白哉の熱を期待してしまえば、視線を合わせておくことなどできはしない。
俯いて避けた恋次の視線の先には、
薄闇でも明らかな上気した己の肌、辛うじて纏いついている湿った絹。
ではあの眼の艶はこの肌を映したものかと面を上げると、眼前に白哉の顔があった。
一瞬萎縮した恋次を見咎め、微かに肩を竦めた白哉は、
「褒美を取らせたかったのではない」
と憮然と呟き、髪に手を差し入れて恋次を引き寄せた。
抱きしめられて唇が触れたままそんなことを告げられても意味がわからない。
ではこの荒々しい口付けこそが更なる罰だとでも言うのか。
大体、酔いがまわった恋次の不調法に苛立ったのは白哉ではないか。
退席を命じられるかと思いきや、与えられたのは目を覆う布と愛撫。
酔った上に視界を失った身体は、更に過敏にもなろうというもの。
触れるか触れないかの加減で加えられた刺激に、これが罰かと必死で耐えたのだ。
吐息は漏らしても声は堪えた。
震えはしても求めはしなかった。
恥を晒して喘いで見せればよかったとでもいうのか。
甘んじて苦行を受けたというのに、褒美を与えられて喜んでいたのだと断罪されては堪らない。
せめて睨み返そうとしても、濃い睫毛の影に隠れた瞳がよく見えない。
近づきすぎて焦点も合わない。
思いのほか熱い唇に阻まれて、離せと主張することさえ儘ならない。
苛立ってもがいてその腕を逃れようとしても、
こめかみの辺りの髪を鷲掴みにされた上、
もう片方の手で肩を押さえつけられていては身動きができない。
背に食い込む細い指先に、恋次自身は呻き声を上げているというのに、
そこだけ別の生きもののような唇は、緩やかに開いて勝手に白哉を受け入れてしまっている。
舌を絡めて唾液を混ぜあい、勝手に愉悦に浸ってしまっている。
全くこれだから酔っ払いは厄介だと、恋次は他人事のように思う。
それでも強く吸われた舌が快感の閾を超えて鈍痛を訴え始め、
応えるように腹の奥底の肉欲が迸り始めるころには、最後の理性の欠片も溶け去ってしまっていた。
その先を強請る衝動を押さえ込むのに必死で、抗う気もいつしか鈍ってしまった。
ようやく解放されたときには息が乱れ、すっかり膝も崩れてしまっていた。
せめて息を整えようと頭を軽く振ると、
いつの間にやら白哉の襟元を固く握りこんでいた手が白い指にそっと取られる。
居たたまれなさに思わず顔を背けると、強情な、と顎を捉まれたから、
これ以上の恥と濡れた眼を晒さぬようにと、恋次は硬く瞼を閉じた。
ふ、と空気が一瞬、緩んだ気がした。
不意に突き放されて白哉の夜着の滑らかさを惜しんだのは一瞬、
体表を這い回りだした白哉の指に、恋次の意識は奪われた。
耳の裏から首筋を下った指先は、鎖骨の縁を舐めるようにして古傷へと辿りつく。
そこを爪の先で強く押されて呻きそうになったのを堪えると、満足げな息遣いが耳につく。
あの薄い微笑を浮かべているのだろうと悔しさに歯噛みをするが、今更後に引けるわけもない。
一方で、意地を張って目を瞑りつづける恋次の頑なさを、白哉は愉しむ。
触れられることなく固くなった乳首の周囲を殊更ゆっくりとなぞって反応をみる。
もう一方の手は、腹から脇へと逃れて背骨が肉に沈み込む辺りにそっと指を這わせる。
ああと深く息が漏れ出した恋次の唇をそっと甘噛みしても、誘われ出た舌には触れずに去る。
耳を舐めて首を竦めさせたくせに、肩へと唇を滑らせて期待を外す。
焦らされて昂った恋次の肌が汗に塗れた。
その滑りを借りて、白哉の指が、穏やかに墨を辿る。
このままでは求める熱は与えられそうに無い。
もうこれ以上は耐えられない。
恋次は終に陥落した。
白哉の夜着を掴んで合わせを押し開き、
その胸に口付けを降らせ、溜まりに溜まった熱を昇華させようと企んだ。
だが、あれほど神経を苛立たせた衣擦れの音は止んでいる。
その手に直に触れたのは熱い肌。
いつの間に、と思わず眼を開けると、少し驚いたような白哉の顔。
存外脆かったなと微笑するその無防備さと常にない性急さに、恋次の眼は大きく見開かれた。
ああ、この人も酔っていたのか、と。
だから恋次はまた眼を瞑る。
全く貴様は、と呆れた声と共に漏れるため息もまた充分に濡れていて、
白哉でも酒に飲まれることがあるのかと、恋次は妙に愉快な気分になった。
常ならぬ高揚は酒のせい。
その酒を与えたのが白哉ならば、酔った恋次に罰を与え損ねたのも白哉。
ならば充分に愉しませてもらおうかと恋次は無謀にも口付けを仕掛ける。
そして白哉は、貪欲な恋次の口唇を受けながら、
酒精に邪魔されること無く、唯の水で酔うのも偶には良いものだと静かに笑った。
2007.11 RedHeat提出作品
<<back