落椿
一体何のつもりか知らぬが、季節外れの椿を飾った者がいる。
数日前から隊長席にあるのは、狂い咲きにふさわしく血の真紅。
彩度の無い、光と影だけで構成されるような朽木白哉その人の色合いと、奇妙な対照を見せていた。
突然のけたたましい鳥の声に、恋次は筆を止めて顔を上げた。
この椿の花が来てからというもの、どうにもこうにも集中力に影が射す。
部屋を満たしているのは、上司の筆が立てる微かな摩擦音。
晩春の射すような日差し、湿って土臭い匂いを含んだ空気、ようやく聞き慣れてきた葉ずれの音。
いつもと変わらない。
だが、生命が本格的に躍動し始めるこの季節に、椿。
不吉というほどではないが、季節が逆行したような違和感に心がざわついている。
上司は相変わらず、職務に没頭しているのだけれど。
本当に没頭してるんだろうか。
恋次は思う。
いつもいつも必要なことを決められた以上にこなす。
誇るわけでもなく、ただ淡々と。
楽しみはないのだろうか。
心がざわめくことはないのだろうか。
己の弱さに悲嘆することも、寂しく思うことも無いのだろうか。
くつ、と笑みが漏れた。
ま、ありえねーよなあ。
「何がありえぬのだ」
心の中で呟いたつもりが、どうやら口に出ていたらしい。
濡れたように紅く色づく椿の向こうで、無彩色の上司が此方を見ていた。
光を受けて紫紺に輝く瞳は揺らぎもしない。
「いや、別になんでもないです。すんません」
辛うじてそれだけ伝え、筆を取り直す。
目の前の退屈な紙を睨みつけ、作業に集中しようとした。
考えを見透かされていたようで、居心地が悪かった。
どれぐらい経ってからだろう。
筆を止めてふと仰ぎ見ると、上司は窓の外を見ていた。
白皙の横顔が、木陰に揺れる日の光で薄く色づいていた。
眼の光が、いつになく穏やかだ。
隊長、と思わず声をかけようとした刹那、椿の首が落ちた。
ころころと机を転がり、床にぽとりと落ちる。
音が部屋中に響いた。
「落ちたな」
上司の言葉に、落ちた椿の花を見つめ続けていたことに気がついた。
「そうですね」
けれど、血の滲みのような床の椿から目が離せない。
「貴様は面白い」
突然の理解不能な言葉に恋次は顔をあげた。
「普通なら、すぐ拾うであろう」
何故、拾わぬ、という言外の意を汲み取った恋次は、
「生憎、自分のことは自分でするっていう育ちなんですよ」
と、特に何を意図するわけもなく言った。
言葉にした後で、取り様によっては皮肉にもなると気付いたが、
「媚びは習っておらぬか」
と上司は言った。
叱責でも問いでもないと判断した恋次は、
「生憎、そういう高等教育は受けていないんですよ」
と正直なところを口にし、肩をすくめた。
「だから貴様は面白い」
そう言って席を立った上司は、滑らかな動作で落ちた椿の花を手に取った。
窓を見遣る横顔は滅多に見せぬ穏やかな表情を浮かべている。
「春ももう終わりだな」
「そうですね」
大いなる変化の時がやってくる。
窓からは、予兆ともとれる生命に満ちた空気が風となって流れ込んできた。
2007.04.08 白恋だか白+恋だか、微妙
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