風が謳うそのときに

 

混沌を抜け出てみれば、そこは相も変らぬ暗闇。
光は無い。
福音も無い。
在るのは天に張り付いた月と、足首に押し寄せる砂、 そして長さの変わらぬ影。
そう、ここは乾いた石の世界。
砂丘の頂点であの男がまた、砂嵐を待っている。

何故、あの男はわかろうとしないのだろう。
私たちもこの砂漠の砂の一粒に過ぎないと。
何故、血を流し続けるのだろう。
この体のほかにもう何も残っていないというのに。

私たちの時間もこれが最期。
同胞の血肉を啜り、偶然という名の運命の糸を手繰り寄せて、 やっとこの手に取り戻した理性は、指の隙間からこぼれ落ちてていくばかり。
これを逃せば、誇りを保てる存在には戻れない。
早く還って来いと、 嘗ての同胞たちが混沌の中で待っている。 
ほら、 漆黒の闇の中、手招きしている。



なぜ生き急ぐの。
なぜ死に急ぐの。
何を求めてるの。
何が怖いの。

なんて傲慢で愚かで哀しい男。
足掻いて、奪って、無駄な血を砂に零しても何も生まれはしないというのに。
全て無に還るだけだというのに。
けれど泣き喚く子供のようなその姿が、私の胸を痛めつける。


ならば私は、風になろう。
夜の砂漠を駆け抜けて、あなたを包むあの風になろう。
そしてあなたに会いに行こう。
月下に佇むあなたの頬を撫でて、乾いたその涙を拭うために。

そして私は大気に溶ける。
溶けてあなたを抱きしめる。





2007. 別館CHATTAの拍手お礼文 2008.06 加筆・修正、再録


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