同じ月を見ている
す、と擦れた音を立てて障子が開けられ、座敷に淡い夜光が差し込んだ。
「もうそろそろ出立だ。準備は出来たか」
「オウ。テメーのほうは?」
「もちろんだ。兄様も待機しておられる」
そうか、と恋次はルキアを見上げた。
死覇装に身を包み闇を背にして、漆黒そのものと化している。
これほど、死を司る在り方にふさわしい姿はないと思う。
覚悟の程を見せるはずの眼は生憎見えぬが、
虚圏に乗り込もうという決死の意気込みは気配で伝わってくる。
その生真面目さと胸に仕舞い込まれているであろう強い想いも。
「あの井上という女。テメーのダチなのか」
ルキアは横を向いた。
障子の向こうにある月が、その横顔を仄かに照らす。
「わからぬ」
「なんだそりゃ」
淡い光に照らされた口元と空気が僅かに緩み、ルキアの想いが垣間見えた。
「あれは優しく強い女だ」
ルキアは眼を閉じ、恋次に向き直る。
「だから私を躊躇いなく友と呼ぶだろう。だが私は・・・」
闇がルキアを覆っている。
質感のあるそれを取り払いたくて、恋次はわざと強い声で言った。
「ああ、そうかよ。じゃあ、ダチなんだろうよ」
「なんだその言い草は」
「一々怒んなよ」
「しかし貴様は・・・」
出立を前にルキアの神経は逆立ち、普段の十分の一の冷静さもない。
当たり前か。
井上が虚圏へと失踪し、更に一護たちは単身、虚圏へと乗り込んだ。
この幼馴染が落ち着いていられるわけもない。
「そういうのをダチとか仲間とか言うんだよ」
言いよどんだルキアを制し、恋次は端座していた膝を崩して刀を脇に避けた。
「ほら、テメーもいつまでも突っ立ってねえで座れ」
ルキアを座敷に招き座らせて、己は縁側へと向かう。
「恋次、何をしておるのだ」
「いい月夜だからよ」
恋次が障子を勢いよく開け放つと、大きな月が塀の上に顔を出していた。
少し欠けて尚、白く強い光で空を満たす。
「・・・・・奇麗だな」
「ああ、いい月夜だ」
柱にもたれかかったまま、振り向きもせず恋次が応える。
「向こうにも月はあるのかね」
「知らぬ」
「オレも知らねえ」
恋次が振り向いて微笑った。
「ちーっとばかし、武者震いがするなあ」
「なんだ貴様、恐ろしいのか」
「武者震いっつってんだろ、他人の話聞けって」
「貴様以外のならな」
そう言ってルキアは笑った。
月は目に見えぬ速さで少しづつその位置を変える。
気がついたときは手遅れになるほどの緩慢さでその形さえ変えていく。
なんと無情なことか。
気付くことさえ許されていない。
「ちゃんと俺が殺してやるから、安心して戦え」
突然の恋次の言葉にルキアは、月から恋次の背に視線を戻した。
「何かあって、テメーが耐えられねえようなことになったら、俺が始末つけてやる」
自分たちの実力の程は知っている。
無謀な賭けに出るほど若いわけじゃない。
危険は知りすぎるほど知っている。
命を捨てる覚悟もある。
だが命を落とす以上に酷い状況がありえるのも確かだ。
もとより鏡花水月の術中にある身であれば。
「・・・すまぬ」
大事な人をその手にかけたのだろう?
この心優しく孤独な幼馴染が、
再度そのようなことに耐えられるわけも無い。
「大丈夫だ。そん時は俺がキッチリぶった切ってやるよ」
「・・・・・貴様はどうしてそう即物的なものの言い方しかできぬのだ」
そう言ってルキアが呆れてみせる。
恋次は軽く笑った。
一護は、そして現世のあの少年達は、何があっても最後まで仲間には手を出せぬだろう。
例え、殺すことが魂を救うことだと頭で理解していても、
肉体の殻に捕らわれた生身であれば、それは理解の外だ。
もちろんあの少年達をそんな残酷な目にあわせる気もない。
だから俺は死ねない。
石に齧りついてでも生き延びて、キッチリ落とし前をつけてやる。
「まあとにかくよ。そのために俺は強くなったんだ。
テメーはテメーとダチのために闘え」
「では貴様は何のために闘うのだ」
俺か、と恋次は呟き、虚空に視線を戻す。
「さあな。自分のためだろうよ。俺ァ闘えればそれでいいのさ」
相変わらず素直ではないという言葉を飲み込んで、ルキアは月を見遣った。
月は虚圏にも現世にも浮かぶと言う。
同じ月かも知れぬ。
異なる月かも知れぬ。
ただ、馳せる想いは同じであろう。
或いは寄せる思いさえも。
そう、信じたい。
「向こうに着いたら、思いっきりアイツをシメねーとな」
「全くだ。許せぬ」
ルキアが淡く微笑する。
恋次は、そんなルキアを素直に美しいと思い、胸の奥に焼き付けた。
残り一刻を切った。
この月に一旦別れを告げる刻限は、もう其処まで迫っている。
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