My Precious

 

へぇそうかいと平子が気の抜けた相槌を打ってみせると、はぁそうなんですようと浦原は調子を合わせてのんびりと応えた。

三文芝居のような遣り取りに苦笑いしたのか、二人が背にした桜の古木が、数多もの花弁を振り落とす。
その一枚が平子の盃に舞い降り、夜が溶けて闇色に沈んでいた酒精を淡い薄紅に染め上げる。
酒ごと飲み干し、そのまま空を見上げれば、夜空の漆黒を背にした桜花が、今を盛りと咲き誇っている。

平子は手を大きく伸ばし、横隣の浦原に酒瓶を渡した。
浦原が腰を下ろしているのは、ひときわ捩れが酷い太い根。
奇妙な躍動感を宿したその造形は、夜目のせいか今にも動きだしそうに見え、この夜と浦原に酷く調和していた。




「・・・で、もうすぐ藍染が動くのやとそう思てんのやろ?」
「どうでしょうねえ」

久方ぶりに目にしたその横顔は、相変わらず飄々としている。
あんたがそう仄めかしたから、せやからワシ来たんやんけと平子が突っ込むと、
浦原は、そうでしたっけスンマセンと素直に受けた。



「何ていうたか、あの子供・・・。ああもう、蜜柑か柿かよう思い出せんわ」
平子はぐっと眉間に皺を寄せて、人差し指でぐりぐりと抑えた。
「まあええ。とにかくちょい霊力あるあの人間の子供や。使えんのか、ホンマに?」
浦原の眉がほんの僅か、ぴくりと跳ねる。
隠しおおせたと思ってたんやろうなあと察しはつけつつ、平子は再び上を向き、がぱーっと口を開け、 桜に見蕩れた様を装って答を待った。
だが浦原は一瞬のいらえもなく、
「さあ、どうでしょうねえ」
と答えたばかりで、相も変わらず、盃を満たす波紋を愛で続けた。

どうでしょうねえって、と平子は浦原をねめつけてみたが、浦原が真っ当に腹を明かした試しもない。
元より期待しているわけでもない。

「相っ変わらずのらりくらりんのつまらんやっちゃのー」
「平子サンにだけは言われたくないっスけどね」

くつりと小さく笑って盃に口を付ける様子は、あの頃と変わりはしない。
気安さの中にあどけなささえ感じさせる独特の雰囲気。
柔らかく何重にも張り巡らされたその奥に、一体何を抱えているのか。




「とにかく酒瓶、戻せっちゅーねん」
「もうッスか? 平子サン、飲みすぎですよう」
「やかまし。春やぞ、桜やぞ。飲まん阿呆がおるかい」

平子は自杯になみなみと酒を注いだ。
波紋が静まるのを待つと、表面に満開の桜が白くぼうっと浮かび上がる。
その桜酒を煽りながら再び浦原を見遣る。
浦原は相変わらず手元を見つめている。
ここに来てから横顔しか目にしていない。
それは浦原にしても同じことだろう。
桜の花弁がそんな二人の間を埋め尽くしていく。



遠く昔より浦原を知る平子には、今何が起きているのか、浦原が何を抱えているのかおおよその見当はついている。
だが浦原の本質がどのような変質を遂げているか、知れよう筈もない。
さらに、これほどの男が本気で隠したら、誰に見えよう筈もない。

騙されるのはもちろん真っ平だ。
だが自分の眼を妄信するほど愚かではいられなかった。
ならば真実から遠いことを自覚するだけ。
そうすればその先に道がある。
おそらく。

平子は桜を見上げた。
相変わらず、無機質に咲き誇っている。

とはいえ。
さて、どうするかのうと平子は一人ごちた。
今更、夜桜見物としけこむ仲ではない。
浦原にしてもそれは百も承知だろう。
ならば何故呼んだのか。
もしかしたら本人にもわかっていなかったのかもしれない。
長い年月を経て、不安になっているのかもしれない。
それに時は春。
気も緩むというもの。
ならばとりあえずもう少し問い詰めてみるか。
今日だけは浦原の好きに流されて済ませる訳には行かない。
大詰めが近づいてきているのだ。
この百年以上の時間の決算をつけるべき時が。




「・・・なあ、喜助。ホンマにあの子供、なんやねん。もしかして切り札か?」
「まさか」

なんや、即答かい。
平子は肩の力がガクリと抜けたのを感じた。

「あんな子供にどうしろって言うんですか」
「の割にはいろいろ手の込んだこと、しよるやろ」
「手っスか?」

浦原は初めて平子に顔を向けた。

「やだなあ、平子サン。少し試してみてるだけですよ」
「で、役に立たんかったら使い捨てかい」
「まさかぁ・・・・」

浦原は空を見た。
少し風が出てきている。
盛りには少し早い桜が散り始めている。

「あんたにまさかがあるもんかい。何でそうまでして隠すんや」

ほんの少しだけ表情を硬くした浦原に、何か核心に近いものを感じた平子は、揶揄を込めた探りを入れる。

「あ、もしかして手ェ出したん? あんな子供に? あくどいのぅ」

浦原はハハハと軽く笑って手を振ってみせる。

「そんなことするわけないっしょ」
「いや、相手は喜助やし、わからんで?」
「どういう意味ッスかぁ?」
「まさか倫理とか何とか振りかざす気やないやろしな?」
「・・・まさか」

その声音の妙に上っ滑りな調子に平子が振り向くと、まさか、ともう一度繰り返した浦原の口元は僅かに笑みを浮かべていた。

「どっちにしても手ェなんか出さないッスよ」

平子の目の前で、普段被っている飄々とした雰囲気がズルリと剥がれ落ちていく。

「だって・・・」

焦点が遥か遠くへと合わされる。
その向こうに見えるのは浦原だけに見える何か。

「だってアレは、ボクの大事なマテリアル」

風に消えるような儚さで紡がれた真実と、一瞬だけ見せたその恍惚とした表情に、あああんた、まだそこに居ったんやなと平子は深く納得して眼を閉じた。

その瞼の裏に残るのは、浦原の目に浮かんだ陶酔。
遠い昔、欲の赴くまま崩玉を創り出すに至ったあの狂気はまだ生きている。
深く深く隠しているだけ。
その魂の奥深くに、熱く静かに本当の自分を息衝かせている。
しかも、これだけ年月を経た後では、もう藍染の狂気や傲慢とさほど変わりはしまい。
後悔などありもしようはずがない。

「ヤだなあ、平子サンもヒトが悪い」

しかもわざわざ平子に向けたその顔に浮かんだのは、影のない、まっさらな笑顔。
桜花に遮られ、月明りも届きはしないというのに、何をその笑顔で隠そうというのか。
まるで菩薩のようなツラしよってからに、ほんにヤヤコシイやっちゃと、平子はそのまま視線を空へと向けた。



びょうと風が吹く。
平子は身を凍らせる。
夜気で冷えたせいではない。
冷えよう筈もない。
平子は足元をねめつける。
桜の木の根元に死体など埋まっているものか。
死ぬことができるのは生きている血肉。
願うのは、死して尚訪れることのない平穏。
知らぬが仏とはよく言ったもんやと己が手を見る。
知りすぎた先で尚、堪え続けるのは、何も浦原だけではない。
平子は視線を天上の桜花へと向ける。
そして風に飛び去る花弁へと視線を走らせる。
多分その先には、浦原が視るのと同じぐらい遠くの未来がある。
けれど平子が視るそれとは異なる時間。
異なる願い。




「しゃーないのう」

平子は一息ついた。
浦原は腹を明かす気はやはりないらしい。
ならばこちらはこちらで好きにやらせてもらうまでと言わずもがなの腹を決める。

「まぁ飲まんかい。エエ酒やで?」
「は? ・・・いやー、今日はちょっと酔ってしまったみたいで」
「あんたが酔うわけあらへんやろ」

今は春。
百有余年を経て、時が動き出したのだ。
酔わずにいられるものか。

「アタシだってたまには酔いますよう」

へらへらと笑って、手にした帽子で指し示す先には天。
あの向こうに宿敵がいる。
だがその手前には、桜花が輝かんばかりに咲き誇っている。

「・・・ええから飲めっちゅうとるんや」
「ヤだなあ平子さん、でろんでろんじゃないですか」

そういえば、己の顔にいつもより素直な笑みが広がってる気もする。
鬼と化した浦原に、それを見せてしまったのはシャクだ。

「ヤカマシわ、飲め!」

そして今はあんたも酔え。
平子は浦原の腰掛ける桜の根に無理やり押しかけた。

「うわッ、危ないッスよ!」

抗議の声には構わず、盃になみなみと酒を注ぐ。

「飲め飲め。旨いでぇ」
「・・・そうっスね」
「そうや。一滴たりとも零したらあかんで? 零すと殺すで」
「・・・たく怖いなァ、平子サンは」


ふざけ合ったその先で共に見上げれば、桜花はただ咲き誇っている。
その一振りの枝に一献の夢をみることができてこそ、春の宵。
二人はその後、言葉もなく酒を酌み交わし、続く未来に思いを馳せた。



一護が死神化する直前の春&私的浦原さん感 好きなんですけど歪んでます。差別の意味ではなく、気狂い、だと思ってます。平子はフツウに(歯が怖いけど)好き
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