call my name.










いつの頃からだろう。

気のせいでもなんでもなく、周りに居る人間は誰一人としてオレを必要としてはいなかった。

周りに居るのは皆、仮面をつけた案山子に過ぎなかった。

動いたり、話しかけたりすれば、こちらの思惑通りかは置いて、何らかの反応がある案山子。

傍でただ周囲を賑わせるだけのもの。一人として名前の無いその他大勢の輩。

とはいえ本物の案山子の方が数段マシであるかも知れない。

彼らは人を見て失笑したりはしない、呆れた顔でこちらを見たりはしないから。







誰も、本当のオレなんて必要としてないんだ。

誰も、誰も、本当はオレの傍には居ないんだ。

人はこんなに沢山に居るというのに。

オレはずっと独りきりだった。

いつも、冷えた闇の気配しか、オレの周りには無かった。

時折耳に届くのは、オレを笑う声だった。








やめて。笑わないで。馬鹿にするのはやめて。

ぐにゃりと自分を巻き込んで揺れる世界。

蕩ける身体は実態の無い大きな手に掴まれた。絡まる手が、重く足を引いた。

オレはこのまま沈んでしまうのだろうか。






煙る意識の中、目の前にゆらりと白い影が現れた。

……優しい目だった。が、表情は不機嫌そうにこちらを見ており、少し怖いと思った。

あれは……誰だっけ?

影は、徐々にはっきりとした輪郭になり、言った。

「こっちへ来い」

「阿部……くん?」

戸惑っていると、すっと真っ直ぐこちらに向けられた手があった。

「でも、オレなんか……みんなに、必要とされていないし」

「みんななんか居ないよ。もう」

「もう……?」

「そんなヤツは、もうどこにも居ない」

「………」

「おまえを必要とする人間は、居るかも知れないし、居ないかも知れない。でも、誰も居なくてもいいだろ。これからはオレが居るんだから」

「……阿部くんは、ずっと居てくれるの? ……オレと居れば、いいの?」

「ああ」

彼はゆっくり首を頷かせた。

「この先、誰もおまえの名前を呼ばなくても、オレだけはずっと、必ずおまえの名前を呼ぶ」

「……ほ、本当に…?」

「本当だ」

それは正に夢のような約束だった。

どうしてそんな約束をしてくれるんだろう?

オレを騙して、更に深い絶望に落とそうとでも?

そんな事をして何になるというのだろう。

わからない。彼を信じる術が欲しかった。

「だから、安心していいよ」

ずっと差し出されていた手を、オレは漸く恐る恐る握った。

繋がった手を、離して、振り切って、傷つけたいような衝動に駆られたのは、もしかすると彼を試したかったのかも知れない。

違う。本当はそうじゃない。そんな事はしたくない。

本当は信じたいんだ。絶対にこの手を離したくない。初めて自分を掴んでくれたこの暖かい手を。

これは愛なの? それとも執着だろうか?








そうじゃない。オレはただ誰かに認められたいんだ。

オレを活かす為に、誰かが必要なだけなんだ。

なんて自分勝手な人間なんだろう。

なんて、傲慢で、なんて、醜い。

でも、自分を認めて欲しいなんて、誰しも持っている感情ではないの?

わからない。





だけどオレと阿部くんは出会えた。認めて貰えた事は紛れも無い事実だった。








「オレ、三星を出て、本当に良かったと思ってるんだ」

「……おまえの勇気だ」

当たり前のように放たれた言葉に、オレはギクリとした。

……どうしてそんな事を言うの。

そんな風に言って欲しかったんじゃない。

オレは狡い人間なんだ。だから誰かにそう言って欲しかった。

言われて自分が安心したかった。なのに、どうしてそんな。






阿部くんの優しい言葉に、オレは却って素直になる事ができた。

「そんなんじゃないよ。オレは逃げて来ただけだ」

これでいいんだ。自分で認めてしまえばいい。

阿部くんだって、内心はオレの事を同じように思っている筈だ。

これで、阿部くんもきっとオレの事を……。

「……違うよ」

「え?」

「オレにはわかる」

世界が、足元からガラガラと崩れるような感覚があった。







……どうしてそんな優しい言葉を吐くの。

『狡い』って、言って欲しかった。だってそれは本当の事だったから。

オレは汚いんだって、知って欲しかった。

そして。




阿部くんにだけは、オレの狡いところを知って、赦して欲しかった。

自分が気持ち良くなる為だけに。

その上でオレは認められたかったんだ。

それは単に認められたいだけじゃない。

誰かをオレに縛り付けたい。なんて姑息な感情。

自分の無力を知りつつも、誰かに認めて欲しかった。



どうしてこんな醜いオレを、君は認めてくれるの?

どうしてそんなに優しくしてくれるの?

どうして、そんな―――

どうして、どうして―――





見開いた目から、はらはらと勝手に涙が零れ落ちた。






疑問の数に比例するように、涙は溢れるばかりで止まらなかった。

「もう泣くなよ」

彼はまるで子供でもあやすみたいにオレの髪を撫で、また手を握った。

その感触は、産まれて初めてに掴んだ温もりのように、どうしようもなく愛おしく、二度と離す事ができないと思った。



涙に濡れたまま、オレは笑って見せた。

産まれて、ここまで生きてきて、今、本当に良かったと思えた。



「阿部くん………もう一度、言って。いつでも、オレを呼んでくれるって」

「……この先、誰もおまえの名前を呼ばなくても、オレだけはずっと、必ずおまえの名前を呼ぶ」




……それは、一体どんな嬉しい言葉なの。

どうして、どこまでそんな、嬉しい言葉をくれるの。



「……ありがとう、阿部くん」



阿部くんはオレの顔を覗き込んで、困ったように笑って言った。



「また、泣いてら」













今度は、






オレが君の名前を呼ぶ番だ。









2007/09/11 Sioux