星を呼ぶ詩。
階段を上がる音がして、ノックも無く思い切り良く開いた三橋の部屋のドアから現れたのは阿部だった。
「風呂サンキュ。いー湯だった」
「あ、うん」
風呂上りの体から仄かな熱を帯び、肌を少し赤く上気させている。
阿部より先に風呂に入った三橋はもうパジャマに着替え、ベッドに腰掛けていた。
部屋に入ってきた阿部から隠すように背中に手を回し、三橋は取り繕うような笑顔を作った。
とはいえ、彼の作り笑いは普段から珍しくは無いのだが。
傍らに転がっているのは、細めの水性のマジックだ。
「何だ? 今、なに隠したんだ?」
「な、なんでも…」
「ふーん?」
左程気に止めた様子も無く首を傾げ、部屋の中央に彼の為に敷かれた布団の上に腰を下ろす。
今日は、珍しく三橋の家に泊まる事になっていた。元々そのつもりで来たわけでは無かったのだが、練習後、
三橋の部屋でミーティングがてら話込んでいたらいつのまにか遅くなってしまい、三橋母に泊まっていくよう勧められたのだ。
最も、練習が終わった時点で21時を回っているのだから、少し話し込んだら夜中になってしまうのは当然なのだが。
明日の事を考えると面倒もあるが、たまにはこういうのもいい。
時間を気にせず三橋と話す事ができる機会も、なんだかんだいってクラスの違う彼には余り無いのだ。
三橋はまだ手を後ろに隠したまま、こちらの様子をちらちら伺っていた。
「そんな態度されたら、余計気になんだけど」
「そ、そうだよ……ね」
阿部はふっとため息をついた。
ふと窓の外を見ると、淡色の星が走った。
初夏の夜空は遥かとおく、見ているとすぐ深い眠りに誘われそうだ。
「明日も晴れそうだな…暑いだろうな」
「そ、そう、だね」
「? 何嬉しそうな顔してんだよ」
「え? 何でも…」
「……相変わらずだな、お前」
呆れがちな台詞とは裏腹にそういう阿部も、普段とは似つかわしくない楽しそうな笑顔だった。
湯上がりの頬がほんのり染まり、酔っ払っているように上機嫌だ。
雑談を交わしながら、三橋はまだ手を後ろに隠したままでいた。
それ程気になっていた訳では無かったが、こう固執な態度を取られると、気にしろと言われているみたいだ。
「おまえ、ほんとに何持ってんの?」
「え、え……っと、何でも、な……」
頭を切り替えるように、阿部は話題を変えた。
「あーそういや喉渇いたな…」
「あ、麦茶、あるよ。まだ冷たい、よ」
「お、サンキュ」
ベッド際に置いてあったペットボトルを手渡そうと三橋が手を差し出すと、
阿部はボトルを受け取る振りをして、そのまま三橋の腕を取り、ベッドの上に押し倒し馬乗りになった。
「わ、わ…?!」
「へへ」
「ちょ、ちょっと阿部くん」
「大人しくしろよ、なんてな」
「ひっ……?」
阿部の予想通り、三橋は可哀想な程怯えた表情を見せる。
無論阿部は本当に嫌がらせをしたい訳では無く、ふざけ半分の戯言だ。
「その手に持ってるのは、何?」
「あ、阿部くん、お、重、い……よ…ど、どいて……ください」
「ウソつけ。そんなに体重かけてないぜ……」
見せたくない一心でついそんな言い逃れをした三橋だったが、阿部にはそんな三橋の芝居などお見通しのようだ。
「手、見せてみろよ」
「な、なんでも無いってばっ!」
こんな風に、男同士でくっついてるところを誰かに見られでもしたら如何わしい事この上無い。
とはいえ、入ってくるとしても一階には三橋の両親くらいしか居ないので、その辺は余り気にしない事にした。
「……おまえって、ほんと隠し事下手っていうか……小学生レベルだよな」
「ううっ……」
焦り捲る三橋に対し、それまで涼しい顔で眺めていた阿部の顔色がはっと変わった。
「なんでそんなに隠すんだ? ―――もしかして」
はっとした。ひたすら隠す手……もしかして――
「怪我、でもしたんじゃ」
不安のあまり、考えが口から漏れてしまっている。
「え? ち、違う、怪我、じゃないよ」
「じゃあ、なんだよ」
「え、えっと……それは」
しどろもどろになりながら、三橋は追求されている事柄より、接触してる部分が熱くなっているのを気にしていた。
体格はそれほど自分と変わらない筈なのに、やはり自分よりはがっしりとしていて重みを感じる体。
阿部が諦めて退いてくれる様子は一切無かった。彼の性格からして、途中でやめる事が無い事はわかっていた。
結局最後は、三橋が堪忍するしか無いのだ。
「怪我じゃないなら、いいじゃねーか」
「ダ、ダメ……!」
祈るようなポーズで左手を抱え込む。最後の抵抗虚しく、阿部は三橋の左手を掴んだ。
隠していたのは物では無く、自分で手に書いたらしき文字だった。それを見て、阿部は目を丸くした。
「……なんだ? これ」
「あうぅ……」
その手の平には、黒いマジックでただひとこと「次も白星」と書いてあった。
「………………」
どうやら小学生レベルなのは、隠し事が下手なところだけでは無かったらしい。
”―――こういうのって、それこそ小学生とか女子がよくやるよな……願掛けのつもり、なのか?”
三橋がどんな思いでこれを書いたか、はっきりした真意はわからなかったが、
何にしてもかける言葉が見つからず、阿部は三橋の上に座ったまま呆然としていた。
くすくすと肩を震わせて笑い出した阿部を、三橋は半分涙目で見つめている。
「だ、だから、いや、だって……言った、のに、ひどい、阿部くん」
「あー悪かったって」
言いながら、しばらく声を殺して笑い続ける阿部を、三橋は恨めしそうに見ていた。
そのまま目があった。体勢が体勢だった事もあって、ついでみたいなキスを落とす。
風呂上りなだけあって、ふわふわした髪からシャンプーが噎せるほど香り立つ。細い肩を抱き締め、頬と頬をつけた。
「……おまえって、男の癖にやわらけーな……」
「うえぇ……?」
じわりと生理的な欲求が頭を擡げた。熱の篭った視線が交じり合う。――多分、今、考えている事は、お互い同じ事。
だが、そんなわけにいかない事はわかっていた。一階には三橋の親がいるのだ。考えを見透かしたように、三橋は言った。
「……もう寝ないと、明日も朝練…だよ」
「……そ、だな……」
頷きながらも、阿部は重ねた身体を起こそうとはしないでいた。
何かを強請るような、深く黒い瞳に吸い込まれそうになる。
「阿部……くん」
「ん……」
そうして、もう一度名残惜しそうに深いキスをして、彼はようやく身体を起こした。
「あ、あの……」
「ん?」
「い……一緒に、寝る?」
「……やめとく……万が一おばさん来てもまずいし……」
「そ……だね」
電気を消し、床の布団に横になった。
「おやすみ、阿部くん」
「ああ」
灯りの消えた部屋で、お互い見えない事を承知で二人は笑いあった。
閉じた瞼の奥で、その笑顔がきっと勝利を呼ぶ事を―――本当は、二人とも信じている。
2007/11/2 Sioux
微妙に裏の「monochome eden」に続いていたりします。