目の前から失い切れない君へ (※第48回ネタバレ)









肩に食い込む荷。夕陽色に照らされたアスファルトの先に珠色の光が零れ落ちていた。
帰り道を並んで歩きながら、二人はあの日約束した言葉を思い出していた。

『オレ、3年間怪我しねェよ、病気もしねェ。おまえが投げる試合は全部キャッチャーやる』

けど現実は、いつも思い通りにはいかなくて。

今にして思えば、なんて馬鹿な約束をしたんだろう。
夢見がちな少女じゃあるまいし、本当に、馬鹿としか言いようが無い。
恥ずかしさと途方も無い絶望感に涙が出そうになる。

いつだってありえる事なのに、オレは、本当に、今まで一度も考えたこと無かった。

唇を噛み締めながら、三橋と阿部はそんな思いに囚われていた。
”もう三橋に会わせる顔は無いじゃないか”そんな自棄っぱちな事を考えながら黙々と帰路を行く。

「あの……」
同時に口を開いて、「何?」「あ、阿部くんから……」いつもらしい遣り取りを繰り返し、会話を切る。
「んっと……」
そのまま言葉を失くし阿部は深く俯いた。いつのまにか二人とも歩みを止めている。ようやく夏の花が強烈に香っている事に気付いた。

しばらく時が経過しても、阿部はじっと黙ったまま俯き続けていた。
こんな彼を見るのは初めての事だった。まるで普段と立場が入れ替わったようなシチュエーションだと思った。
居心地の悪さも気に止めず、三橋は落ち着いた面持ちで阿部の話を待った。

「………ごめんな」
蝉の声に掻き消えそうな、ぼそっと俯いたひとことは、空気の摩擦にも似た小さな小さな呟きだった。
顔を覗かなくても、きっと涙が滲んでいるであろうことがわかった。

「阿部くん……」
三橋は言葉を捜しながらいつもより丁寧な口調で言った。
「そんな事、気にしなくたっていいんだよ……」
珍しく三橋の気を遣った物言いにも、阿部が顔を上げようとする気配は無かった。

「全然、いいんだから……そんなこと、もう気にしないで」
阿部が謝るような事など、本当に三橋は気にして居なかった。

彼が謝る事なんて、何ひとつ無いと思っていた。それよりも一日も早く元気になって、いつもの彼に戻って欲しい。
それが今の三橋のたったひとつの願いだった。

「……だって、だって……オレ、感謝してるんだ。阿部くんに」
「………え?」
やっと顔をあげた阿部に、内心胸を撫で下ろす。
「オレが今ここに、西浦のエースとして居れるのは、阿部くんのお陰なんだから」
「………」
「阿部くんが謝る事は、ひとつもない。オレは、オレが今ここにいるのは、阿部くんが最初に認めてくれたからだ」

ここに来るまで彼と出会えるまで、たった一人で一体どれだけ投げて、どれだけ涙を流して―――。
最初にそれをわかってくれたのは、他でもない彼だ。誰も示してくれなかった道を、光を、彼はくれた。

「ずっと、阿部くんに頼り切っていた。阿部くんが居ないと、オレはダメだと思っていた。阿部くんが居なくなるとか、怪我するとか、そんな事考えるの、オレ、怖くて……っ!」
「……三橋」
「けど……わかってたんだ、このままじゃいけないって、いつまでも阿部くんに頼ってばかりじゃダメだって」
「……!」

阿部は思った。……そうだ。もう今までの三橋とは違うんだ。
気付いてしまったんだ。オレが居なくても、大丈夫だと。一人でもその足で歩いて行ける事に。

「………おまえにとって………オレって………」
もう、必要ないのかも、そんな言葉を口にしかけた時だった。
「だって!」
大きく張り上げた三橋の声に驚き、言いかけた口を閉じる。
「だって、オレがしっかりしないと、そうじゃないと、せっかく阿部くんが今までオレにしてくれた事が、全部無駄になってしまうから…っ!」
「………え………?」

一人きりだった自分を認めてくれて、ここまで何度も勝利を与えてくれた事。明るい世界に自分を連れて来てくれた事。それはきらきらと輝く星の世界そのものだった。
彼が居なければ、自分はひとつとして何も貰える事は無かっただろう。 彼がくれた世界だったからこそ、本気で護りたいと思えた。

それはずっと、憧れていた他人の世界だった。これまでは指を咥えて見ている事しかできなかった。

羨ましかったのは、単なる勝利だけでは無かった。思えば寧ろ、そんな事は小さな事だったのかも知れない。
自分でも手に入れる事ができる筈なのに、リアルはテレビの中以上に現実味が無かった。見えない檻の中に閉じ込められていた。

そんな星の世界に彼は自分を連れて来てくれた。気が遠くなるほどそれこそ今の自分の全てが!!

「全部、全部、阿部くんのお陰なんだ。オレが今ここに居られるの、全部……っ!」

何があっても失うことはできない。今となっては、それが生きる故。一度掴んでしまった星の感触は永遠に消えないものだった。
失えば今度こそもう一歩も進むこともできないと、体いっぱい三橋は訴えた。

必死の叫びを聞きながら、あの時、試合前に三橋が言っていた言葉を阿部は思い出していた。

「だから、もう、何も気にしないで」
「三橋………」

そっと無造作に伸ばした阿部の手が三橋の頬に触れた。
夕陽が頬にも反射して熱かったが、今はそれさえも感じられなかった。

「やっぱり、ごめん」
「え?」

もう一度彼が呟いた瞬間、三橋の体は抱き締められ、肩に下げていたバッグがどさっと落ちた。









2007.08.28.Sioux