この掌に空は在る
















澄み切る青が眩しい快晴の日だった。

爽やかな初夏の空とは裏腹に、グラウンドの片隅では何に不満があるのかさめざめと三橋が泣いていた。傍らには付き添うように座り込む阿部。
どうして自分がここにいるのか、この場に居合わせた事を不運に思っているみたいな顔つきだった。

一体どんな経緯があってこういう状況下にあるのか? そんな事は好きに妄想してくれればいい。
阿部がお目付け役のように付き合わされていることを考えれば、練習中に彼が少々きつい物言いをしてしまい三橋が泣いてしまったとか――或いはそんなところだろう。

阿部はうんざりとした表情で胡坐をかき、こんな事はもう慣れたといわんばかりの態度を見せていた。
額に浮かぶ汗は練習でのものなのか、こんな状況に対する冷や汗なのかわからなかった。

蛇に睨まれた蛙ならぬ、蛙に泣きつかれた蛇みたいなものだ。こいつが居ないと練習が進まないのだから、離れたくても離れられない。
先程の妄想が真実だとして、彼の内心をひとことで表現するなら”――マタ、ヤッちまった……”そんなところだろう。

飽くことなく声をしゃくらせ顔を伏せて泣き続ける三橋に、阿部は宥めようとするわけでもなくじっと頭を睨みつけていた。
喩え自分の言葉で傷ついたのであっても、こちらに非があると思えなければ謝る必要は無い。それが彼のポリシーの一つらしかった。

誰だって、たまには自分が不幸だと思う事もある。特別類を見ない不幸が訪れなくとも、そう思う事で救われようとする事はある。
そこら辺は彼自身も自覚のあるところだったし、理解のおける心情だった。その割り、彼の口調は意外と三橋に冷たかった。

「そうやって泣いてれば同情するとでも思ってんのか?」

野球に関する事ならともかく、精神面での事なら甘やかしてやる必要は毛頭無い。
寧ろ強くなってくれないと多大に困るのだ。西浦のエースは、こいつ一人なのだから。

三橋が西浦のエースである事――そんな事は、もう上を見れば空があるみたいに当たり前の事なのに、こいつだけがわかってない。
少なくとも現時点でそれは動かし難い事実だった。いつまでも卑屈な態度をとられても、阿部にとって迷惑以外の何物でもないのだ。

「そ、そんな事……思って、な……」

ようやく少しずつ言葉を喋れるようになってきたようだ。この隙を逃すまいと、阿部は畳み掛けるように設問した。

「何か文句とかあるか? 言いたいことがあるなら言ってみろよ、怒らないから」
「な……無……い、よ……」
「本当かよ? オレに不満があるから泣いてるんじゃねえのか?」
「そ、そうじゃ……な、くて……」

ぎゅっと瞑った目尻から、また大粒の涙が流れた。

「阿部くんが怖いとか、思って……泣いてるわけじゃ、無い……」
「へえ? じゃあ、なんで泣いてるんだ?」

三橋はようやくといった感じで、歯の隙間から搾り出すような声を出した。

「……オ、オ……オレが、弱いだけ、だから……」

”なんだ、わかってんじゃん”

「言いたいこと……は、あるかも、しんないけどっ。言いたいこと、言えない、のは……ひくっ、
阿部くんが悪い、んじゃなくて、自分の、そういうところが、悔しく、て……」

”そうだよなあ……こいつがオレに不満とかあるわけ無い”

そんな風に思ったのか、それまで少々胸の内で燻っていた罪悪感も消えた。
枷がとれたみたいに軽くなり、緊張が解けたのか普段より少し饒舌になる。

「……なあ、オレ、おまえにいつでも笑顔が一番いいって言ったけどさ」
「?」
「……少し矛盾するかも知れないけど、辛い時は、泣いたっていいんだぜ」
「………え?」

三橋は時が止まったように口を開けたまま、面食うような表情で止まっていた。同時に涙も止まる。

「例えば……おまえ、オレに不満があるわけじゃないって言ったけど、オレに不満があるとかでもいいしさ……。
上手い例え見つからないけど、どんな時でもいい。泣きたければ泣けよ。んで、それ隠すな」

上手い例えどころか言い方さえ、模索しつつの発言らしい。

「な、な、泣いても……いい、って……阿部くんの前で、泣いても、いいって…こと?」
「ああ、そういうこと」
「え、で、でも……だって……」

何か考え込むように、不安気な顔で三橋は俯いた。

「そ、そんなに……しょっちゅう泣いてたら、き、きっと……嫌われちゃ……う」
「はあ?」

”16歳にもなって未だにそんなにしょっちゅう泣くのかよ!”という叫びを呑み込みつつ、阿部は辛抱強く続けた。

「そんな事で嫌いになるワケねーだろ。そうじゃなくてオレが言ってるのは……あーうまく言えねえ!
とにかく、泣きたい時はムリしないで泣けばいいんだよ、オレは嫌わないから」
「……ほ、本当……に? 」

声のトーンが明るくなったのは、どちらかというと『嫌わない』という単語に対してなのはわかっていたが、敢えてそこを追求するのはやめておいた。

「おまえの事は嫌わない。その代わり、言いたい事言わないのは無しだぞ。泣きながらでも筆談でも何でもいーから、言いたい事は必ず言え! わかったな!」
「う、うう……わ、わかっ……た」

慰めているのか虐めているのか、自分でもよく判らないのだから、傍で見られていたら誤解を招く事は必至だった。

「な、泣いてても、いい、の……?」
「いいよ。泣いて」
「そっ、か……」

三橋の頬に赤みが戻った。ようやく安心を取り戻したようだ。
世話が焼けるといえばその通りだが、この手の事は周期的に訪れる恒例行事のようなものだった。
この繰り返しで三橋が自信をつけてくれるなら、安いものだ。こんな事がある都度、阿部は自分にそう言い聞かせていた。

「よし、じゃあ練習戻るか」
「うっ、うんっ……! オレ、張り切って練習する、よっ!」
「張り切り過ぎて怪我とかすんなよ……あ、それから、お前には言ってないけど――オレは、そういうお前の事が――」

何気に言いかけた言葉に、三橋は耳もくれなかった。

「次、ヒッテングの練習だったよねっ!! オレ、バット取ってくるっ!」
「あっ、ちょ……!」

待てと言葉をかける隙も与えず、三橋は既にそこから姿を消していた。差し伸べた手が、虚しく空を切る。
こういう時の変わり身というか、気持ちの切り替えしは別人のように早い。

「……行っちまいやがった……ったく」
せっかく人が珍しく、自分の気持ちを素直に言おうとしたのに。

「ま、いいか。しょーがねえ」

台詞とは裏腹に彼の足取りは軽く弾み、微笑んだ横顔は楽しんでいるようにさえ見えた。
”なんもわかってねーところが、あいつらしーや”苦笑混じりに呟きつつ、阿部は三橋の後を追った。












いつでも笑顔が一番だけど、ムリに笑うくらいなら、泣けばいいよ。














折角、何の因果か同じチームでバッテリー組んでんだからさ。














2007/12/04 Sioux