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「伊達、先輩の墓の場所は教えて貰えなかったよ」 寮にある伊達の個室へ入るなり、桃はため息をつきながら床へ座り込んだ。 「……そうか」 ―――七牙冥界闘が終わって、半年ほど経ったある日。あの一件に絡む全てが漸く落ち着いて、傷ついた者、失った者たちの深傷が少しずつ癒えてきた頃のこと。 一人、塾長に呼び出された桃は、あの戦いで命を落とした者達について、その後の処遇を一渡り知らされた。 「遺体は実家に引き取られて、葬儀ももう済んだらしい。けど、先輩の家も色々事情有りらしくて『それ以上は教えられない』っていう返事が来たそうだ」 「……ああ」 桃が入ってきた最初から窓辺に腰掛けたままの伊達は、そのままの姿勢で視線を合わせることもなく、ずっと外を眺めたまま、振り返ることもない。 久し振りに誰もいない、二人だけの時間。赤石の存在を失くしてから以降、その事実から目を背けるかの如く、伊達は意識的に桃と二人きりになることを避けていた。 「あのな、伊達」 「何だ」 あの日からずっと、桃が肌身離さず持っている剛刀は、かつて赤石が常にその身へ帯びていたものだ。普段は忘れようと努めていても、この剣を……桃を見る度思い出してしまう。赤く染まった白い髪と、堅く閉ざされた眼差し。―――赤石の、最期の姿を。 「先輩があんな事になって辛いのは解るけど、さ。せめて……墓参りくらい行きたいと思わないか?」 「思わねぇな」 「でもやっぱり、一応は線香の一本もあげて、手を合わせたいじゃないか。……もしかしたら、先輩はそんなこと望まないのかもしれないけど」 「そんなもの、生きてる人間のエゴだろうが」 「伊達!」 「何をどうしたって、死んだ奴は死んだんだ。悔やもうと泣き喚こうと戻ってくるもんじゃねえ。供養だの何だのってな、生きてる人間の自己満足に過ぎねえよ」 「……伊達、いくらお前でもそれ以上は許さないぞ!」 「端から許されようなんざ思ってもねえよ。だが、何を言われようと俺は、あの野郎について今後一切何もしねえし言うことも無え。……死んだ人間のことなぞ、いちいち覚えていられるか」 「伊達、お前!!」 激昂した桃が伊達の胸ぐらを掴んで引き寄せ、睨みつける。だが、伊達はそんな桃の視線に動ずる様子もなく、平静そのものと言った様子で応えた。 「あいつ一人が特別な訳じゃねえ。死んだのは皆一緒だ。 ……ダチだろうが敵だろうが、俺がぶち殺してきた奴らだって生きてた。それを止められたのが哀しいってんなら、俺はこれ以上何人分の過去背負えばいいんだ?」 ―――赤石の存在を忘れられないことそのものが、苦痛でしかないのに。 「……伊達……」 あまりにも静かな伊達の答えへ、桃は勢いを殺がれて伊達の胸元から手を離す。 「……赤石だって、同じだ」 伊達がこの塾へ再び在籍するようになって一年あまり、いくつもの戦いを越え、何人もの存在を失ってきた。 天挑五輪では独眼鉄、蝙翔鬼、男爵ディーノ、大豪院邪鬼。そして、続けざま参戦した七牙冥界闘では、新来のゴバルスキーと……そして、赤石剛次。 これらの戦いで決して楽ではない勝利をおさめる間にも、何人が傷付き倒れ伏し、もう二度と戻らないことを思って、悔し涙にかきくれ過ごしたか知れない。運良く戻れた極々一部の者達も決して無傷では済まず、むしろ己が生還したことを恥じるような様子さえ見せることがあるほどだった。 だから、失った者が例え誰にとってのどんな存在であれ、喪失感は比べようが無いほどに大きく、決してその穴を埋めることは容易ではなかった。 「……ごめん……」 「謝るなよ、桃。お前一人が悪い訳じゃねえ」 「でも……俺は、総代だから」 己が代表として選んだ戦いにおいて発生した死に対し、責任があるから。 「……そうだな」 赤石の存在が伊達にとってどんなものであったか、知るのは恐らく桃一人だけ。そして、桃にとっての赤石の存在が何であったのか知るのも又、伊達のみで。 赤石を後ろ盾と言うほど自分たちは怯懦ではなく、思い人と言うほど甘やかな感情があるわけではない。支配したりされたりなどという月並みな上下関係は存在せず、唯、赤石がそこに居る、そこに在るというだけで自分たち―――少なくとも桃自身は―――これ以上なく安心できた。己の中の一本筋が通ったものが僅かでも揺らいだとき、自らは決して揺らがず、確固たる意志と剛直な信念、そして死をも厭わぬ強さで支えたのが赤石という存在だった。 そして、それだけの大きなものが、今の自分たちから失われてしまっている。 「それに、総代として本当は言っちゃならないことだけど……やっぱり、俺にとって先輩とお前って特別なんだって、解った」 僅かに俯き加減で、ぽつりと呟くように桃が言う。 「何莫迦なこと抜かして……」 「莫迦なことじゃない。だって、先輩やお前に会うまでは、俺、正直気ィ抜いて塾生活送ってた。思ってたより楽だって。こんなんなら、これまで蓄積してきたことを無理に使わなくても過ごせるし、人を傷つけなくて済むならその方がいいって、そう思ってた。 ……でも、違ったんだ」 伊達に向き直ったその表情は、いつも通り穏やかで、柔和な「普段の桃」の顔をしているのに、その目だけがひどく剣呑な光を湛えて、伊達を、そしてその瞳の奥に棲む「失われたもう一人」の姿を見つめていた。 「……」 「俺の闘争本能はやっぱりどっか狂ってて、戦えば戦うほど感覚が研ぎ澄まされて、生きてるのが楽しいって、そう思えてくるように仕向けられてた。強い敵に遭えば遭うほど血が滾って、楽しくて仕方が無くなる。命まで獲ろうとは思わないけど、ぎりぎりまで追い詰めて、その鬩ぎ合いの中でしか知り得ない相手の本質みたいなものに触れたいって、そう思う。 ……その狂気の存在を思い出させてくれたのは赤石先輩で、駆り立てて更に収める方法を教えてくれたのは伊達、お前だった。 ―――だから、やっぱり先輩とお前は俺にとっての「トクベツ」なんだよ」 瞳だけは常と違う色をさせているのに、表情はいつもと変わらぬ優しげな笑みを浮かべて、桃が伊達を正面から抱き締めようと腕を伸ばす。指先が伊達の手に触れて握り込んだ瞬間、桃の表情が一変して凄惨な笑みに変わった。 「俺はもう、戦ってないと落ち着かないようになっちまった。次を、もっと次の戦いをって、常にこの狂気に駆り立てられてる。これ以上犠牲なんか出したくないのに、邪鬼先輩も、赤石先輩ももう居ないのに、万が一この先お前まで失ったら、俺、多分本当に狂っちまうって解るのに、戦いたくて仕方がないんだ」 思い詰めたような桃の声に、これまで数え切れないほどの戦場をくぐり抜け、数多の敵を屠ってきた伊達の本能が危険を告げる。すぐにでもこの両腕をふりほどいてこの場から立ち去らねばと思うのに、床についた手がまるで縫い止められたかのように動かない。 「……桃……?」 「先輩の墓に行って、できることなら骨まで拝ませて貰ってさ、先輩が本当にこの世から居なくなったことを確認できれば、可笑しいくらいに熱いこの欲も収まると思った。……だから、伊達と一緒に行きたかったんだ。 あのとき、先輩から斬岩剣預けられて、お前のことも一緒に頼まれたんだと思った。だからずっと、ずっと大事にしようと思ってた。先輩の代わりは出来ないけど、せめてお前の生きていく場所を俺の近くで見つけてやれたら、お前も少しは楽になれるかなって、勝手にそう考えたんだ。もう俺にはお前しか残されてないことを確認できたら、これ以上狂うこともなくなるって、そう思ったのに……!」 桃の、激しい狂気と深い悲哀に彩られた目の色を見て、伊達の全身が総毛立つ。自分の目の前にいるこの男は、確かに伊達の知る「剣桃太郎」であるのに、今までついぞ見たことはなく、本人すら忘れかけていた精神の深淵をついに覗かせようとしている。 「……止めてくれよ、伊達。俺の中で暴れ出すこの狂った獣を宥めてくれよ。……でないと俺、いつか戦いでお前を失くしちまう……!」 「やめろ、桃っ!!」 桃はまるで大切なものを扱うかのように、そっと伊達の手を引いて床に倒し、肩口を押さえつける。通常であったなら、桃は伊達が本気で拒めばこれ以上先へ進むことは無く、伊達自身も体術で何とか逃れられる程度のじゃれ合いに過ぎなかった。なのに、今日の桃の力は、感じる限りではそれほどの力が込められているとは思えないのに、いつもの桃よりも数段……否、伊達が全力で逃れようともがいても、その力が緩められぬほどに強い。 「何で? 何で俺を拒む? 俺が先輩じゃないから、今こうして弱りかけてるお前のこと支えてやれないから、だからダメなのか? ……先輩が生きてる間は許してくれたのに」 「違う、そんなんじゃねえ!」 それは、表には決して語ることの出来ぬ、赤石と桃と、伊達の三人がそれぞれを共有する関係。 三年前に伊達が赤石と出会ってさえ居なければ、伊達は、桃だけを見ろと言われて見続けることに無理は無かっただろう。勝者が敗者に対して下した命令ではなく、確かに二人だけの戦いを通してのみ感じ合えた何かが、互いを惹き付けずにはおかなかった。 赤石にせよ、こうして伊達が戻ってくることが叶わなければ、もしかしたら桃を――嘗ての伊達と同じ「一号生筆頭」という立場であり、また自分と互角の腕を持った者として―――唯一情を通じ合わせていたのかも知れなかった。決して伊達の身代わりではない、桃自身の存在が希有なものとして見え始めていた矢先でもあったのだ。 だが、そんな赤石と伊達の切れかけた絆を繋ぐ者として現れたのが、桃だった。 そう成り得たのは勿論それが「桃であったから」としか言いようがない。三年前でさえ、二人の縁が「戦い」と言う名で繋がれていたことは誰にも気付かれなかった筈だ。だが、桃はまるで図ったかのように、最初は赤石の前、そして次には伊達の眼前で、磨き上げられた刃から閃光を放ちながら、二人それぞれに絡みついていた呪縛を解き放ち、解け掛け忘れ去られようとしていた絆を思い出させた。そして二人と対等、もしくはそれ以上の力を持ち、更には戦いの中にあって止まることなく進化する強さで、二人の目を自分から余所へ向かせなかった。 ―――最初にして最後の、身をも焼き尽くすほどの鮮輝で二人の心を貫いたのだ。 当初は眩し過ぎて惑わされた。赤石や伊達には決して持ち得ない明るさと強さが、今までそんな感情をついぞ抱かなかった筈の嫉妬心めいたものまで呼び起こすほど、焦がれずには居られなかった。戦って、その命を奪わねば自分が焼かれてしまうと思ったから、戦わずには居られなかった。 けれど、光は熱く、目映く。刃を、拳を合わせるたび、己の中の余計なものが削ぎ落とされ灼かれていくのを感じた。戦うことで解り合う心地よさを知ってしまった。そしてこの快感はなにものにも代え難く、誰を相手にしても得られる感情ではないことも同時に悟った。悟るしかなかった。 それまでの生で、赤石と伊達は互い以上の存在を見出せなかったのに、ここへ互いの存在とほぼ同等の、そして自分にはない種類の輝きを持った「桃」という人間に出会ってしまった。 己の中の不純物がすべて灼き尽くされ、鍛え上げられた鋼のように成り得たとき、桃は己の力量に合う存在として、自分達を手に入れたがった。 『二人とも、俺のものになってよ』 八連も終えたある夜、三人で呑んでいた時に突如そう告げられ、赤石も伊達も一瞬言葉を失った。 『俺ね、二人が互いのこと気に入ってるのは知ってる。でも、二人とも俺を気に入ってくれてるのも解ってる。 俺自身は二人のこと大好きで、どっちが一番とか、決められないくらい。……で、考えた』 そして桃はにこりと、あの人を魅了せずにおかない微笑みで二人を見回す。 『だったら、二人とも俺のものにしちゃえばいいじゃないかって。二人は互いのこと気に入ってるの、別に邪魔する気は無いんだ。それに、二人とも俺が望んだら、多分俺のこと最優先にしてくれるでしょう? ……だから、俺は三人で居ることを最上にしたい。俺が一番幸せで、俺が一番安定する形をとらせて貰おうって、そう思った』 内容としては全く普通ではないことを告げるのに何ほどの躊躇いもなく、その内容がごく当然であるかのように言われてしまえば、認める以外に道は残されていなかった。考えてみれば確かに、それぞれにとって最上の状態がそれであって、ましてそれが桃自身からの提案であるなら、二人に全く異存は無かったのだ。 そう、無邪気過ぎるほどのこの輝きを最上のものとして、己の持つ全てで陰となり、この輝きをより強くさせて向かう先が何処なのか、赤石も伊達も見定めずには居られなかった。 ―――だが、ここに全く予想し得なかったことが起きてしまった。 桃の曰く「三人で居ることが最上」な状態は、誰か一人が欠けてしまえば、そこに強大な不安定要素が紛れ込んでしまうことだ。それを桃が考えていなかった訳ではないが、それは今ではなく、もっと先の話であるはずだった。三人で居ることが当たり前になってまだ日は浅く、関係もさほど多かったわけでもない。安定するにはもう少し時間が必要であり、三人のうち誰一人としてこんなに早く失われて良い存在ではなかった。 本当に数えるほどの夜だった。二人で漸く支えきれたくらいに桃は貪欲で、我が侭だった。赤石に抱かれ、伊達を抱いて、それでもまだ満ち足りぬかのように、限りなくいつまでも二人を求めた。「二人が俺を見てると、一番安心するんだ」と甘えたように語っていた。 旧知新来を問わず誰に対しても寛容で、博愛精神の如きものまで持って分け隔て無く接することの出来る桃は、その寛く深すぎる情の源を二人に求めていた。赤石も伊達も、桃にそんな浅い情は求めなかったからだ。 求められなかった分、桃が自分を含めた三人分をさらに二人へ求め、満たされることを望んだ。汲めども尽きぬ泉のように、二人は「傍にいる」というただそれだけで、桃の精神を満たしていた。桃は自分の中にあるその深淵を、己が最上とする二人に満たされているが故に安定し、己が持つ昏いそこに気付かなかった。 なのに、最上のうち一つが失われ、残る一つが揺らぎだしてしまった。 ……伊達本人にさえ、予想外の出来事だった。容赦なく本気で手合わせできるだけの存在だった筈の赤石へ、こんなにも執着していたこと。いつの間にか赤石の存在を確固たるものにしてしまっていたこと。 丁度、時期が悪かったのだ。今でこそ全員が健在ではあるものの、当時伊達が自らの支えとして率いていた、まるで疑似家族にも似た関係の三人を八連で失った直後だった。伊達は驚邏で対戦した相手側四人に対し、もと敵であった自分だけが残されたことについて、例え様のない喪失感を感じていた。かと言って、四人が伊達に対してどうこう言ったりした訳ではない。それまでは気に止めることも無かった疎外感は、伊達が九十九分の一を得たかの生き地獄より生還した日から必ず自分について回る、当たり前の存在だったから。 伊達は、そんな感情が己にあることが嫌だった。あの日以来、感情をどこかに置き忘れた子供、それが自分「伊達臣人」だった。既に名も覚えていない誰かに飼われていくつかの仕事をこなし、気がつけば三面拳がそばにいた。信頼はしていなかったが、ただその腕を信用していた。共に仕事の回数を重ねるうち、信用は信頼に換わり、何時しか四人での和が出来ていた。飼い主が死亡して行き場を無くした伊達と共に居たいと、存在するところを作ってくれたのはこの三人だったのだ。今まではそうやって生きてきた。伊達には、それで何一つ不自由などなかった。 桃の持つ輝きに削がれ灼かれて、己の心を貫かれたあの瞬間から、伊達は少しずつ感情を蘇らせつつあった。だからこその喪失感、それゆえの疎外感を感じずには居られなかった。なのに、八連から戻った己を待ち構えるように赤石が居り、気紛れに預けたままの槍を放り寄越して来たのだ。 『何腑抜けたツラ見せてやがる。本当のお楽しみはこっからだろうが』 あの剛刀が唸りを上げて伊達へと襲いかかり、一瞬前まで自分が立っていた地面を撃つ。 『この日を三年以上待った……手加減は、しねえ』 闘気に満ちた赤石の刃が、容赦なく繰り出された。伊達は考える暇もなくその斬撃を躱し、刃を逸らし、槍の穂先で勢いを殺す。 八連が終わって眠りかけていた己の本性が、目を覚ました。 酔った。血に、剣戟に、戦いに、そして―――赤石に。戦の中でこその自分だった。五感が研ぎ澄まされ、全身で赤石の気配を追う。次に繰り出してくるのはどこからか。上か、下か、右か、左か。突くのか、斬るのか、本気なのか、それとも誘いか。 ……たまらなかった。 生き残ったが故の苦しさを知るかと思ったが、それ以上に生き残った歓喜を、戦う愉しみを思い出した。最初の九十九人、嘗ての主、三面拳、皆が自分を残して逝った。だが―――赤石が、居た。三年前から変わらずに、むしろその強さを増して。 ―――とうとう本当の居場所を、見つけたと思った。なのに何故、その場所が今無いのかが解らなかった。 何故自分が満たされないのか。どうしてこんなにも乾いているのかが解らない。いつもと同じ日、いつもと同じ場所、いつもと同じ月があって、いつもと同じく―――桃が傍に居るのに。 「……なあ伊達、俺を見てよ。この半年、お前俺を見てくれてない。俺の背にあるこの朱鞘、この剣しかお前見てない。先輩が居ないだけだって苦しいのに、こんなお前見てるのは俺、もっと辛い……」 伊達を押さえつけ見下ろしていた桃の眼差しが、危うい光に彩られ揺れていた。涙を流すのかと思うほど弱々しく瞼が震えているのに、満たされることを忘れて乾ききった眼から、一粒の涙も零れてくることは無かった。 「お前のこと大好きなのに、お前に何も出来ない。お前がこんなにも俺を見てくれてるのに、俺じゃない俺を見てるのが解っちまうから、いつまで経っても満たされない。……伊達、頼むから俺のことだけ見ててくれよ……!」 輪郭を定めていた陰がひとつ失われ、光の輝きは強すぎて、己の身さえ灼こうとしていた。光輪は止まることなく広がり続け、己の存在を自覚できなくなりつつあった。ひとつの大きな陰が失われて、もう一つあった陰の存在も危うく揺らぎ始めたとき、輝きは己を成す部分がどこまで広がっているのか、どれが己の領分なのかが解らず、ただ拡散し消えて行くだけの存在になりかけていた。 「俺、自分が自分で解らなくなってきちまった。赤石先輩が居ない、ただそれだけのことなのに、伊達はその喪失感で自分まで無くし掛けてる。俺はお前を失くしたくないのに、今戦えばお前を失くしかねないのも解ってるのに、『もしかしたら』って思っちまう。戦えばもとの伊達が戻ってくるんじゃないか、戦いの中にさえあれば、一番綺麗でかっこいい、元のお前が還ってくるんじゃないかって、そんな期待しちまいそうになる。伊達、お願いだから俺を見て、名前呼んでくれよ。……いつもみたいに」 「も、も……」 桃に対する先程までの恐怖感は、既に無かった。伊達は目の前で頼りなく揺れるこの光を、赤石に渡された最上の輝きをただ、護りたいと思った。 「伊達……?」 赤石が残した輪郭を、せめて自分が保たなければならない。将であることの孤独は、誰よりも自分が一番良く知っている筈だった。伊達は己が最上とした存在を、これ以上失うわけにはいかないのだ―――例え、赤石を忘れることになろうとも。 「……桃……悪かったな」 肩を押さえる力が緩められたのを感じて、伊達が桃へ腕を伸ばす。微かに震える背を、そっと引き寄せて抱き締めた。 「俺を、食えよ」 それで、桃の昏く空虚な深淵が満ち、この輝きが増してゆくのなら。 「伊達……」 あの日からずっと、半年以上交わされることの無かった、行為。生殖の為ではなく、互いの生存を確認しあうために触れられているような気がする。赤石とは違う、けれど伊達に触れ慣れた掌が、その肌を撫でるように動いていく。 「桃……」 ひくりと、伊達の咽喉が鳴る。息が浅く、脈拍が早まってゆく。戦うときと同じように、身体が熱くなる。伊達は幾度も桃の名を呼んだ。桃がそこに居ること、そこに在ることを確かめるかのように、伊達の手は必ず桃の身体のどこかに触れていた。 この温もりが消えぬ内は、伊達は伊達自身のものでなく、唯一、最上のために生き続けねばならない。 朱鞘の剛刀を持つ者こそが、己の最上。 ―――伊達は、赤石の名を呼ぶ声を、失おうとしていた。 <くずれゆくもの・了> |