空蝉









 眩いほど白く、己が視界を奪っていた闇がひらけたその瞬間、目に入ったのは。

 赤く、白く、染められた身体。

(これは、駄目だ)
 これまでに何度もよく似た場面を見てきた自分には、状況を理解するより先に、まずその言葉が浮かんだ。
 力強く地を踏みしめていた躯が、膝の力を失い仰け反るようにして倒れる。眉間から血を流しつつ何事か伝えようとするその姿を見た時、伊達はそれが「誰」か、「自分にとってどんな存在であるか」などではなく、ただ機械的に「間もなく、この男が死ぬ」という確かな事実だけを感じたのみだった。
(赤石が、死ぬ……?)
 殊更に口に出すことは無いけれど、その言葉が持つ意味を、ひいてはその結果を見届けねばならぬという状況に思い至って、初めて伊達は取り乱しかけている自分に気付く。
(冗談じゃねえ)
 取り乱してなどなるものか。
 例えどんな状況になろうと、何が起きようと、ここは戦場だ。勝利を収めたわけでも−−ましてやこの戦いが終わったわけでもない。皆の神経が挙ってそれへ向いていようと、自分だけはこれ以上の何が起きても対処できるよう、ここで気を抜いてはならない。

 そう、「誰」が死に臨んでいようとも。

 死に逝くものを一番近くで看取るのは、大将の役目だ。それはこの莫迦げた「ゲーム」への参戦を決め、参加者を選び出し、統率する立場の人間に負わされた責務と言ってもいい。一軍の将として、勝つことも負けることも、戻る者戻らぬ者、勝者敗者全てを見つめて迎えるのが、その座につく者の決して逃れられぬ運命なのだから。
 以前富士の山頂で桃に対する負けを認め、その右に座すことを求められ、それを受け入れた時から、伊達は己の全てを―――そう、命でさえ―――この男が握り、この男の言葉は何よりも優先されるものとして己の上にあると、そう決めて生きてきたのだ。
 つまらない喧嘩の血に紛れた日常に倦み始めていた己へ、戦場を、生き場所を与えてくれたこの男よりも優先すべきものなど、己に有り得る筈はなかった。

 唯一、「赤石剛次」という存在を除いては。

 戦うことの愉しさを、一歩間違えばどちらが死んでもおかしくないほど、生死の端境でやりとりする命の駆け引きを、通常の手合わせとはかけ離れた、血煙に酔いながら刃を交わす、あの心躍る一瞬一瞬を教えたのは、赤石唯一人だけ。
 そんな存在を、伊達は桃と出逢う三年前に知ってしまっていた。
 だが、己は既に大将ではないから。
 軍の一翼を担うことは出来ても、一軍を率いる立場には既に無いから、同じ大将を上に戴く者が死に逝くからと、課せられた任務を放り捨て傍で看取ることなど、あってはならないのだ。

 虎丸が赤石の元へ走り寄り、泣きながら何事か叫んでいる。いつものように熱く、激しく。思ったままの感情を素直に迸らせることのできる虎丸は、己にはない真っ直ぐさを思い知らされるようで―――時に腹立たしく、また羨ましくさえ思えた時もあった。

 彼を囲む輪の外周で周囲に気を配りながら、五感を研ぎ澄ませ、赤石の気配を、言葉を、音を、存在全てを細大漏らさず感じようと必死になっていることさえ無様だと己を笑いたいくらいなのに。
 せめて指先一つ、視線の一度で良い、交わすことが出来るなら、赤石の死を実感して受け止めることが出来るだろうに―――そんな隙さえ与えられぬまま、赤石が持つ生の気配が、だんだん薄らいでゆく。
 その身体から、目には見えぬ「魂」とやらが抜け出ようとしているかのように、呼吸が浅く、脈拍が弱くなって。

(もう、すぐだ)

 傍らであの剛刀―――いつでも必ず赤石の傍にあって、魂の一部でさえあった―――を預けられた桃が、息をのむ気配がする。
 自分には一瞥もくれることもないまま、赤石の瞼が閉じられようとしていた。
 「赤石」という存在が、この世から消え失せようとしている。
(赤石……!)
 ことり、と指から力が抜けて地へと落ちる。
 僅かに開いた口元から、微かな吐息が漏れた。
 
 小さく、瞑目する。
(終わり、だ)

 ―――どこかで、小さく罅の入る音が聞こえた。



 運ばれてゆくのは、唯の空蝉。かつて「赤石」と呼ばれた男の、魂の抜け殻だ。
 既に温もりは失われつつあり、その人を具象っていた姿は、どんなに留めていたくとも、いずれは朽ちてゆく容れ物でしかないのだから。


「行くぞ、桃」
 赤石の躯に背を向けて行かなければ。己の中に、大きな空洞が出来たような気がしても。
「……無駄にするんじゃねえ」
 「赤石の死を」と言った筈の声は、何故か音にならなかった。


 ―――虚になったのが伊達の方だと桃が気付いたのは、赤石が逝ってから半年の後だった。


<空蝉 了>




<空蝉・後書きめいたもの>(反転でお願いします)
Blog初出: 2008-01-23 (Wed) 04:23:22

塾小説やっとやっとの初後悔公開です。
書き出してから仕上げるのに少し手間取っていたのですが、1月22日明け方の、銀翠さんとの絵チャットで色々インスピレーションを戴きまして、漸く仕上げることが出来ました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました!

赤伊達は関係として3年前(伊達が以前塾に在籍してたとき)から始まってますが、実際深く(躰の関係含む)なるのは戻ってきてからかなと思っております。そのへんのどこから書き始めるかで結構迷ったのですけれど、結局一度二人の関係が強制的に終わらせられるところからになってしまいました。ここから遡ったり(塾時代)現状を描いたり(天高〜暁)しつつ、ぼちぼち書き進められたら良いなと思っております。
多分うちのサイトは、本命赤伊達でも、剛次さんが剛次さんなので(訳解らん)ある種では伊達総受け状態になってしまうと思います。
そんなんでも宜しければ今後ともどうぞ宜しくお付き合い下さいませ。



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