キミの名前



御剣の目の前で、先程からくつろいでカップを煽っている男はいささか神出鬼没のきらいがあって、時折とんでもない所で出くわす事がある。
だから、大体どんな場所で会おうとあまり驚かない…のだが。

「…神乃木荘龍」

「何だい?」

「何故、アナタがここにいる!!」

「人は何故コーヒーを飲むのか、アンタに分かるかい?どんなコトにだって理由はあるモンだぜ。オレがココにいる理由…ソイツはアンタに会いに来たからさ」

「………」

ここは、検事局である。
ホイホイと立ち入れる場所ではない。ましてや、目の前の男は元検事ではあるが、今や執行猶予を受けている身なのだが。こんなに目立つ男が一体どうやって入ってきたのか、しかもペーパードリップのためのセットまでご丁寧に抱えて。

「…私はどうやって入ってきたのかを、聞いているのだが」

「コーヒーの飲み方にはイロイロあるが、まあクチ以外から飲むヤツは滅多にいねえ。だから、ソイツをわざわざ聞くヤツもいねえ。オレは普通に入り口から入ってきた、それだけだぜ?」

「………」

この男に何かを聞く方が間違いなのだろうか。御剣は頭を抱えた。
と、神乃木にカップを渡される。ため息をつきながら、御剣はソレを受け取った。
ひとまず苦いソレを口に含み、何か言ってやろうと名を呼んだ時、神乃木に片手をあげて言葉を止められた。

「…オイオイ、ソイツは何とかならねえかい?」

「何のコトだ、神乃木荘龍」

「ソレさ」

指先を唇に突き付けられる。ひるむ御剣に指先で唇をなぞりながら、神乃木が顔を近づけた。

「…学校のセンセイじゃねえんだ。もう少し、粋に呼びな。ソイツがコイビトの名前なら、尚更、な」

「こッ……!?」

ニヤニヤと笑う神乃木の顔は、もうほとんど目と鼻の先だ。少し動くだけで、触れてしまいそうなくらいに。

「アンタは、オレを何て呼びてえんだい…?」

囁くように言われて、御剣はぐっと息を飲んだ。
そんな事を今更、しかもいきなり言われても困る。オマケにこんな至近距離で。ついでに妙に背筋の辺りにゾクゾク来るような声で。
御剣は、思わず視線を逸らした。
思えば6年前に会った時から、すでにフルネームで呼んでいた気がする。だが、本当に御剣が呼びたかった呼び方は…。

「…神乃木弁護士」

「…!」

「すまない、言ってみただけだ」

神乃木が離れて行ったのが分かり、目線を戻すと、神乃木は肩をすくめていた。

「クッ、……ボウヤには敵わねえな」

「…6年前に呼んでおくんだったな」

「……ああ」

神乃木は手にしたコーヒーを苦いような顔で、飲み干した。
そんな神乃木に、ふと思い付いて御剣も言った。

「アナタは、どうなのだ?」

「…?」

「私もアナタに、ちゃんと名前を呼ばれた試しがない。コイビトの名前なら、尚更、だろう?」

「違えねえ」

ニヤリと笑って、神乃木は御剣に向けてカップを傾けた。

「ミッチャン」

「断る!!」

「…クッ、ワガママなボウヤだぜ」

間髪を入れずに返す御剣に神乃木は楽しそうに笑った。
何がワガママなのかは知らないが、そんなよりによって宇宙服と金魚鉢のヘルメットの人物を思い出させるような呼び名は困る。
同じく苦々しい顔になった御剣に、神乃木が再び顔を近づけてきた。そうして、ゆっくりと囁いた。

「……レイジ」

「!」

驚く御剣に、何も言う隙も与えず、唇を合わせる。
苦い味のキスを交わしながら、この男は卑怯だ、と御剣は思った。

(私こそ、アナタには敵わない)



END

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