コーヒー味のキス




【某月某日某時刻 成歩堂弁護士事務所】


「なんのつもりだい…成歩堂…?」

「ぼく、神乃木さんのコトが好きなんです」

夜も深まった時刻、成歩堂弁護士事務所の応接室のソファに神乃木は押し倒されていた。
その弁護士事務所の現所長・成歩堂龍一に。

「いいか、成歩堂…コーヒーを飲むためには、まずジュンビってヤツがいる。手間暇を惜しんじゃ、うまいコーヒーにはありつけねえ」

「…」

「順番がチガウんじゃねえのか?そういうセリフは、とりあえず押し倒しながら言うコトじゃねえぜ…」

いきなりソファに押し倒された割には、神乃木は慌てた様子もなかった。
それどころか、押し倒された際に手に持っていたカップの中身を1滴もこぼしておらず、寝転がった姿勢のまま器用にぐいっと煽ってみせる。

「まずは、そのトガッたアタマを冷やすコトだぜ、成歩堂。なんならこの冷めちまったコーヒー、アンタにオゴるかい?」

そう言って神乃木が向けたカップを、成歩堂は奪うように受け取り、ぐっと飲み干した。

「おい…」

まさか本当に飲むとは思ってなかったのか、声をかける神乃木に、カップの中身を飲みきった成歩堂が再びのしかかる。
そのまま口を塞ぎ、引き離そうとする動きより一瞬早く、その液体を流し込む。馴染んだ苦味に、それを抵抗もなく飲み下し、神乃木の喉仏が動いた。
ただ、後を追うように入り込んできた成歩堂の舌だけは丁重に押し返したが。
顔を離した成歩堂は、神乃木の仮面の奥を覗きこむようにして、にっこりと笑った。

「コーヒーの味のキス、ですね…」

「…苦い思い出…ってヤツさ。コーヒーの闇にまぎれて、すぐに消えちまうぜ」

「ぼくは忘れません」

成歩堂からカップを取り返し、神乃木は中身のなくなったそれを眺める。

「…アンタはひとつカン違いしてるコトがある。オレにだってコーヒーを飲みたくない時ってのは、あるんだぜ?それがどんなにうまいコーヒーだったとしても、どんなに手間をかけた物だとしても、…それがどんなに想いのこもったものであったとしても、だ」

「だったら…抵抗してください」

「…」

ソファに押し倒されたままの姿勢で、神乃木は動こうともしない。片手は成歩堂に押さえられるままで、もう片手はカップを持ち、ただだらりと下げたままだ。

「神乃木さん、イヤなら…嫌がってください。――でないと」

(このまま…ぼくもアナタをどうするか分からない…)

「…」

もう一度、神乃木の唇にキスを落とす。薄く開かれた唇からは、先程のコーヒーの香りがした。

「神乃木さん」

顔を離し、確かめるように呟くと、首の後ろに神乃木の手が回り、引き寄せられた。そのまま神乃木の肩口に顔を埋めさせられる。

「…クッ…」

耳元の、ごく近い距離で声が聞こえる。耳に響くような、あの声だ。

「どんなにコーヒーの闇を煽ろうと、飲み干そうと、闇は消えねえ。だからこそ、オレはそれを止められねえのかもな」

首の後ろの手は、頭に移動し、そのまま撫でられる。

「成歩堂、どうやら…今はコーヒーを飲みたくない気分じゃ、ないようだぜ…」

「………」

肩口に顔を埋めたまま、ダラダラと汗ばみ始める成歩堂の様子に、神乃木は訝しげに声をかけた。

「オイ、成歩堂?」

「…神乃木さん…、スミマセンが、意味が分かりません…」

何を言いたいかは分からなくもないが、肝心の、一番知りたいイエスかノーかがよく分からない。

「クッ…物分りの悪いボウヤ、…どうかと思うぜ」

顔を上げさせ、空のカップを成歩堂に突き付ける。

「もう一度、オレに飲ませてくれねえか。アンタのそのクチで、熱いコーヒーを、な」






ソファからベッドに移動し、成歩堂がシャワーから出てくると、ベッドの側にはコーヒーメーカーが設置され、コポコポという音と共に、熱い湯気をたてていた。

「か、神乃木さん…?」

「言ったろ?うまいコーヒーを飲むためにはジュンビってヤツが必要なんだぜ」

カップはしっかりと2人分用意されている。

(ホントにコーヒーを飲むだけ、なんてコト、ないよな…?)

神乃木の分かりにくい喋り方が、今更ながらに恨めしい。
しかし、シャワーを浴びたばかりだというのに、冷や汗をダラダラ流す成歩堂の心配は杞憂だったようで、神乃木はベッドに腰掛け、着ていたベストのボタンを外し始める。
ベストを脱ぎ捨て、ネクタイを緩め、外そうとした手を、成歩堂は掴んで止めた。

「待った!!」

「…何だ?」

問いかける神乃木の腕を掴んだまま、その隣に腰を降ろす。

「神乃木さん、ぼくに脱がさせて下さい」

にっと嬉しそうに笑うその顔を、呆れたように眺め、「ヘンな趣味だぜ」と言いながらも、神乃木は好きにしなと促した。
その肩と腰に手を回し、体を支えながら、そっとベッドに押し倒す。
ネクタイを抜き取り、シャツのボタンをゆっくりと外していく。
全部外し終わる前に、我慢できなくなって、先に服に手を入れ、肌の感触を確かめる。そのまま手の平を滑らせて、背中の方に回すと、それに合わせるように神乃木は背を反らした。

「クッ…、くすぐったいぜ、成歩堂…」

背中を撫でながら、片手で残ったボタンを外し、シャツを開き、腹の辺りに口を付ける。

(すごい…固いな)

何年も眠っていた人間とは思えないほど、固くて締まった体をしている。点々と口付けを繰り返しながら、胸元まで舌を這わせたあたりで、神乃木の喉がグッと鳴る。そして、ふっと息をつく音。

(この辺がヨワイのか?)

だがその時、ふと熱い空気を感じ、成歩堂は顔を上げた。
そして、成歩堂は一瞬、目を疑った。

「い、異議あり!!」

「何だい?」

「神乃木さん!な、何ですか、その……コーヒーは!?」

突き付けた指の先では、神乃木がにやにやと笑い、その手にはいつの間にやら、いつものカップが握られていた。
ずっと成歩堂の下で横たわっていた筈なのに、そして神乃木の位置からは、コーヒーメーカーにはどうやっても手が届かない筈なのだが。

「ベッドで眠りの闇の中に落ちる前には、コーヒーの闇を飲み干す…オレのルールだぜ」

「異議あり!!」

バン!とベッドに両手を叩き付ける。

「今夜は寝かせません!だから、そのコーヒーは必要ない筈だ!」

「…クッ!」

神乃木は、その言葉にニヤリと口の端を歪めて、…そのまま笑い始めた。

「神乃木さん…」

成歩堂としては割と真剣な言葉だったのだが、珍しく肩を震わせて笑い続ける神乃木に、改めて恥ずかしくなってしまい、顔を真っ赤にして冷や汗を流した。

(ううう…自分だって普段恥ずかしいコト言ってるのに…ズルいぞ…)

そんな成歩堂に、まだ笑いながらも手を伸ばし、頭を撫でる。

「悪いが、異議ありだぜ、成歩堂。オレは眠る前にはコーヒーを飲むコトにしているが、アツイ一戦を交える時にも、ホットなコーヒーを飲むんだぜ?」

(や、やっぱり恥ずかしいヒトだ…)

ふと、たっぷりと中身の入った大き目のサーバーに不安を感じ、尋ねてみる。

「もしかして…ベッドでも何杯か飲むんですか?」

「ああ、だがカフェインは眠りの女神サマに嫉妬するんでな。…ベッドでは5杯までと決めてるぜ」

(それじゃ、やってるヒマが、ないじゃないか!!)

だが成歩堂の想いをよそに、神乃木はゆったりと構えてコーヒーの香りなど嗅いでいる。

「どうした、成歩堂?早くしないと、このコーヒーも、オレも、冷めちゃうぜ?」

からかうようにカップを向ける神乃木に、そっとため息をついてから、成歩堂は改めてニヤリと笑みを浮かべる。

「分かりました。神乃木さん、そのコーヒーよりも、ムチュウにさせて見せますよ」






そうは言ったものの、ずっとカップを持たれていると、下手をすると、いつコーヒーの雨を浴びせられるか、分かったものじゃない。
キスの合間に、さりげなくカップを取り上げたり、中身を何度か神乃木の喉に流し込んだりしたが、それでもいつの間にやら、その手にはやはりカップが握られている。
いい加減諦めて、というより、成歩堂自身が夢中になり始め、カップの事を忘れた頃、神乃木が言った。

「…待った」

「え」

成歩堂の頭を掴み、行為を中断させる。ふーっと長くついた息が、僅かに震えているように思えた。

「これ以上は…コーヒーの闇だけでは隠しきれねえぜ。ヒミツってヤツは、いつでも真に深い闇の中にだけ、そっとしまっておくモンさ」

「…………あの?」

神乃木にはまだ余裕があるのか、こんなときでもやはり分かりにくい。
文字通り、おあずけを食らったような顔で見つめ返す成歩堂を宥めるように、神乃木は付け加えた。

「灯りを消しな、成歩堂。闇を晴らすためのミルクは、今は必要ねえ筈だぜ」

言いながら、顔を逸らす。その横顔がいつもより赤く見えるのは、例の仮面の光のせいかも知れなかったけれど。
その顔が見れなくなるのは少し惜しいような気がしながらも、成歩堂は灯りを消した。
が、すぐに付け直した。

「…どうした、成歩堂」

「か、神乃木さん…、その仮面、取ってください…」

多少、脱力しながら神乃木に指を向ける。
確かに顔が見れなくなるのは惜しいと思ったが、流石に暗闇で赤く薄ぼんやり光られると嫌な物がある。

「クッ…!ワガママなボウヤだぜ…」

(ワガママとか、そういう問題なのか…?)

そう言いながらも、神乃木はすんなりと仮面を外した。
考えて見れば、成歩堂が神乃木の素顔を見るのは、これが初めてだった。
いつか、千尋の残した資料で見たままの顔。だが、今目の前にいる神乃木の目の下には顔を横断するほどの大きな傷、そして目は、彼の髪と同じ銀の色に変わっていた。
想像はしていたものの、実際に見るその素顔に、胸を突かれる様な感覚を覚えた。思わず引き寄せられるように近づき、指でそっと傷の痕をなぞり、まぶたにキスを落とす。
そのまま神乃木を再びベッドに横たわらせると、下からもう一度「待った」がかかった。

「成歩堂…オレは灯りを消せと言った筈だぜ?」

「…そ、そうでした…」

「別に焦る必要はねえさ、コーヒーはジュンビしている間だって、楽しいモン、なんだぜ」

灯りを消して戻ってきた成歩堂が神乃木の肩を抱くと、神乃木も腕を回してきた。
両腕で抱き込んで、ベッドの中に引き入れられる。
探るように体に触れていき、指先が頭のトンガリをかすめた時、神乃木はクッと笑った。

「…何ですか?」

「いや…どんな闇の中でも、アンタはアンタだと思って、な」

「どうでもいいですけど…後ろアタマ握らないでくださいよ…」

「ここがアタマなら、カオはこの辺か」

「神乃木さん…ヒトのカオ、わし掴みにしないでください…」

「見えねえんでな、ガマンしな。…おっと、これがハナだな」

「つ…つままないでくださいって…」

「で、ここがクチか…」

そう神乃木の声が聞こえた次の瞬間には、柔らかい感触で唇を塞がれていた。
ヒゲがざりざりと当たって、コーヒーの香りがする、神乃木のキスだ。
試しに舌を入れてみると、今回はちゃんと答えてくれる。というか、何度も角度を変えてきたり、そのたびに自分から深く絡ませてきたり、さっきまでとは違い、いやに積極的だ。
ようやく離れていった後、あんなに激しかった割に、口元に唾液もあまり付いてない事に、ふと気付いた。

(飲んでるな…このヒト…)

改めて照れながらも目を開くと、先程よりも目が慣れたのか、暗闇の中にぼんやりと神乃木の顔が見える。
神乃木には見えていない筈だが、その視線は狂いもなくまっすぐこちらに向けられていて、まるで見つめ合っているような錯覚を起こした。

「コーヒー味のキス、か。確かにな。悪くないぜ…」

「まだ、苦い思い出になりそうですか…?」

神乃木は、いつものようにクッと笑った。

「コーヒーってのはな、なにも苦味だけじゃねえんだぜ。よーく味わって見れば分かる。…ほのかな甘みだってあるのさ」

笑う神乃木に顔を寄せ、その唇に触れる。
やはり成歩堂の舌にはコーヒーの苦味しか感じられなかったけれど。

(…甘いのは、コーヒーのせいだけじゃ、ありませんよ)

そう言い返そうとしたが、また大笑いされると恥ずかしいので、やめた。






END






初書き逆裁SSです。
とりあえず、ベッドでもカップを離さない神乃木さんを書こうと思って書いた話。
エロを書くつもりで、わざわざ押し倒した状態から始めたのに、キスどまりなのはどういうわけだ…。

逆裁INDEX / TOP