初めてのコーヒー |
背中の方から、小さく水がはねる音が聞こえた。 初めは気のせいかと思ったが、成歩堂の体の動きに合わせて、断続的にそれが鳴る。 小さな音だったが、ここまで密着していると、流石に聞こえる。そして気になる。ついでに重い。 「…神乃木さん」 「何だい?」 「このコーヒーカップ、どけてくださいよ」 さっきから、何故か背中にコーヒーカップを乗せられている。 中のコーヒーはもう冷めているようで熱くはなかったが、こんなモノを素の肌に乗せられると困る。 モチロン置いたのは、成歩堂の体の下で何やら楽しげなカオをしている、神乃木だ。 両腕を背中に回して抱き付いてくれているのは嬉しいが、さりげなく手に持っていたカップの置き場にしないで欲しい。しかも、重みからするとまだ結構中身が入ってそうだ。 「クッ…ボウヤがあんまりまどろっこしいんでな、腕が疲れちまったのさ」 「い、いやいや!このままだとぼく動けませんから!」 まだコトの最中だと言うのに、下手に動くと、2人とも布団ごとコーヒーまみれになりそうだ。 ただでさえ、しょっちゅうコーヒーまみれのスーツをクリーニングに出していて、いい加減クリーニング屋に悪いイミでカオを覚えられているというのに、この上コーヒー染めの布団まで作りたくはない。 「…それとも、カップからコーヒーがこぼれないくらいに、優しくして欲しいんですか?」 不意に背中が軽くなり、神乃木が逆手でカップを取り上げたのが見えた。そのまま、布団の側の棚にソレを置く。 カップをどけてしまうと、圧し掛かっていた成歩堂の体を押し、繋いだ体を離す事もなく座らせた。神乃木自身も起き上がって座り、向かい合う形になる。 「優しく…ねえ。…アンタはそれで満足できるのかい?」 「神乃木さんがそうして欲しいなら、そうしますよ」 「…お断りだぜ」 そう言うと、神乃木は成歩堂の肩を掴み、自分から動き始めた。多分さっきのコーヒーがあれば、ほとんど零れてしまうような激しさで。 成歩堂の膝の上にいる神乃木はいつもよりも格段に頭の位置が高い。彼に腕を回されると、アタマを抱き込まれるようになって、全く前が見えなかった。 成歩堂のアタマを支えにして、神乃木は上下に腰を揺さぶってくる。その急激に追い上げてくる動きに思わず飲まれそうになる。ちょうど抱えられた耳の横に神乃木の顔があるらしく、彼の息が荒くなってきているのが、アタマの中にいやに響いて聞こえた。 激しい刺激と、耳元に届く彼から漏れる声とで、アタマをいっぱいにされ、だんだんと何も考えられなくなってくる。 (こ、このままだと、すぐにイカされる…!) 成歩堂がそう思った時、にわかに動きが緩やかなモノに変わった。 それでも動き自体は止めず、じわじわとした刺激を与えられる。気が付くと、成歩堂の息もひどく上がっていた。 神乃木も少し疲れたように、腕を回したまますっかり体を預けてもたれかかってきていた。2人とも汗だくになっていて、触れた肌と肌が湿り気を帯びていた。 神乃木は肩口にカオを埋めてしばらく熱い息を吐いていたが、やがて荒くなった息を押さえつけるように整えると、ゆっくりと話しはじめた。 「薄いカフェインじゃ…、いつまで経っても眠気は取れないぜ。分かるかい、効かねえんだよ。…なァ…弁護士サン。アンタ、プロなんだろう?」 「…い、今は弁護士は関係ありませんよ」 「……弁護士じゃねえさ。成歩堂、アンタ一体何回オレを抱いたと思ってるんだ?…アンタはオレを抱くプロ、なんだろう?…しっかり良くしてくれよ」 「……!」 反射的に腰を抱えて、彼を布団に押し倒す。 痛くないようにゆっくりととは思ったが、大きく音が立った。少し性急になっている気がするが、思い切り火を点けられた上に、更にそんなコトまで言われたら、もう止めようがない。 「…神乃木さん」 呼ぶと、神乃木はいつものように口角をあげて笑った。その口元を塞ぐ為に、成歩堂は体を落とす。 これから、しっかりと、良くする為に。 (プロ、か…) コトが終り、成歩堂は布団に仰向けに転がっていた。 神乃木は今、後始末がてらシャワーを浴びに行っていて、その水音がかすかに聞こえている。 確かに神乃木が言う通り、もう数えるのも無理なくらいに何度も彼を抱いた。 何も分からなくて、法廷同様の勢いとハッタリで突き進んでいた最初の時よりも、もう随分と手馴れただろうと思う。 彼がどの辺りがヨワいかも一応心得てるし、どんな風にされるのが好きなのかもそれなりに分かっているツモリだ。 ただ、今でも自分の方が先にイッてしまうコトのほうがアキラカに多いのが、クヤしくはあるが。 初めて彼を抱いた時、勢いに任せて押し倒して告白した成歩堂を、神乃木は意外なほどアッサリと受け入れた。 あの時、成歩堂は綱渡りのような気分でコトを進めたが、対して神乃木は落ち着いて余裕を見せていた。 …男に抱かれるというのに。 (モチロン…初めてじゃ、なかったんだろうな) いやに慣れた様子で、くつろいでコーヒーまで煽っていた姿が思い出される。 まあ、神乃木はキンチョーしてようがしてまいが、カップは離しそうにもないが。 (今まで、何人くらい相手にしたんだろう…) フト、そんなコトを思う。女性相手は言わずもがなだが、…男性相手にも手馴れているように見えた。 (……何か…やたら経験多そうだな…神乃木さん) 思わず妙な想像をしてしまい、成歩堂は汗をダラダラと流した。 その時、カオにいきなり濡れたタオルを押し付けられた。 「うわっ!?」 「クッ…、汗だくじゃねえか、弁護士サン?」 タオルをどかしながら跳ね起きると、いつの間にか神乃木が戻ってきていた。 確かに聞こえていた水音もいつの間にか止まっていたし、成歩堂も考え事に気を取られてはいたが、キッチリ服を着込み、いつもの仮面もつけ、髪もスッカリ乾いて、更に新しく淹れたコーヒーまで当然のように手にしている神乃木は早技とかいう次元を超えていると思う。結構大きい筈の、風呂のドアを開け閉めする音すら気付かなかった。 「アンタも早くシャワー浴びてきな、汗臭いぜ」 言いながら、神乃木は畳に直に座る。 ココは成歩堂の家だ。前に想像した通り、畳の部屋はまったく似合わないヒトだったが、それでも時折神乃木はこの部屋にやってくる。 もう大体のモノの位置は把握されているようだし、仮面なしで問題なく1人で風呂に入れるくらいにはココに馴染んでいるらしい。それでもコッソリ隠していた筈のエロDVDを引っ張り出されて、それを見られていた時には流石にひっくり返ったが。 ついでにその時、男同士とは言え、あんまりおおっぴらに見られたくはないような写真が載ったパッケージをクルクルと眺める神乃木に、とんでもないコトを言われたのを思い出す。 「…オトコ同士のはないのかい?」 「あ、あるワケないでしょう、そんなモノ!!」 「…」 そして慌てて答えた成歩堂を、含むコトありげに見返していた神乃木のコトも思い出した。 (あの時は動転していて気が付かなかったけど…) 神乃木を見ると、いつも通りくつろいでコーヒーを飲んでいる。手に持っている以外に、ちゃぶ台にもカップが置いてある。どうやら2杯目に突入しているらしい。 そのまま見ていると、急に神乃木が口を開いた。 「…何だい?」 「…え」 「どうやら弁護士サンはシャワーを後回しにして、言いたいコトがあるらしいな。話してみな、…聞いてやるぜ」 「……!」 言ってカップを置き、彼がこちらを向いた。ずっと聞くに聞けなかったコトではあるが。 (…聞くのなら、今しかないな…) 覚悟を決めて、それを口に出す。 「…神乃木さん!アナタの初めての経験はいつでしたか?…って、うわああ!!」 いきなりカップが飛んできた。近距離だろうが遠距離だろうが相変わらず狙いは正確で、トンガリ頭にキッチリと逆さまにカップを乗せられていた。中身は全て成歩堂のカオにかかっている。 ちょうど上手い具合に手に濡れタオルを持っていたので、それでカオとアタマを拭く。すると、頭に乗っかっていたコーヒーカップを神乃木に回収された。 「甘酸っぱい想い出は、誰のココロの中にも隠れてるモンさ。若さと青さとバカさってヤツと一緒にな。アンタ、そん なモンをワザワザ引きずり出したいのかい?」 「…いや、ぼくの聞きたいのはそうじゃなくて…スイマセン、言い直します」 今ヒトツ聞きにくいコトのせいか、どうも上手く言葉にしにくい。だが、今チャンと聞いておかないと、おそらく2度と機会はないだろう。 「神乃木さん…、ぼく以外にどれくらいの男の人と寝ましたか?」 「……」 気がつくと、神乃木は新たに湯気の立ったコーヒーカップを手にしていた。成歩堂が先ほどオゴられた分と合わせて、ちゃぶ台の上のカップはすでに2つにまで増えている。答えを待ち、見守る成歩堂をよそに、ゆっくりと手にしたカップの中身の香りを楽しみ、味わっている。 やがて、一気にカップを煽ると、神乃木は口を開いた。 「ようするに…弁護士サンは、オレの初めてのオトコってヤツが知りてえらしいな」 「……ええ」 「…くだらねェな」 中身を飲み終えたらしいカップを、ちゃぶ台の上に更に並べ、神乃木はその横に肘をついた。 「…アンタは、オトコ相手はオレが初めてだったらしいな」 「え」 振られ返されて、成歩堂は曖昧に笑みを浮かべた。 「その…、分かりますか?」 「…オレに、やり方を聞いてたからな」 確かにあまりにも落ち着いていた神乃木に、思わず聞いてしまったような気もする。最も、教えては貰えなかったが。 「なあ成歩堂、…アンタは初めてコーヒーを飲んだのはいつか、覚えているかい」 「いえ…たぶん小学生くらいだとは思いますけど」 「オレも覚えちゃいねえ。…モノゴコロついた時には、もう飲んでいたからな」 (早ェ!!) 「だから、初めてのコーヒーの味はオレも覚えてねえ。…モチロン、初めて法廷で飲んだコーヒーの味も、な。初めてなんて、そんなモンだぜ?」 「…!初めて法廷で飲んだコーヒーのコトも覚えていないんですか?」 成歩堂は驚いたように聞き返した。 流石にソレはないだろう。成歩堂が初めて法廷で飲んだコーヒーは、目の前の男が顔面めがけてオゴってくれたモノだったせいか、もはや忘れようがない。 その後、何度も何度もコーヒーを引っ掛けられたコトも一回一回克明に覚えている。そして、彼の検事としての最後の法廷で神乃木と酌み交わした、あのコーヒーの味も。 まあ成歩堂にとってはどれもこれもインパクトのある出来事だったが。それにしても、いくら毎度法廷でコーヒーをガブ飲みしていた神乃木でも、流石に法廷に最初にコーヒーを持ち込んだ時のコトくらいは、印象深く残るモノだと思うのだが。 「ああ、初めて法廷でコーヒーを飲んだ時のコトは覚えているがな…。だが味は記憶にはねえぜ」 「どうしてですか?」 「クッ…!誰だって初めはシロートさ。キンチョーしてたんだろうぜ。初舞台にふさわしいブレンドを用意したんだがな、…味も分からなかったぜ」 「初法廷で、いきなりコーヒーを持ち込んだんですか!!」 「…弁護席と裁判長のオジイチャンが、2人で仲良くアワ吹いてたぜ?」 (どんな法廷だよ!) 裁判長と星影のコトだろうか。どちらにせよ、よく法廷侮辱罪で叩き出されなかったモノだが、その光景はイヤというほど目に浮かんだ。 (…何か…裁判長もイロイロ苦労してたみたいだな…) まあ成歩堂自身もそれなりに振り回されているので、同情する気にはなれなかったが。 「分かったかい、ボウヤ。初めてなんて、所詮くだらねえモンだぜ。オレは法廷で、何杯ものコーヒーを煽ってきた。ウマいコーヒーもあれば、マズいコーヒーもあっただろうぜ。だが、一回一回チャンと覚えているワケじゃねえ。それでも…一生忘れない味はあるがな」 「忘れない味…ですか?」 聞き返すと、コーヒーカップを手渡された。いつ淹れたんだよ!とは思ったが、神乃木自身もまた更に新たなカップを手にしているのを見て、もう突っ込むのはやめておくコトにした。 「アンタも知ってるだろう?……検事席で最後に飲んだコーヒー、だぜ。アンタと一緒に飲んだ、な」 「…神乃木さん」 受け取ったコーヒーを成歩堂も口にする。気のせいか、あの時彼と飲んだコーヒーの味と似ている気がした。 あの時のコーヒーは色々な意味でニガ過ぎたが、それでも、この先あれ以上のキモチで飲むコトはないだろう。目の前の彼も、それは同じのようだ。 「順番なんてモンに大した意味はねえさ、回数もな。……アンタとは最高のコーヒーを飲んだ。それでヨシとしようぜ」 「…それは、法廷のコトですか?セックスのコトですか?」 「……ドッチでも同じコト、だぜ」 はぐらかされた気もするが、暗に特別だと言ってくれた神乃木に、成歩堂は何となくこれ以上の追求をする気をなくしていた。おそらく…このヒトはハッキリとは言ってくれないだろう。 成歩堂は手の中のコーヒーをぐいっと煽った。このヒトから貰うコーヒーはいつもニガくて濃かったが、最近はそれに慣れたせいか、他のコーヒーだとどうも飲んだ気がしない。薄く感じてしまうのだ。 …最高のコーヒーを飲んでしまったから。 知ったからには、他のモノでは満足できない。だから、このヒトにも。 (……他のコーヒーでは、満足できなくなってもらいますよ) 目の前で悠々とコーヒーを楽しむ神乃木に決意を固める。すると手が伸びてきて、ポンポンとまるで宥めるかのようにアタマを撫でられた。手の動きと同様に、優しいような声で囁かれる。 「まだ…オレの初めてってヤツが気になるかい?」 「…いいえ」 「そうだな…くだらねェコトは忘れちゃいな。……どうせ、オレの最後はアンタなんだ」 「え」 思わずカップを取り落としそうになる。 「えええええええええッ!?」 「…近所メイワクだぜ、成歩堂」 (い、今、スゴいコトを言われた気がするぞ……!!) あまりのコトに一瞬、何を言われたか分からなかった。にわかにキョーレツにノドが渇いてきて、残ったコーヒーを一気に飲み干す。ガブ飲みしたコトで少し落ち着いたが、味はもう全く分からなかった。 口元を拭う成歩堂を、神乃木はニヤニヤと楽しげに見ている。 神乃木が、どこまで本気なのかは分からないが。 「今の証言…もう一度詳しくお願いします」 「オイオイ…、チャンスの女神サマってのは短髪なんだぜ?女神サマが後ろを向いちまったら、どんなに手を伸ばしても後ろ髪は掴めねェのさ。…ダイジなコトは1度しか言わねえ、ソイツがオレのルールだぜ。だから、アンタがしっかり覚えておきな」 もう言ってくれないらしい。 大事なコトをいきなりサラっと言うのは止めて欲しい。もう1度、できればもっと微に入り細に入り、ゆっくりとじっくりと聞きたかったが。 でも、聞いたからには忘れない。このヒトから、せっかく大事な証言を捕まえたのだから。 「…もう1杯、コーヒーを貰えますか」 「…いいぜ。たっぷりと味わいな」 もうヒトツ、カップを受け取る。神乃木もまた新しいカップを持っていて、ちゃぶ台の上はもうカップだらけだ。 オカワリしたコーヒーも味はサッパリ分からなかったが、それでも味がするようになるまで飲もうと思った。多分、…今日のコーヒーは忘れられない味になる。 オカワリするごとに1杯点てで出されるコーヒーの熱さもあって、のぼせたような気分になりながら、神乃木と2人でコーヒーを飲みあった。この濃いカフェインで、もう今晩は眠気が訪れるコトもないだろう。 そうして、その日は一晩中、部屋の明かりが消えるコトはなかった。 「そう言えば、ぼくとの初めての時に飲んだコーヒーはどうでした?一生忘れない味になりそうですか」 「言わなかったかい?誰だってシロートってヤツはキンチョーするモンなんだぜ。味なんて分からなかったさ」 「…」 「……」 「………」 「ま、待った!!…い、今モノスゴいコトを言われた気が…!」 「そうかい?」 「その、今の件について詳しく証言をお願いします!!」 「1回で覚えな、弁護士サン。…女神サマに呆れられるぜ」 「…だから、不意打ちすぎるんですよ!!」 END |
昔書いた「コーヒー味のキス」「長い夜」辺りとリンクしているような話です。 神乃木さんのオトコ経験に関しては、サイト開設時から決めていて、上記2つの話もそのツモリで書いたんですが、 最近自分で読み直してみた所、全くそうとは読み取れなかったのでフォローしてみました。 |