再会



【 某月 某日 某時刻 留置所面会室 】



「よォ、誰かと思えば、ヒラヒラの検事サンじゃねえか」

そう言いながら面会室のガラス越しに座ったその男の手には、いきなりコーヒーカップが握られていた。
それを見た御剣は、怪訝に声をかけた。

「…そこは留置所の中では、ないのか?」

「ああ、ボウヤが送り込んでくれたおトモダチが大勢いる場所、だぜ」

「…そのカップはどこから出したのだ」

「誰にもオレとコーヒーの熱い仲は裂けやしないさ。…いろいろと応援してくれるお節介なヤツも、いるようだしな」

御剣自身が、神乃木に面会するのは初めてだったが、成歩堂や真宵などは頻繁に会いに来ているようだった。そして、会いに行くたびにコーヒーを差し入れていると聞いていた。
確かに法廷でもほとんどカップを手放さなかったほどの呆れたカフェイン中毒だが、いきなり面会室でコーヒーを煽られていると、御剣としても眉間にしわが寄るというものだ。
御剣は、自分の持ってきていたコーヒーの入った保温ポットを、そっと足元に隠した。確かにこれ以外、差し入れるものも思いつかないのだが。

「ああ、そういやいつだったか、例の刑事が手作りの弁当を持ってきてたぜ」

「む、あれは…その、一応止めたのだが」

過去、御剣が一度だけ留置所に入れられた時も、糸鋸刑事に弁当を差し入れられた事がある。あまりに強烈だったので、今でも時々夢に見る事があるくらいだ。

「オドロいたぜ…。まさかメシにインスタントコーヒーを粉のまま、ぶっかけるヤツがいるなんてな」

「なっ…ウインナーではないのか!?」

必要以上に驚く御剣に、神乃木が聞き返した。

「…何のコトだい?」

「い、いや…それでその、アナタはソレを食べたのか」

「…ありゃあ、食えたモンじゃなかったぜ。オレはインスタントなんて物は認めねえコトにしている。手軽な物は、しょせんお手軽な味しかしねえ。ホンモノを知った舌には、到底物足りねえのさ」

(どうやら、…食べたようだが…)

オマケにインスタントでなければ、喜んで食べたような物言いだ。
コーヒーのフリカケご飯をリアルに想像してしまい、思わずしかめ面になる御剣を、にやにやと見つめていた神乃木だったが、ふいに笑みを消した。

「さて…くだらねえ世間話はここまでだぜ、ヒラヒラさんよォ」

「…!」

「オレの見たところ、アンタは用もなしにフラフラこんな場所に来るヤツじゃねえ。そして用もなしにオレみてえなヤツに話しかけるヤツでもねえ。いいから、とどめを刺しな。…その為に来たんだろ?」

御剣はひとつため息をついた。神乃木の言う事はある意味では正しい。だが…。

「…神乃木荘龍、アナタの裁判の日が決まった」

「クッ…いい加減、待ちくたびれちまってたトコロだぜ」

「だが、アナタの担当をするのは、私ではない」

神乃木は手にしていたカップをゆっくりと置いた。カップからは、まだ湯気が立ち上っている。

「…てコトは、あのムチのトクイなじゃじゃ馬お嬢ちゃんかい?」

「彼女は、今はもうこの国を離れている。アナタの裁判は、…アウチ検事が担当するコトになるだろう」

「オイオイ…ウワサの天才検事サンはオレとは遊んでくれねえのかい?」

「…アナタは、ヒトの名前をちゃんと呼べないのか?」

御剣の言葉には答えず、神乃木は何かを考えるように仮面に指を当てた。

「………オレはアンタの裁きを望んでいる」

「裁くのは裁判官であって、検事ではない。それに私は、あの事件に臨時とはいえ、弁護士として関わった。…検事として関わるコトはできない」

「ソイツは残念だな。アンタなら、オレに熱い判決をくらわせてくれるかと期待してたんだがな」

「…私からも聞きたい。アナタは成歩堂の弁護を断ったと聞いている。…何故だろうか」

成歩堂は何度もここに通い、その度に弁護を申し入れているらしいが、同じ数だけ神乃木は断り続けているそうだ。

「コーヒーを飲めば、必ず苦い目に遭うモンだぜ。オレはそれを知っていて、あえて飲み干したのさ。とびっきり苦くて、喉を焼くような、黒くて熱いコーヒーをな。オレが今待っているのは、そのツケ、だぜ」

(…この男はフツーには喋れんのだろうか…)

6年前、初の法廷で会った時から、すでにこの調子ではあったが。そして彼が毒に倒れるまでに、何度か裁判所で会うことがあったが、やはり毎回同じ調子だった。
いつ聞いても、意味がよく分からない。

「…ともかく、アナタには正当な弁護を受ける権利がある」

「ああ、そして、正当な裁きも、な」

神乃木は置いていたカップを再び取り上げた。だが飲むわけでもなく、ただ香りを味わうのみだ。

「そう…もう何も未練はねえ、ハズだった…」

その軽く首を振る神乃木の動きが、香りを嗅いでいるのではなく、否定のものだと御剣が気付いた時、神乃木はゆっくりと話し始めた。

「成歩堂の中にアイツが受け継がれているのなら…、あのトンガリ弁護士の弁護でオレの罪が計られるなら、それも悪くねえ、最初はそう思ってたさ。……だがな、オレは気付いちまった」

「……」

「何もかも失くしちまったアトだってのに…オレは未だに欲張りだったのさ。
…昔はオレも弁護士だった。数えきれねえほどの法廷を見たし、戦ったさ。
…だが、オレを本当に熱くさせてくれた法廷は、アンタと…チヒロの初法廷だけだった。
だからこそ、決着を付けさせなかったあの女をオレは憎んだ。そしてオレはもう一度、チヒロを法廷に立たせようとした。
…クッ、結局、オレがソイツを見るコトは2度となかったがな」

神乃木はそこまで言うと、手にしたカップの中身を飲み干した。そしてカラッポになってしまったカップを眺める。
仮面を付けた神乃木の表情は読めない。そして、こんな時にかける言葉を、御剣はあまり知らない。

ふと持って来ていた保温ポットの事を思い出し、神乃木に渡そうとしたが、どこからともなく新しいカップが滑ってきて神乃木の手に収まった。

(……異議を唱えても、構わんのだろうか……)

しかし、御剣が何か言い掛ける前に、「謎はそっとしておいたほうが、ロマンチックだぜ?」と阻まれてしまった。

「それは、弁護士の言葉としても、検事の言葉としても、どうかと思うが…」

「ココは法廷でも、真実を追究する場でもねえさ」

神乃木はいつものようにヒトを食ったような顔で、笑ったままだ。
成歩堂はよく、この男の仮面の奥の感情を読んでいたようだが、御剣には分からなかった。6年前のまだ仮面を付けていなかった頃から、この男は、その例え話と一緒で、いつだって分かりにくい。

「……レイジ。もう一度、言うぜ。アンタ、オレを裁いてくれねえか」

「先ほども言ったが…それは…」

言い掛ける御剣を、神乃木はカップを持ち上げて制する。

「幾つもの法廷を経験して…最後に見るのがてめえ自身の裁き、クッ…随分とシャレてるじゃねえか。崖っぷち弁護士だけじゃ、足りねえ。もう一度、見せてくれよ、アツイ法廷ってヤツを……アンタと成歩堂で……」

「それは…私が引き受けなければ、成歩堂の弁護も受けないと言っているのか」

「物分りのいいボウヤ、嫌いじゃないぜ。半端な法廷なら、いらねえ。元よりどんな判決だろうが、オレは構わねえ。……オレの最後のワガママさ」

最後、という言葉に僅かに胸が痛んだ。その言葉を訂正させることは、御剣の立場ではできない。
御剣は神乃木から目を背けた。

「…仮に私が担当したとしたら、私は、アナタの罪を徹底的に糾弾するだろう」

「ああ」

「何もかも、白日の下に晒されるコトになる」

「いいんじゃねえか」

「そして、私の法廷では決してコーヒーは飲ませない」

「ソイツは困るな」

目線を戻すと、神乃木はやはり、いつものようにニヤニヤと笑っている。その仮面をつけた顔が、6年前に見た素顔と重なった気がした。

「……私は、アナタと一度法廷で戦ってみたかった」

「常勝のボウヤに土をつけてやるヤボな趣味はねえぜ」

「…それはもう、昔のことだ」

「オレももう、弁護士じゃねえさ」

6年前となんら変わらないようでいて、ひどく違う。
それは、この男の髪の色だけでも、昔と比べて随分と落ち着いた自分の服装だけでもなくて。ガラスの向こうの男が、近いようでいて、どうしようもなく遠い場所にいるのと同じように。

神乃木はふいに時計を見上げて、呟いた。

「さて…そろそろ時間のようだな。次は、法廷で会おうぜ…?」

さっさと立ち上がる神乃木に、御剣は「待った」を掛ける。

「まだ、私は引き受けるとは言っていないぞ!」

すると神乃木はニヤリと笑って、手にしたカップを、御剣の目の前のガラスにコンと当てた。

「またな、……検事サン」

それだけ言うと、もう聞くことも話すこともないとばかりに、そのまま面会室から、出て行ってしまう。
面会室にとり残された御剣は、しばらく苦々しげに難しい顔をしていたが、やがてひとつ息をつくと、神乃木がカップを当てていったあたりを指で軽く弾いた。
同じく、コンと音が鳴る。

「……ああ、また会おう」

そうして立ち上がろうとした時、足元で何かがぶつかり倒れる音がした。
怪訝に思いながら見下ろすと、そこには渡し忘れた保温ポットが転がっていた。

「………」






【 同日 某時刻 留置所面会室 】



「早過ぎる再会…カッコつかねえぜ?」

「うるさいッ!忘れ物を届けに来ただけだ。すぐに帰らせてもらう!」

「係員に渡せば、良かったんじゃねえのか?」

「ぐっ、また会おうと言ったのはキサマではないかッ!!」

「それを言ったのは、アンタだぜ?」

「き、聞いていたのか……」

「さあて、な?」






END






御剣×ゴドーを書く前に、まずはこの2人の会話を書く練習をしようと思って書いた話。
なので、今の所、健全話にしてあります。
とりあえず、神乃木さんに御剣の事を「ヒラヒラ」と呼ばせよう!
と心に決めて書き始めましたが、2行目でいきなり目的達成してしまい、少し困りました。
ところで、御剣の神乃木さんの呼び方がイマイチ思いつかない…。

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