ネズミの会議



「何だい、こりゃあ…」

「鍵ですよ」

神乃木は時折、ふらりとやって来ては成歩堂の事務所のソファで眠っているコトがある。
仮眠用のベッドも一応あるというのにだ。
念の為に毛布も用意はしてみたが、いい加減寒くなってきた事もあり、あまり神乃木の体に良さそうにも思えない。

だから、思いきってソレを渡した。
弁護士バッジを模したキーホルダーが付けられた、鍵を。

神乃木は指で、ホンモノよりもミョーにキラキラしているパッジの部分を弾いた。

「…弁護士ボウヤは、よっぽどコイツが好きらしいな」

(確かに好きだけど…)

弁護士になったばかりの時には、あまりにも嬉しくて人に会うたびに見せびらかしたものだ。
実は未だにその癖が抜けなくて、ついつい見せびらかしてしまうのだが。真宵や糸鋸刑事には、いい加減呆れられているが、何故か不思議とやめられない。
時々、裁判中にも証拠として突き付けそうになってしまうコトがあるが、あれは自分でもどうしてなのか、良く分からない。勢いだろうか。

それはさておき。

「あの…神乃木さん、ソッチにばっかり注目しないでくださいよ」

とりあえず見て欲しいのは、キーホルダーではない。

「クッ、ボウヤからの招待状…ってヤツかい?」

神乃木はキーの形を指先で確かめるように、なぞる。キーホルダーに付いた鈴が、手の中で涼しげな音を立てた。

「…アンタはオレを一体、ドコに招待するツモリだい?」

「……」

(…ぼくのウチなんだけど…何だろう、ミョーに言いにくいぞ…)

ソレは成歩堂の部屋の鍵だ。

渡してしまった後だが、ふと自分の部屋を思い浮かべて躊躇してしまう。
自分の部屋は、まあそこそこキレイな方だと思う。とりあえずトイレにはかなり自信がある。事務所のトイレよりも数倍キレイだ。

だが、何となく、畳の部屋にいる神乃木の姿が想像できない。ミョーに似合わない気がする。
前に御剣を部屋に入れた時に、靴のままで上がられてしまったのをフト思い出した。
海外暮らしの長かった御剣がウッカリ上がってしまったのはともかく、続いて矢張まで土足でズカズカ上がり込んできたのは、よく分からなかったが。
その時に畳を拭きながら、いつかフローリングに変えてやろうと思ったものだが、早く変えておけば良かった。

だが。

(今更、後戻りはできないぞ…!)

この際、靴で上がり込まれようと、コーヒーをこぼされて畳を闇色に染められても構わない。幸い、ゾウキンを縫うのは小学生の頃から得意だ。

「ソレは…ぼくの部屋の鍵です」

「クッ…、そして心のドアを開く鍵でもある、か」

「…………え」

キーが神乃木の指輪にぶつかって、音が鳴る。
見守っていると、神乃木はソレを掌に納めたまま、代わりのようにカップを手渡してきた。

「…カップの中の闇を暴きたければ、方法はヒトツ。飲み込むコトさ。…成歩堂、アンタにソイツができるかい?」

「ええ、モチロンですよ」

「………」

胸を張って返す成歩堂に、ふと驚いたように神乃木は黙り込んだ。

「…神乃木さん?」

「…てっきりボウヤは、また意味が分からねえって言うツモリかと思ったぜ?」

(分かってるんなら、もっと分かりやすく喋ってくださいよ!)

渡されたコーヒーを、一口含み、ノドを潤す。いつも通り、苦くて、そしてほのかな酸味がある。少し濃い目に入れられた、神乃木のブレンドだ。
彼のブレンドはいつも濃くて、もうこの味に慣れてしまったのか、他のコーヒーでは時々物足りないと感じるコトがある。

「コーヒーの種類は分からなくても、ぼくだって美味しいかどうかくらいは分かります。それに、ぼくは神乃木さんを受け止めたい」

「……」

「いつでも来てくれて、構いません。闇もいくらでも飲み込みますよ、畳だっていくらでも拭きます」

「……何だい、その畳ってのは?」

「……気にしないでください」

とにかく証明するように、手渡されたコーヒーを一気に飲み干す。
まだ熱かったソレは胃の辺りでポカポカとしている。体の内側から熱くなって、なんだか気分が高揚する。

「神乃木さん」

カラになったカップを見せると、神乃木は小さく笑った。
キーに軽くキスを落とし、チリンと音を立てながら、ソレを仕舞う。

「…コイツは預かっておくぜ、成歩堂」

カラのカップを成歩堂の手から取り上げて背を向ける。
神乃木が動くたびに小さく鳴る鈴の音に、どこかくすぐったいような感覚を覚えた。








だが、その後、しばらく神乃木は姿を見せなかった。

いつだって気まぐれのようにしか、事務所に現れないのだから、いつものコトと言えば、それまでなのだが。
それでも、あんなコトがあった後に姿を見せてくれないのは、胃に悪い。
誰もいない事務所にガッカリするだけでなく、誰もいない自分の部屋にまで、ガッカリする羽目になるとは思わなかった。

(ううう…、やっぱり渡すんじゃ、なかったかな…)

なるべく期待しないようにしながら帰っても、やっぱり暗い部屋には、どこかヘコんでしまう。
成歩堂はドアの前で、大きく息をついた。
何となく今日も人の気配がない気がする。誰もいなくても、あまり気を落とさなくても済むように、自分に言い聞かせながら、深呼吸を繰り返す。

(まあ、ああいうヒトだからな…)

深呼吸は最後には、思わずため息に変わっていた。
息をつきながら、コートを探って、鍵を探す。こんな時に限って、なかなか見つからない。

その時、ふいに鈴の音が聞こえた気がした。

「……入らないのかい、弁護士サン?」

「え」

慌てて振り返ると、いつの間にか、後ろに神乃木が立っていた。

壁にもたれながら、いつものように、手にカップを持って。

「鍵が見つからねえんなら、開けてやるぜ?」

笑いながら上げた手の中で、チリン、と音が鳴る。
彼の手の中には、おそらく、いつも成歩堂が見せびらかしてるモノと同じ形のキーホルダーがあるのだろう。

「………」

(……何か、ズルイな…このヒトは…)

タイミングを計ってやってるとしか思えない。こんなタイミングで来られたら…。

(…嬉しいじゃないですか)

「何だい、ボウヤ?」

「…何でもないです」

自然にほころぶような顔を誤魔化すように笑っていると、神乃木が鈴の音をさせながら、ドアを開けた。
開かれた部屋の中はいつも通りに暗かったが、どうやらヘコむ必要はなさそうだった。






END






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