近付く足音



日が西に傾いた頃、ふと視界の端に赤い光を目にした気がして、御剣は足を止めた。
イヤと言うほど、覚えのある光…特に最近は。
街中であれば、車のランプという事もありうるが、ココは公園の中である。こんな所でそんな光を出す物はありえない。
まさかと思いつつも、見渡して、予想通りの人物を見つけた。

(神乃木荘龍…)

湖の前の柵によりかかって、いつも通りコーヒーカップを手にしている。
こんな所でコーヒーを飲んで、果たしてカップに虫は入らないのかとも思うが、神乃木はそんなことを気にした風もなく、ただ佇んでいる。何をしているのか、よく分からない。

考え事をしているようにも、ぼーっとしているようにも見えないその男に、御剣は近づいた。
そちらに足を向けると、神乃木はすぐに御剣の方に顔を向けた。

「レイジ…」

「なッ…!?」

いつも、ボウヤだとか検事サンだとかヒラヒラだとか、ロクな呼び方をしない神乃木にいきなり普通に呼ばれて御剣は目を剥いた。
何か悪い物でも食べたのだろうか。すぐに思い当たることと言えばカフェインの大量摂取だが。それ以外にも何かやっているのだろうか、この男は。

「こっ、こんな所で一体何をしている」

多少うろたえながらも、御剣が問うと、神乃木はいつも通りの不敵な笑みを浮かべた。

「クッ、コーヒーを飲むのに、理由なんかいらねえさ。目の前に香り高いコーヒーがあれば、ソイツを飲まないヤツはいねえ。そういうコトだぜ?」

いつも通りよく分からない。そして、いつか言われたコトとムジュンしている気がする。
が、下手に指摘すると更に分からない答えが帰ってきそうなので、ソレは考えないことにしておく。
どうやら様子が違うように見えたのは、気のせいのようだ。いつもの、この男の気まぐれだったのだろう。
ため息をつきながら、神乃木に近づき、隣で同じように柵によりかかった。

日が傾いたとはいえ、辺りはまだ暑い。だが、こうすると湖の冷気が背中に昇ってきて、暑さを散らしてくれるように思える。
振り返ると、湖の向こうに沈む夕日が見えた。赤い色を水面に映し、キラキラと反射させている。
それを何とはなく見ていると、ふと首元を軽く引かれた。
見ると、神乃木が御剣の首元のヒラヒラで遊んでいる。

「神乃木荘龍…ソレをいじるのは、やめてもらえないだろうか」

「気にしねえコトだぜ。減るモンでもねえだろ?」

まあ、確かに減りはしない。万が一減ったとしても、3段もあるのだ。それに、家にもスペアがいくつもある。仮にこのまま神乃木に持って行かれたとしても、困りはしない。

「…欲しいのか」

「いいや、コイツはアンタのココにあるのが一番さ」

言いながらも離す気配も見せない。こんな風に指先でいじられていると、何となく落ち着かない。直接触られているワケでもないのに、妙にくすぐったく感じる。
神乃木は長い指で手触りを確かめるように、クルクルと巻き上げ手元で遊ぶ。上の1枚をつまむと、ソレを引き上げ、うやうやしいような仕草で軽く口付けを落とした。

「なッ!?」

顔を離した神乃木は、いやに楽しそうに笑っていた。

「い、いきなり、何をする…」

人通りもまばらとは言え、こんな往来で。ただでさえ、異常なほど目立つ男が。まあ、神乃木ほどではないが、御剣も相当目立つのだが。
慌てて見回したが、運良くソレを見られた様子はなかった。
ほっとするが、神乃木の手は相変わらず、御剣の首元にある。
どうやら離すつもりは微塵もなさそうなので、その手首を掴みあげ、外させた。
すると、何となく不満そうな顔で見られる。

(……何なのだろうか)

いっそ外して渡した方がいいのだろうかと、御剣は考え始めたが、諦めて手を離した。
すると、神乃木の腕がガクンと落ちた。

「…!」

いきなり手を離したから、にしては、何かがおかしい。
マサカとは思いつつも、念の為に手をかざして、神乃木の目の前で振ってみる。

「…今日はいい天気だな、神乃木荘龍」

「いきなり天気の話かい、ボウヤ」

手を振るのを止め、そのまま神乃木の顔を両手で挟み、覗きこんだ。

「…私が見えるか?」

「…」

「見えていないのだな?」

問い詰めてみても、神乃木の表情は変わらなかった。

「…アンタは、どうしてそう思うんだい?」

「私はウソを見抜くのが仕事だ」

いつかの法廷で、彼は自分の視界に赤は存在しないと言った。
そして今、辺りは夕日で赤く染まっている。赤い世界の中だ。
何をするでもなく、ただ佇んでいたこの男は、おそらく…。

「アナタは、動きが取れなくなっていたのでは、ないのか?」

「…オレは、闇を待っていただけさ。コーヒーのように暗い、濃い闇が来るのを、な」

「赤い紅茶のような夕日の中では、何も見えないから、だろう?」

「言うじゃねえか、ボウヤ」

口元を笑みのカタチに歪める神乃木に、ため息をついて、御剣は手を外した。
そのまま、神乃木の手を取る。

「…行くぞ、神乃木荘龍」

そう言って手を引くと、ぐっと力を入れて抵抗された。

「ほっておきな。じきに日も沈む。てめえの面倒くらい、てめえで見るぜ?」

「…こんなトコロで、じっとしていると虫に刺されるだろうな。特にアナタの仮面の照明は、実に虫が好みそうだ」

「………」

「しばらくの間なら、私でもアナタの目にくらいなれる。タマには構わせてくれても、いいだろう?」

もう一度手を引くと、今度は抵抗されなかった。
案外、危なげない動きでついてくる神乃木の手を引きながら、公園内を歩く。なるべく、足元に気を付けて、何もない平坦な道を選びながら。
ふと思い出し、聞いてみる。

「…そういえば、アナタは何故、私が分かったのだ?」

「何がだい?」

「声も掛けないうちから、アナタは私を呼んだ」

ああ、と神乃木は答えた。

「たとえ見えなくても、案外聞こえるモンだぜ。アンタのヒラヒラが胸元で擦れる音がしたからな。そんなヤツは検事サン以外、いねえさ」

「……ソレは本当の話か?」

「モチロン、ウソだぜ」

「………」

しばらく歩いていると、やがて神乃木が答えた。

「……足音がアンタだった」

振り返ると、日もほぼ沈み、薄暗くなって、御剣からも神乃木の表情が見えづらい。
ちょうど逆光の位置になっていて、神乃木の赤い光だけが見えた。
繋いだ手に、思わず力を込める。
それは、始めに通りかかった時に、見た光だ。

(…あの時、アナタを見過ごさなくて、良かった)

そう思いながら、御剣はしっかりとその男の手を掴んだ。

うっかり離してしまわないように。





END






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